病院という、命をあつかう場所。
そこで闘っているのは、病を抱えた患者だけではありません。
医師たちもまた、悩み、迷い、闘っているのです。
今回ご紹介するのは、医療現場を舞台とする物語。
2019年本屋大賞ノミネート作品のひとつ『ひとつむぎの手』です。
目次
著者:知念実希人
作者の知念実希人は、現役の医師でもあります。
2011年に『誰がための刃 レゾンデートル』(初出時のタイトルは『レゾン・デートル』)がばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞し、同作で作家デビュー。
『天久鷹央の推理カルテ』シリーズをはじめ、医師としての経験を活かした『仮面病棟』『黒猫の小夜曲』『螺旋の手術室』などの作品を発表してきました。
本屋大賞へのノミネートは、2018年の『崩れる脳を抱きしめて』以来2度目となります。
あらすじ・内容紹介
本作の主人公は、大学病院に勤める医師・平良裕介。
過酷な勤務に耐えながら一流の心臓外科医を目指してきましたが、なかなか出世の機会に恵まれません。
そんなある日、心臓外科の権威・赤石教授から、研修医3人の指導を任されます。
彼らを入局させれば心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば道は絶たれる……。
瀬戸際に立たされた平良は、研修医たちの信頼を得るべく奮闘します。
さらに、赤石教授の不正をほのめかす怪文書が届きます。
様々な思惑がうずまく中、医局内の権力争いはますます激化。平良は赤石教授から、怪文書を送った犯人探しを頼まれます。
平良は医師としての希望を叶えることができるのか?そして事件の真犯人は……?
謎をいくつも残しながら先を読ませる、心憎いストーリー立てです。
ひとつむぎの手の感想(ネタバレ)
登場人物
主人公をとりまく人々が、これまた個性的。
外からはなかなか想像できない、医師たちの力関係も見えてきます。
諏訪野の言葉によれば「真面目で要領が悪い」性格。
学生時代は空手部で平良の後輩。
院内の情報に通じており、ことあるごとに平良の相談相手となる。
心臓外科手術の最高権威。
平良にとってはライバル的存在。
学生時代の空手部の後輩でもある。
赤石の右腕にして、成人心臓外科チームのナンバー2。
小児心臓外科グループのトップ。
かつての平良の指導医であり、江戸っ子気質の熱意あふれる性格。
自らの立場を守るためには、「強きを助け弱きを挫く」を地で行く。
体育会系で意志が強い反面、正直すぎるところがある。
臓外科の手術に強い関心を示す。
学者肌で生真面目。
心筋再生の研究に惹かれている。
普段は冷静な性格だが、辛い過去を持つ。
小児心臓外科を希望している。
「映像化されるなら……」と、キャスティングを想像しながら読んでみるのも楽しいかもしれませんね。
医療☓ヒューマンドラマ☓ミステリー
この作品を一言で表すなら、「医療×ヒューマンドラマ×ミステリー」。
医療ものでありながらミステリー要素もあり、次の展開から目が離せなくなります。
しかし、全体を通して描かれているのは、主人公と患者や医師たちの間に起こる人間くさいドラマに他なりません。
以下ではネタバレを最低限に抑えつつ、本作の魅力をご紹介します。
緻密に描かれた医療現場の実情
本作の魅力の一つは、医療現場を知る作者ならではの緻密な描写。
物語の舞台は、「医局」と呼ばれる大学病院内の人事組織。
大学病院には専門科ごとに分かれた人事組織があり、それを「医局」と呼びます。
その頂点に立つのが教授。
本作に登場する赤石教授は心臓外科のトップです。
教授の一声で人事が決定されることもあるため、教授の周囲で権力争いが繰り広げられるわけです。
数ある専門科の中でも、本作の主人公が勤める心臓外科は桁違いの忙しさで知られ、患者の急変に備えて病院に泊まり込むこともしばしば。
つい先日も、一部の医師の残業時間が2000時間近くに及ぶことがニュースになりました。
物語は、平良が徹夜で患者を診た翌朝の場面から始まります。
物語の後半、こうした労働環境を改善しようとする柳沢先生の熱い台詞は必読です。
その他、患者の治療方針を他科との話し合いで決める「カンファレンス」、死を目前にした患者の家族とのやりとりなど、命を預かる現場の内情がきめ細やかに描かれます。
もちろんこれはフィクションですから、どこまでが本当かは分かりません。
ですが、ふだん医療を受ける側にいる読者にとっては、裏側から世界を見るような感覚が味わえるでしょう。
格好良くない主人公のヒューマンドラマ
二つ目の魅力として挙げられるのは、主人公の人間くささ。
主人公の平良裕介は、自らの出世を気にしながらも上手く立ち回れず、権力争いに巻き込まれていきます。
時には嫉妬に身を焦がし、時には外面を取り繕おうとし、嘘もつく。
その姿は、けっして格好良くはありません。
けれど、身の振り方や人間関係に悩む様子は、働く人たち全てに通じるものがあります。
迷い悩みながらも、医師として、人として何を大切にしていくのか。
それが、この物語の大きなテーマでもあります。
読み終える頃にはきっと、この格好良くない主人公のことを心から応援してしまうはず。
一通の怪文書をめぐるミステリー
最後に忘れてはいけないのが、謎解きの要素。
作者はこれまでも、『誰がための刃 レゾンデートル』や『天久鷹央の推理カルテ』に代表されるように、ミステリー作品を得意としてきました。
本作ではミステリーが主軸にはなっていないものの、物語を進ませる重要なエンジンとして、赤石教授の不正を告発する怪文書が機能しています。
犯人を考えながら読んでいくと、最後に驚きのどんでん返しが待っています。
ちなみに私は最後までまったく分かりませんでした!笑
まとめ
「この人を助けるぞ!」
救急で運ばれてきた患者を助ける場面で、研修医に向かって平良が叫ぶ台詞です。
病院という場所には、このときの平良のような思いで働いている人がいること。
彼らも日々、仕事や人間関係の中で闘っているのだということ。
私はこの本を読んで、病院で働いているのは人間で、人が人を助けているのだという当たり前の事実に気付かされました。
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