母が看護師でもあなたはパイロットになれる。
父が画家でもあなたは教師になれる。
現代ならば自分の生き方はある程度自由に選択することができる。
しかし、その昔、運命づけられた自分の人生に抗うことなく、それでいながら疑問を持ち続けて生きた1人の男がいた。
あらすじ・内容紹介
代々フランスで死刑執行人として生きてきたサンソン家。
その4代目シャルル─アンリ・サンソンにスポットを当て、当時の死刑執行人たちの扱いや処刑のありかた、なぜあの「ギロチン」が生まれか、などを解説する。
『ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン』に登場する「ジャイロ・ツェペリ」のモデルは、作者・荒木飛呂彦曰くこのサンソンであるとのこと。
『死刑執行人サンソン 国王ルイ十六世の首を刎ねた男』の感想(ネタバレ)
処刑人になったものの運命
あなたは鈴木さんですか?それとも山田さんですか?
そう、名乗らない限り私たちは見た目ではだれがだれかなんてわからない。
知り合いともなれば別だけれど、一目で「あ、あなた佐藤さんですね」と言われたらそれはエスパーかなにかだ。
当時のフランスで処刑人をしていた者は全員が「こいつは処刑人だ」ということを知っていた。
なぜなら家が赤く塗られていたから。
その家から出て来る者が「処刑人」もしくは「処刑人の家族」なのだ。
さらに、娘がいればその旨を掲げなければいけなかった。
どうしてかって?
処刑人の娘とうっかり息子が恋に落ちてしまったらその家の恥だから。
今でこそ恋に身分も家柄もほぼ関係ないというのに、当時は階級制度があるから仕方ないとはいえ……、恋は盲目とはいえない状況だ。
処刑人は人を平気な顔で殺す(仕事だから殺してるんですけどね)。「あんたたちは人間の心がないの?」と思われ、日常品も売ってもらえず、触れることすら避けられていた。
「汚い!」というより「人殺し!呪われてる!」という感覚だったらしい。
ここから読み取れるように、当時のフランスでは処刑人は忌み嫌われていた。
嫌われていないにしても、いわゆる「3K(きつい、汚い、危険)」という理由で避けられる仕事は今でもあるわけで、それらの仕事を担っている人に感謝をしなければならないと思う。
しかし当時はちがったようだ……。
処刑人は「罪を犯した人を罰してくれる存在」だというのに、その行為(まあ、言ってしまえば罪人を殺すことで罰する)自体が忌み嫌われる仕事になってしまうとは、なんとも世知辛い時代だったのだろう。
人(正確には罪人)を殺す職業を家業にしてしまったサンソン家。
それは初代サンソンが、処刑人の娘と恋に落ちてしまったことから始まった。
大部分は長くなるから省くけれど、簡単に言うと命の恩人の娘を好きになり、その娘の家の家業が処刑人だったのだ。
ただし、本書の主人公は初代ではなく4代目シャルル─アンリ。
六代続いたサンソン家の中でなぜ彼がひときわ異様な輝きを放っていたかというと……、
彼はあのルイ16世の首を刎ねた人物だからだ。
彼は父親が脳卒中で倒れ半身不随になってしまい、15歳で跡を継ぐことになる(最初の処刑、絞首刑は失敗に終わる。最初はそんなものらしい。処刑に失敗って、処される方はかなり恐ろしいのだけど……)。
27歳のとき、彼はとある侯爵夫人に訴えられる。
この罪状がまたひどくて、ひどくて。
彼は身分を隠して(と言いつつ、一応の職業は名乗っていた。もちろん、処刑人が仕事とは言わない)、侯爵夫人と食事を共にした。
身なりもきちんとしていたし、彼は貴族に間違えられてもおかしくない容姿だったようだ。
その時のシャルル─アンリは、
おしゃれでハンサム、ダンディー青年
だったらしい。
のちにシャルル─アンリの正体を知った侯爵夫人は、処刑人と知らずにシャルル─アンリと食事を摂り、身をゆだねようとしたことを恥じた。
恥じたと同時に怒りが湧いていてきて、「処刑人が私のような貴婦人と食事するなんて厚かましいにもほどがある!」と高等法院に訴えたのだ。
いつの時代も女って怖い。
だれも処刑人の弁護なんて引き受けてくれないので、シャルル─アンリは自分で自分を弁護することになる。
その陳述がサンソン家の『回想録』になんと12ページにもわたって書いてあるとのこと。
よっぽど腹にすえかねたのだろうな。
でもここで分かるのは、シャルル─アンリ自身、このときはまだ処刑人として特になにも疑問に思っていなかったということだ。
むしろ、シャルル─アンリは処刑人に対する人々の態度や処遇を不満に思っていたぐらいだった。
そして、ほころびができて
フランスで起きた大きな歴史的な出来事と言えば、何が思い浮かびますか?
