『アクタージュ』という漫画をご存知だろうか。
演劇をテーマとした『週刊少年ジャンプ』で連載中の王道少年漫画である。
少年漫画といっても主人公は女の子。
危険なまで演技に没入できてしまうトリッキーな美人女子高生だ。
異彩を放つ女子高生、夜凪景の発掘
彼女の名前は夜凪景(よなぎけい)。
父親がおらず、母が他界してしまい、女子高生の身ながら幼い双子の弟と妹の面倒を見ていて、家計を支えるため学校とアルバイトと家を行き来するだけの日々を送る貧乏女子高生だった。
しかし、ある日妹レイのすすめで受けた女優オーディションから彼女の人生は一変する。
国内大手芸能事務所「スターズ」が主催するオーディションで出された課題は「悲しみの演技」。
特にプロットやセリフもなく「ただ悲しんでくれ」というだけの極めてシンプルなオーディションだった。
参加者たちの多くは大げさに涙を流したり、表情を暗くしたり、いたずらに声をあげるだけで、審査員を引き受けた映画監督、黒山墨字(くろやますみじ)の目に止まる役者はいなかった。
「今回も不作か」と、審査へのモチベーションが下火になりかけた時、夜凪景の演技が彼の目に飛び込んでくる。
黒山墨字「なんだあいつは…。なんでそんなことできる…!? こいつ、本当に今悲しみの中にいやがる」
彼女は、泣いていなかった。
涙を流さず、表情を崩すわけでも、その場にうなだれるわけでもなかった。
彼女は、ただ、ひたすら、悲しんでいたのだ。
自分の中にある「悲しみ」という感情をほぼ100%の純度で引っ張り出し、それに浸っていた。
傍から見ればそれは「演技」にすら見えない代物である。
実際、審査員の1人であり、国内でも有名なイケメン俳優星アキラは彼女に指摘した。
夜凪くん、ちゃんと演技をしてくれ。ふざけてもらっては困る。
と。
だが、黒山は彼女が「モノが違う」存在であることを見抜いていた。
「悲しみを想像して、こういう感じかな?」と表面的に演じている他の役者とは、感情の没入レベルにおいて一線を画している。
ただ、わかりにくい。
彼は夜凪にこう指示を出す。
夜凪、バカでもわかるように演じろ。
夜凪は一筋の涙を頬に伝わせて言った。
こう?
その後、一悶着あった末、黒山は夜凪景を自身の事務所に所属させ、将来的に自分が撮ることを目論む超大作映画の主人公として活躍してもらうため、彼女を女優として育成し始める。
映画、舞台と場数を踏み、タイプの違う役者たちと切磋琢磨することで、夜凪景は女優としての力をつけるとともに演劇の世界にのめり込んでいく。
危険と隣り合わせの「メソッド演技法」
夜凪景の持つ「異常なまでに役に没入する力」は、「メソッド演技法」と呼ばれる。
「メソッド演技法」は現実にもあるもので、「過去に自分の内面で起きたことのある感情を掘り起こし精密に再現する」という演技方法だ。
体得している役者は稀で、先のオーディションを主催したスターズの代表星アリサ曰く「危険な演技」。
おそらく演技への没入度が高すぎて、現実に戻っても役が抜けきれず日常生活に支障を来たす恐れがあるのだろう。
映画『ダークナイト』でジョーカーを演じた役者ヒース・レジャーが自殺した事件はまだ記憶に新しい。
演技への過度な没入は、心を病み、命を落とす危険すらある。
星アリサは
彼女の芝居は危険すぎる
ということを理由に、夜凪をオーディションで落としたが、そんな彼女を黒山墨字が「拾った」(拉致した?)というのが、夜凪が黒山の事務所「スタジオ大黒天」に所属することとなった顛末である。
粗削りの天才が1人の女優へと成長していく
序盤の最大の見所は、「没入度が高すぎるが故に芝居をコントロールできない粗削りの天才が、どのように実際の撮影、舞台の現場で通用する女優に育っていくか」という点に尽きる。
