今回は「水声」をご紹介させていただきます。
タイトルの「水声」。
聞き覚えのない方がほとんどだと思います。
「水の流れる道」という意味なんですね。
この物語は、まさしく水の流れそのものです。
静かに、冷たく流れてゆきます。
どことなく「真鶴」や「大きな鳥にさらわれないよう」「なめらかで熱くて甘苦しくて」に通じるものがありますね。
この小説の冒頭は「夏の夜には鳥が鳴いた。」という一文からはじまります。
鳥からはじまり、鳥で終わります。
「鳥」で人を表現している場合もあれば、そうでないこともあります。
あらすじ
主人公は都(みやこ)という女性。
弟の名前は陵(りょう)です。
彼らにはパパとママがいますが、距離感はどうも奇妙です。
都は、1986年の夏に起きたある「出来事」を頻繁に思い返しては、ずっと悶々と考え続けているのです。
陵のかつての恋人の、叫び声が美しい七帆子。
ママの幼馴染で、英語の発音が特徴的な奈穂子と、彼女の従姉妹の薫。
そして、ママの実家の紙屋に足しげく通った、武治さん。
物語は、1969年と1996年からはじまり、時系列もばらばらに描かれ、最終的に2013年と2014年に終着します。
読者は都の語りを追うことによって、家族の奇妙な「謎」を解き明かすことになります。
水声の感想(ネタバレ)
ママの強大な存在感
ママの人物像として、冷酷と言えるほど、冷たい物言いをする人というイメージがあります。
「考えてみれば、南京虫をつぶした指で、そのままあたしの髪を結ってたのよね」
本人は人を傷つけているということが分からずに、思ったことをそのまま言うのですが、その言い方が強烈で、人の弱い部分につけこんでゆくので、自然と人を怖がらせてしまう。
人と接するのに慣れていない、というのでしょうかね。
ママの台詞を読み返すことは、非常に勇気がいります。
都は、生前のママのことをこう回想しています。
「いつだってママはとても楽しそうで、その楽しげな様子の中には、必ずぽっちりと毒が含まれていた。」
白い水のような姉弟の距離
都は、ママをはじめ、陵やパパの言動に振り回されてゆくのですが、普通の考え方とは、ずれてしまっているのではないかと思わせる節があります。
「これが、わたしのおとうと、わたしのもの、と。」
陵が言う、「同じ家にいても、なかなか都とは合わない」という台詞も、なかなか意味深ですね。
決定的な台詞が、133ページにあります。
「わたしは陵のようになりたかった。陵になって、ママに喜んでもらいたかった。でも、できなかった。だからわたしは、こんなにも陵が好きなのかもしれない。」
都と陵の関係がただの姉弟とは異なっているように、パパとママの関係もまた、本来あるべき関係ではありません。
しかし彼らは、そっけないほどにあっけらかんとしています。
まるで、運命によってたまたま選ばれてしまったから、仕方がない、とでも言うように。
人間の個体別の違いについて
陵もまた、ママとは異なった怖さを持った人です。
陵も同じだ。どこか人を突き放すような表情を浮かべ、それが女たちを引き寄せる。
都曰く、「ぴんと張った弦のようなもの」に触れてしまった時に陵が見せる、女性を視線で縛り付けるような動作。
しかし、それでも都を救うのは陵なのです。
あの1986年の出来事、都が陵と一夜を共にしたことを考え続けているのを見越してか、彼は彼女に間接的ですが、助け船を出します。
「人間は、人間である限り、それほど違っちゃいないよ」と答えるのです。
まるで、周りと違っていてもいいのだと、肯定するかのように。
都や陵の、その後も気になるところです。
まとめ
物語の最後、都はかもめに問いかけます。
二羽だけ残った、背を向けあい、それでも飛び立とうとはしない彼ら。
それは、真鶴に出てくる二羽の白鷺に似ています。
水の流れる音が、遠い世界の涯(はて)から聞こえ、一羽だけぽつんと浮いていた水鳥によって、この物語は幕を閉じます。
自分は普通とは違う。
しかし、普通とは、一般とはどういうものだろう。
根本的な解決は何一つなされていないけれど、心の奥底に沁みわたる真っ白い水のような作品です。
選曲 :Ivy to Fraudulent Game/水泡
氷が張った真っ白い水のように、静謐に流れてゆく、冷たく儚い曲。
Ivy to Fraudulent Game(アイビートゥーフロージュレントゲーム)の水泡です。
この曲で特に印象的なのは、サイレンから始まることですね。
「僕はこの年で親不孝で 人の愛し方も分からなくて」
(作詞:福島由也)
水にも泡にもなれない儚い存在。
たゆたいながらも、不確かなものを掴もうとする彼らの生きざまを重ねました。
このバンドの歌詞は、ボーカルの寺口さんではなく、ドラムの福島さんが書いているんですね。
文学的でメランコリックな歌詞に、寺口さんの甘やかで澄みきった声が乗るのが特徴です。
「徒労」「夢想家」「革命」はその境地でしょう。
そのなかでも夢想家の完成度は、ずば抜けています。
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