私は断然、フランス革命だ。
中学の歴史でも習うだろうし、高校で世界史を履修すればまず出てこないことはない、最重要な出来事だ。
私も履修したけれど、具体的なことはまったく覚えていないので調べてみたら、簡単に言うと、「絶対王権を振りかざす貴族に反抗した市民たちの革命」、とのこと。
ふむふむ、免税とかの特権を持つ貴族たちに対する市民の我慢の限界がきたわけだ。
もちろん、革命は突然起きたわけじゃない。
2つのことがきっかけとも言われている。
1つは「マリー・アントワネットの首飾り事件」。
これは、いわゆる今でいう詐欺事件のこと。
ラモット伯爵夫人という女性が、自分は王妃マリー・アントワネットの従姉妹だといって枢機卿に取り入り、王妃の名を騙り、お金を騙し取ったという事件。
市民生活は苦しいのに、王妃は法外な額の首飾りを買った!という意味で王妃の印象は決定的に悪くなった。
これがきっかけで、王妃はギロチンへの階段を上ったとも言われている。
もう1つは、「ヴェルサイユ死刑囚解放事件」。
長くなるので概要は省くけれど、つまり、民衆が死刑囚を死刑という刑から解放した、という内容である。
この事件は国家の決定が民衆の意思によって覆ったものという大きな意味をはらむ。
革命が起こる、1年前のことである。
余談だけれど、私が記憶に新しく覚えている革命といえば「アラブの春」だ。
調べると、革命ではなくて騒動や騒乱や民衆の運動なんて書かれているけれど、ニュースで見ていた当時の私は「これが革命というものなんだ」と思った。
日本人は保守的で、世の中を変えたいと思っている人がいても「悪法も法だから」という事なかれ主義の人は多い。
自分1人が声を上げたって、自分一人が行動したって、何も変わらない。
けれどどこかの国で起こる「革命」と呼ばれえるものが、いつ日本に波及してもおかしくないのに、そう思わないのがわりと不思議だったりする。
運命はかくも動き出す
フランス革命の有名な会話がある。
ルイ16世「なに、暴動か?」
リアンクール公爵「いいえ、陛下、革命でございます」
フランス革命が起こったとき、シャルル─アンリはそれを好ましく思っていた。
なぜなら、悪法は変えていく必要があり、貴族が大きな顔をし、処刑人たちが蔑まれる世の中を変えたいと思っていたからだ(日本人とはちがいますね……)。
と同時に、彼は国王ルイ16世を敬愛し、慕っていた。
国王の命において、処刑人であることに誇りを持っていたからだ。
けれど、処刑そのものには疑問も抱いていた。
このころ、かの有名な「ギロチン」が開発された。
ギロチンが開発された理由は、人道的処刑のため(ちょっと意味が分からない)。
つまり、死刑囚が苦しまず、苦痛を最小限にとどめ、処刑されるため、ということだ。もう1つは、今まで貴族と一般庶民では処刑のされ方がちがっていたのだけれど、それは人間の平等に反するという理由から、貴族も一般庶民もすべてが同じ処刑を受けるという理由だ。
じつは、ギロチンの開発には自らもギロチンにかけられるルイ16世も関わっていたのだ。
今まで長ったらしくいろんな説明をしてきたけれど、すべてはここを読むためにある、と言いたいぐらい、ルイ16世の処刑の描写は映画のシーンのように鮮明だ。
短く切り込まれた髪、処刑台へと上がっていく自分が敬愛する国王ルイ16世。
呆然とするシャルル─アンリ。
そして自身の手で下ろすギロチンの刃。
何もかもが断ち切れるようなその場面は、そこだけで1つの小説のよう。
圧倒的な存在感を放っていた国王は、革命を起こした民衆へと首をさらされる存在となる。
まとめ
革命が起こるということは何かしらに不満があるわけだが、その不満が爆発して行き着く結果が「良い」とされるものだとは限らない。
シャルル─アンリはフランス革命を見つめ、生き、死んでいった。
彼が望んだ結果とはならなかったかもしれないフランス革命だったけれど、今日のフランスを作ったのはやっぱり「革命」があってこそなので、皮肉な結果と言ってもいいかもしれない。
彼の切望した「死刑廃止」は、175年後のフランスで実現する。
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