『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』鴻池留依【この小説を信じられるか】

 

2018年度下半期の芥川賞は『1R1分34秒』『ニムロッド』でした。

本日紹介する本、『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』は、残念ながら芥川賞受賞には至りませんでしたが、だからといって決して悪い作品ということではありません。そもそも候補にあがったこと自体がこの作品のおもしろさを表しているとも言えます。

たとえ受賞しなくとも、作品そのものの魅力があります。その魅力は1ぺージ目から感じることができますので、ぜひ紹介したいと思います。

試し読みでも、本屋に行ったときにでもいいので1ページめくってみてください。この作品は他の候補作に比べて少々異色の作品になっています。

ウィキペディア小説!?

そう、この作品はおそらくほとんどの人が利用したことのあるウィキペディアの構成になっています。

どういうことかこの作品は「ダンチュラ・デオ」というバンドをめぐる話になっています。そしてそのバンドのウィキペディアをのぞく形になっています。

例えば、

  • 出身地
  • ジャンル
  • 活動期間
  • レーベル

と一通りお馴染みの基本事項の説明が並び、

次に目次で

  • 1 来歴
  • 2 キャラクター設定

と続きます。

ウィキペディアという利用者が作っていく大型事典は調べるものいう印象が強い中で、小説にしようという発想の勝利といえるでしょう。

確かにウィキペディは読まれるものであり、その用語の説明をしていく上で書かれる経緯にはストーリがあるかもしれません。それは小説と共通するところもあります。

とはいってもほとんどの人がこのウィキペディアという形式を利用して小説を書こうなんて思わないでしょう。たとえ思ったとしてもその発想を実際に実現させたことに驚きです。

そして何よりすごいのが単にウィキペディアの形式を利用して書くだけでなく、ウィキペディアの特徴を活かしつつ小説を落とし込んでいる点です。

ぜひその魅力も紹介していきたいと思います。

あらすじ

「ダンチュラ・デオ」というロックバンドは大学生の「喜三郎」「「僕」」らによるバンドだった。

「喜三郎」が始めたこのバンドは、彼が言うには実在した一部では伝説のロックバンドだという。彼が言い始めた嘘と思いきや、事態はだんだんと彼のいうことが事実であるように変わっていった。

あくまで設定と思われていたものは国やスパイまでもが絡んでくる事態となっていった。

ウィキペディアという形式で書かれるということ

ウィキペディアは非常に便利なものです。知りたいことがあり、ネットでそのワードを検索した時、一番上に上がっていることも多いのではないでしょうか。

たいていの調べ物はウィキペディアで済んでしまいます。出典がどこなのかも書いてありますし、その分野に詳しい人が場合によっては事細かに説明してくれます。

ただ忘れてはならないのが、そこに書いてあることが本当なのか、間違っているのかは自分で判断しなければいけないということです。

もしかしたら悪意を持って誤った情報を書き込む人もいるかもしれません。ニュースで話題になった芸能人のウィキペディアが荒らされたり大喜利状態になっているのを知っている方も多いと思います。

明らかに違うとわかる場合はいいですが、もしそうでないのなら。ウィキペディアをみるとき、「ここに書いてある情報は本当かわからない」と意識しながら利用する人はそう多くはないと思います。

大学のレポートなどでウィキペディアを利用してはいけないなんて言われた人もいるのでないでしょうか。誰が書いたかもわからない、ボランティアで書かれた内容の真偽が正しいかはわかりません。その分野の知識を持った人が誤りを見つけるたびに訂正していくしかありません。

もちろん、ウィキペディアも出典情報が少ない記事についてはその旨を教えてくれます。

ここで言いたいのはウィキペディアがいかに信用ならないか、ということではなく利用者は真偽のほどは定かでないという前提のもと利用しているということです。

小説でもこれと似たようなことが起こっています。読者は小説をフィクションとして読みます。それでも読んでいるときはその小説の世界では本当に起こったこととして、真実として読んでいます。たとえフィクションであってもそこに書かれていることは読者にとっては真実なのかもしれません。

フィクションという前提のもと私たちは小説を読んでいます。

しかしこの小説はウィキペディアという形式をとっているのでさらに厄介です。フィクションの中の不確かな物語になっています。

注意
以下、ネタバレ注意です。

ジャップ・ン・ロール・ヒーローの感想(ネタバレ)

本物になろうとするもの

この小説は伝説のバンド、「ダンチュラ・デオ」を探そうとする話になっていますが、それは最初だけでした。

最初は、喜三郎の話だけでしか存在しないものでした。陰謀によって存在が消されてしまったバンドは喜三郎の記憶にだけあり、彼の記憶を頼りにコピーバンドを結成しました。

パクリと宣言したバンドが徐々に活動を広げ、周りも「ダンチュラ・デオ」について語り始めます。そうなったとき「そのような彼らの設定」に留まらず、「ダンチュラ・デオ」が真実になっていく気さえします。そのところにおもしろさがありました。

スパイ活動など、たとえ小説であっても信じられないような、妄想が過ぎると言いたくなることが現実になっていきます。喜三郎「僕」もその事態に巻き込まれていきました。

これはフェイクニュースを連想させます。

嘘の情報が拡散されていき、真実のように扱われいく。そこに至るまでには人々の感情が関わってきます。それは怒りであったり、そうであって欲しいという願いだったりします。

さまざまな感情が影響しながらフェイクが真実になっていく情報化社会が反映されているようにも思います。

そして、読んでいて不思議なのはウィキペディアのはずなのに小説のように読めてしまえるというところです。小説なのだから当たり前だと言われそうですが、この小説はあくまでウィキペディアという設定です。

その秘訣は「ダンチュラ・デオ」のメンバーである「僕」で説明されているからでした。この「僕」というのは一人称の意味ではなく、「僕」というメンバー名です。

「僕」という固有名詞が一人称のように読めてしまえることによって、ウィキペディアを小説に取り込むことを可能にしていると感じました。

ウィキペディアという真偽が定かでないものが「僕」という語りによって小説というフィクションになることによって存在が容認されていくようにも感じました。

ポスト真実の時代に

しばしば芥川賞はそのときの時勢を反映するなどと言われていますが、この候補作もそうであると思います。

先ほどフェイクニュースを例に挙げたように、感情や意図が働いたものが目立っているこの時代。まさにフェイクが事実のように扱われてしまうこの時代にぴったしな一冊になっています。

小説として十分に楽しめるこの本ですが、今の時代性を考えながら読むとさらに楽しめるものになっていると思います。

 

主題歌:凛として時雨/abnormalize

凛として時雨の「abnormalize

小説後半の雰囲気とこの曲のテンションや偽物が手を繋いで全てを映しているって、という歌詞が真実でないはずのことが現実になっていく物語と合うと思いました。

ぜひこの曲と合わせて読んでみてください。

 

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