【不幸な真理を砕け!】カミュ『カリギュラ』(新潮文庫)(♫YOSHIKI 『Miracle』)

カリギュラ:この世界は、今あるがままの姿では、我慢のならぬものだ。だからおれには月が必要だった。

どれほど求めたところで、不可能は依然として不可能であることの方が多い。そうと知りながら、正気のままにそれを求め続けること、そしてその果てに動かぬ結末にたどり着いてしまうこと、その苦しみはどれほど重いだろう。

皇帝カリギュラは最愛の妹にして情婦であったドリュジラを亡くした後、絶対的な自由を求めて不可能性を追い、権力を振りかざす。周囲から恐れられるカリギュラは、世に溢れる不条理に耐えられぬがゆえ、自らが不条理を起こすという姿勢論理的に通し続ける。

カリギュラ:おれがお前たちを憎むのは、お前たちが自由ではないからだ。

おそらく誰もが、自分の正義や信条が阻まれる局面にぶち当たり、やりきれない思いを抱えることはある。それでも多くの人は、前へ進むため、その思いに何とか上手く折り合いをつける。それを拒み、流れのままに生かされることに抵抗するカリギュラはまるで幼い子のように純粋で繊細だ。彼は、その純粋さを自分のみならず、周囲にも強いる。純粋さは美しいが、純粋であるがゆえに、それが凶器となったときの破壊力は凄まじい

カリギュラ:同じような魂と同じような自尊心を持った二人の男が、一生に一度でいい、心の底を打ち明けて話し合えないものか。……まるで二人がすっかり裸で向かいあうようにして。

常人には理解できない残酷な行動をとるカリギュラだが、彼の傍にいる主要な人物たちは意外にも全て彼の理解者である。その中でも、シピオンとケレアとは互いに似た部分があることを自覚している。しかし、カリギュラを理解できるからこそ、シピオンは彼に傷つき、ケレアは彼と敵対する。理解できることと、それを受け入れることは同じではない。

カリギュラ自身は彼らにどこかで救いを求めているが、唯一権力を持ち得る彼にそれはかなわない。同じ心を持つシピオンとケレアは、いわばカリギュラの分身だ。ゆえに二人から拒まれる彼は、同様に彼自身からも拒まれているといえる。彼は自分に愛されず、愛すことも許されない。それが一層彼を孤独にするように思われる。

セゾニア:いつでもわたしにはこの肉体が唯一の神だった。そう、だから、カイユスがわたしのもとへ戻って来るようにと、今日わたしが祈るのは、やはりこの神なのだ。

カリギュラが唯一愛し、愛される情婦セゾニア。情婦である彼女にとって、その肉体が彼女の存在を価値づけている。「体の傷は癒えても、心に負った傷はなかなか癒えない。」等、心は度々体よりも重きを置かれ、それは恋愛にしても同様だ。しかし、体ほど確かなものはない。自分と愛する人を繋ぎ、確かにその存在を感じさせてくれるのも体なのだ。彼が愛してくれるからこそ、自らもその体を通して自分を愛せるのだろう。

カリギュラ:おれは人間が絶望することもあると知っていた、だがおれはこの言葉の意味するところを知らなかったのだ。……それは魂の病気だと。違う、苦しんでいるのは肉体なのだ。

同様に、心より体に重きを置く台詞がある。人はどうしようもなく心が痛むと、それ以上に体が悲鳴を上げる。私自身も以前、手足がもげるように、みぞおちがきしむように痛み夜通しベッドの上をのたうち回ったことがあった。今あの体の痛みを思い出すことで、当時どれほど自分が苦しんでいたかがわかる。体は決してないがしろになどできないのだ。

ケレア:あの人は君を絶望させたのだ。そして若い魂を絶望させるとは、あの人が今までに犯したいかなる罪にもまさる罪だ。誓って言おう、わたしが怒りにまかせてあの人を殺すには、このことだけで十分だ。

何も持たなければ、失って傷つくことはない。何も求めなければ、手に入らずに傷つくこともない。しかし、それを持たずには、求めずにはいられないとしたら。それこそが生きるということなら。そんなことを考えてみれば、絶望するにはあまりにも容易い

カリギュラに救いがあるとするならば、彼が倒されることを心の底では望んでいることではないだろうか。これは決して、死によって生の苦しみから逃げられるからではない。彼は暴君だ、狂人だといわれながらも論理的であることに拘り、自分のたどり着いた真理が誰も破ることのない完璧なものであるとした。しかし、それはどうあっても人は幸せになれないという真理であった。

カリギュラを倒すとは、その不幸な真理を破壊することだ。絶望を断ち切るには、必ずしも論理的である必要はない。何が何でも力任せにそれを破らなければならない。なぜなら、人は幸せになりたいからだ。否が応でも不条理を与えられる世にいて、そこで生きる私たち自身も実は、不条理を盾に生きているのかもしれない。

カリギュラ:なんと辛いことだ。自分の考えが正しくて、しかも、それをとことんまで、やりとおさねばならぬとは。

カリギュラの痛みに胸を裂かれる一方で、私はどこかカリギュラが羨ましくなった。自分の信条を貫くのはある種の快感を伴う。その快感は自分への一抹の肯定であり捨てがたい。しかし、その快感の強要は簡単に暴力になりうる。人を傷つけることはそれ以上に自分を傷つける。その恐れをも突破してしまう破壊願望のようなものはなかなかに刺激的だ。また、日常に埋没していく中で、「生きることとは?」などと考える余裕すらない人も多いだろう。生きることを客観的に模索するのはある種の贅沢なのだ。

この本を読み進めるほどに、自分の持ちうる範囲でしか読むことはできないことを強く感じさせられた。もう少し時が経ち、今よりももっと多くのことを諦めた果てに、もう一度、この生への残酷な純粋さに触れてみたいと思う。そのとき、ぜひともカリギュラの痛みをまだ覚えている自分でいたい。格言めいた台詞のどれもがエネルギーに満ち、強い熱を与えてくれる。


著者紹介

アルベール・カミュ(1913~1960)

フランス領アルジェリア出身。小説家、劇作家、哲学者、思想家。
不条理な世界に対し、人はどう向き合うべきかを誠実な態度で生涯模索し続けた。
代表作は『異邦人』『シーシュポスの神話』『カリギュラ』『ペスト』など。
1957年に史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞した。


この本に私が選んだ主題歌

Miracle  -YOSHIKI

L’amore verra 愛がやってくる
L’amore verra 愛がやってくる
E vincera il tuo dolore そして、あなたの痛みを乗り越える

Distruggi la paura 恐怖を破壊しろ
Per liberarti あなたの亡霊から自由になるために
Dall’ombra tua

最後まで読んでいただき大変嬉しく思います。こちらもよろしくお願いいたします。

◯この他の『カリギュラ』の主題歌はこちら

 

◯本の主題歌を決める読書会「BGMeeting」