恋人に愛されることが幸せか。
会社に勤め、穏やかに暮らすことが正解か。
家族の形とは何か。年齢や性別が持つ意味とは何か。
多様性を認め合うだとか大それた言葉がそこらじゅうで叫ばれる前から、社会が名付けたものに対する違和感に、それを感じている人たちの価値観に、目を向けている作家がいます。
あらすじ・内容紹介
「社会の芯に繋がるようなストローを見つけたかった。」
1978年生まれの私は大学をでて働きながら、小説を書いている。お金を稼ぐこと。国のこと。二人暮らしのこと。戸籍のこと。幾度も川を越えながら流れる私の日常のなかで生まれた、数々の疑問と思索。そこから私は、何を見つけ、何を選んでいくのだろうか。「日本」の中で新しい居場所を探す若者の挑戦を描くポップな社会派小説。(新潮社HPより)
「恋愛」に「性別」に切り込む
「どうして全員が二人組にならなくてはならないのか、なぜ三人組や五人組がいないのか、不思議だった。だから、好きだ、というのを、二人組になりたいという意味には捉えないことにしていた。」
初めて本作に出会った時、この言葉の鋭さに惚れ惚れしたこと、そして少し救われたことを覚えています。
周囲はみな彼氏彼女の関係を構築し、私は一人で、見向きもされない時でした。
言ってやってくれ、二人組が何だ。
女の子なんだから、可愛いんだから、彼奴はろくでもない、良い人が云々、と言われることにもうんざりしていました。
「どうして、自分を卑下するの?栞ちゃんはダイヤモンドの原石みたいなんだから、ちゃんとした人に、大事にされなくちゃ駄目でしょ?」
私は「見られる性」ではなく「見る性」だ。私は自分が気に入った男と仲良くしようと努めるし、金をかける。自分で関係を育てる。その関係が他の人からどう見られるか、相手の男にどう思われるかは大した問題にならない。私は、自分で大事だと感じ始めた関係が断ち切られることを、ただ自分で悲しんでいるだけだ。
今思えば、私が堅物であったことは明確で、周囲の助言は何ら間違っていなかったのですが…
自身の判断軸を持ち、納得いく行動を取らんとする栞の姿。
そして世の中で良しとされる形に対して、言葉を用いて切り込んでいく作者は、当時の私の胸に爽快な風を吹かせてくれました。
今なお、栞の言葉にはハッとさせられます。
しかし私は、自分が誰かに愛されたいという欲求が薄まっているのを感じる。愛されたところで、満たされそうにない。何かもっと、宇宙の芯に繋がるようなストローを見つけたかった。退路を断って、狭い道を進んでみたかった。
関係性のことばかり考えて、紙川さん本人を見つめていなかった。根を詰めて頭を動かしたのは間柄についてのみで、その人自身のことではなかった。私は他人のことを本気で考えたことがあるだろうか。
愛されること、それだけが幸せか。
「恋人」「家族」という名称に囚われていないだろうか。
疑いもしなかったことに対して思考を巡らせるきっかけをくれる作品です。
「社会」の温かみに気付く
学生を卒業した今の私に対しても、本作は助言と肯定をくれました。
栞の同僚がぽつりと本音を漏らす場面があります。
「私、昼に出社して、深夜まで働いていて・・・・・・。社会から取り残されていっているように感じるの。これでいいのかなって、いつも考えちゃう。結婚を考えていた彼とも最近別れちゃったし」と続ける。全く同じだ。自分の弱さを個人的なものだと思い込んでいたが、もしかすると、社会の弱さなのではないだろうか。みんなが同じことで苦しんでいる。私たちは、社会において、とても凡庸な存在だ。
自分を主人公であると考えて「自分らしい人生を生きなくては」「ライフステップを踏んでいかなければ」「幸せになることがゴール」とつい思い込んでしまうのは何故なのでしょうか。
再度、頭に根差している認識を疑うきっかけを与えられました。
しかし、常識やそれを作り上げた社会に対してスッパリ物申したい、そういう小説かと思いきや、社会は温かいものだと締めくくるのです。
J-POPの世界に生きているわけじゃない、二人ぼっちじゃなかった。みんなで生きているのだ。
社会が温かいものだということを、みんな知らな過ぎる。自分を必要としてくれる場所で、自分を使うのは当たり前だ。人間は遺伝子の乗り物ではなく、文化の乗り物である。
ぶっ倒れても、社会というセーフティネットがある。
みんなで生きているからこそ、ひとりぼっちになるようなことがあっても本当の孤独にはならず、お米を食べることができ、読み継がれた小説が手に入る。
私たちはその状態を維持する一員としての責任があると栞は気付きます。
栞は気が強く、世渡りの上手いキャラクターでは決してありません。
終わり方によっては、厭世的な若者が思いを連ねるような作品だったかもしれません。
しかし、彼女がこの気付きに到達したことで私たち読者の胸には、すっきりとした爽快感だけでなく力強い温かさが残るのだと思います。
主題歌:宇多田ヒカル/日曜の朝
宇多田ヒカル「日曜の朝」
メロディといい、歌詞の気怠さといい、紙川のアパートで過ごすモラトリアム的時間の描写によく似合う楽曲です。
彼氏だとか彼女だとか呼び合わない方が僕は好きだ
なぞなぞは解けないまま ずっとずっと魅力的だった
著者:山崎ナオコーラ
山崎ナオコーラ(やまざき なおこーら)
1978年、福岡県生まれ。國學院大學文学部日本文学科卒業。
2004年、会社員をしながら書いた「人のセックスを笑うな」で作家デビュー。
筆名はコーラが好きなことに由来する。
目標は「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」
産後1年を綴った「母ではなくて、親になる」が話題を呼ぶなど、エッセイストとしても活躍。
頭を無にしたい、文字をなぞって深呼吸したい、誰かの言葉が欲しい、この怒りは何だ…
山崎さんの作品を読みたくなるのは、順風満帆に走れていない時。
常識が絶対ではないよ、模索することは無駄でも悪でもないよ、と肯定をくれます。
人間スマートに生きるのは難しくて、世のアーティストたちが口にすれば、下積み時代も、衝突も絶望も、何だか素敵なドラマのようですが挫折の先に成功があるだなんて挫折中は分からないものです。
毎日、社会人という形状を保つので精一杯。
山崎さんは、衝撃をひとつずつ受け止めては時間を掛けて昇華する方なのかなと思っています。(例えば今、誹謗中傷された経験を元に、容姿をテーマにした連載を執筆されています)
本作に登場する栞(シオちゃん)も都度衝撃に襲われては、泣いたり胃を痛めたりします。
低迷する登場人物の心情をごまかさずに描き、唯のハッピーエンドで終わらせもしない。
それが、私を含め、何かを抱える読者を勇気づけるように思うのです。
この記事を読んだあなたにおすすめ!
山崎ナオコーラがはまる人、窪美澄も好きなんじゃないかと思います。本作とは一転、少しハードな小説ですが、こちらもおすすめです。
書き手にコメントを届ける