役に入りすぎてしまうが故に、目の前で人が殺されるシーンでゲロを吐き、時代劇でエキストラ役にも関わらず悪い役人役に飛び蹴りを食らわし、無人島に漂着する即興オーディションでは本気になりすぎて共演者との演技を無茶苦茶にしてしまう。
この「不出来な原石」をいかにして、脚本・演出通りに演技をこなし、カメラや観客からの映り方・見え方を想像し、他の共演者と滞りなく芝居を作り上げられる「職業人」に育てるかが、映画監督・黒山墨字が自らに与えた任務である。
詳しくは本編を読んでほしいのだが、夜凪は現場や他の役者、演出家たちに影響を受けながら、模索しながらも確かに「素晴らしい女優」へと進化していくのだ。
・観客の求める姿を完璧な俯瞰の演技で応える天使、百城千世子
・どのような役にも類い稀なる役作りで憑依するカメレオン俳優、明神阿良也
・圧倒的存在感を武器に芯の通った芝居を貫く天才俳優、王賀美陸
・努力を惜しまず自分の演技を模索し続ける超イケメン俳優、星アキラ
・演出にその生涯を捧げる演劇界の巨匠、巌裕次郎
・多岐にわたる分野でオリジナルの世界観を作り続ける芸術家、山野上花子
演技というのは実に多様なスタイルや考え方、乗り越えなければいけない壁があるのだと気づかされる。
「才能だけではやっていけない」それが演劇の世界だ。
内面を掘り下げつつ飽きることのないエンタメ性
この漫画の素晴らしいと思う点をあげたい。
まず第一に、「演技」という内面を細やかに掘り下げなければならない分野を真っ直ぐに取り扱っていながら、先に紹介した多彩なキャラクターの登場もあり、実に高いエンターテインメント性を有しているのだ。
心の奥底にあるものを丁寧に描こうとすると、内面的で、どちらかというと「文学的」な作品になりそうなものだが、ストーリーの起伏や主人公の成長、仲間と与え合う刺激、笑えるギャグ的要素など、確かにこれは「王道少年漫画」であり、「週刊少年ジャンプ」の漫画なのだと思わされる。
毎週、安心して「次の展開はどうなるのだろう?」とワクワクした気持ちで本誌を開くことができる。
もちろん、演技をする人たちが考えていること、ぶち当たる壁、自分の中での葛藤など「文学的」とも言える部分は丁寧に描かれる。
この絶妙なバランス感のおかげで、奥行きがありながら全く飽きない。
俳優たちの感情表現が伝ってくる画力
加えて、この漫画全体の魅力を支えている圧倒的な画力にも触れたい。
演技は人の感情の微妙な違いや、役が観る人に与える感情の伝播を丁寧に伝えなければならない分野だ。
つまり、「人を描く力」が極めて高い水準で求められる。
どんなに素晴らしい演技をするシーンでも、いつも同じような表情、深みのない目しか描かれなければ、アクタージュという漫画の魅力は半減してしまう。
だが、この漫画での演技シーンにおいてキャラクターたちは実に奥深く、何かが宿る表情をしている。
特に目の表現力が素晴らしく「演技とはつまるところ目なのではないか」と素人ながら思ってしまうほどだ。
夜凪が演じる『銀河鉄道の夜』のカムパネルラや、『羅刹女』の目は、同一人物が演じているはずなのに、全くの「別人」だ。
とても同じ女子高生とは思えない。
この漫画を読んで、現実世界の役者の努力も想像することができる。
煌びやかな舞台に立ち続け、多くの人が憧れる仕事ぶりの裏には、本作で描かれた役者たちと同じような葛藤や課題と戦う姿があるのかもしれない、とどこか共感できるようにもなる。
ストーリーと画力に卓越した2人の漫画家、原作・マツキタツヤと漫画・宇佐崎しろが織りなす『アクタージュ』は、心から推せる傑作漫画だ。
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