「あの頃はよかった」は、大人のエゴだと思う。
時代を問わず、誰にだって青春があり、思春期があり、気づかないうちに大人の階段を上っていく。
苦くも、辛くも、それでも「その時」が1番だった青春時代。
と、きれいごとでは片付けられない青春がそこにある。
あらすじ・内容紹介
男子はバカだし、関わりを持ちたくないと思って女子高に入学を決めれば、実はそこまでバカでもアホでもなく、意外と普通の奴ら。
毎日お菓子とワイ談、なにもしない青春が始まっていく。
そんな著者が一念発起して「さくらももこ」になるまでの日々を綴った、自伝エッセイ。
『ひとりずもう』の感想(ネタバレ)
思春期あるある!?男子への嫌悪感の目覚め
ほとんどの女子は、かなり小さい頃から男子の事を軽蔑している
これは、思春期の女子のあるあるなのだろうか?
ウンコやハゲやおやじが出てくるようなものばかり読み、給食の最中もふざけて笑って牛乳を鼻や口から出したりし、そうじの時間はホウキをバットにして雑巾を投げて野球をし、いくら先生に注意されてもやめずに、小学生時代から中学になっても同じ事をやり続けている
あぁ、そうそう。
男子ってそんな感じだ。精神年齢が低いというか、やることなすことすべてが幼稚というか。
けれども、さくらさんは、
ついついからかいたくなってしまい、結局私は小学校の頃からけっこう男子と遊んでいた
とのこと。
私は男子を軽蔑はしていなかったものの、年齢が上がるにつれ怖い存在と認識していた。
だからさくらさんも年齢が上がり、
やっと男子の事がバカらしく思えてきた頃
というのは、私とはちょっと違っているのかもしれない。
なぜならバカなことをやっている男子も、中学に入れば体は大きくなり、敵わない相手に思えてくるからだ。
言動がバカでも、何かを指摘したときに倍になって返ってくるのを私は恐れていた。
実際、私は中3の頃、頭の良い男子に勉強を教えてもらったときに、その男子よりもさらに頭の良い男子にその答えを確認したら、先の男子にファイルで思いっきり頭を叩かれた、というエピソードを持つ。
そのとき「男子こわいぃぃ!!」と死ぬほど思ったのである。
(まあ、先に教えてくれた男子のプライドを傷つけた私も悪いと思うけど)。
しかし、女子はいつからか色づき始める。
性の知識を身につけ、
他の女子が色気づいてきて男子を甘やかし始めている
ということが始まる。
色気づき始める前の男子への軽蔑は痛いほど分かるし、色気づき始めた頃からの女子の「男子はバカ」という視点からの脱出は戸惑いを覚えるものだ。
「え?昨日まであんなにバカにしてたのに?」と、手のひら返しのように男子を軽蔑する時代は突如として終わり、「男子とお付き合いする」が始まる。
私は当時、そっちの方をよっぽどバカにしていた節がある。
こんな終わり方ってある!?ちょっと特殊な恋の終わり方
さくらさんは、登校中に目の前を通り過ぎていく男子に片想いしていた。
ほんの5秒の逢瀬。
彼は、
町で一番勉強のできる高校の制服
を着ており、変な話、さくらさんよりも偏差値が高いのは確かだ(失礼)。
はっきり言って全く接点のない2人。
当たり前だけど、恋が生まれるはずもなく。
さくらさん曰く、父が医者か弁護士で、母はヨーロッパの美女で、自分はハーフで胸が大きくて、英語が上手でそれはそれはものすごい美人にならないと彼とは釣り合わないと思っていたらしい(それはそれで、彼が引きそうな理想像である)。
しかし、恋というものは突如終わる。
さくらさんは彼と付き合っていることを想定して、様々なことを細部まで想像していたのだけど、
ある日、彼女は気づいたのだ。
私は、ひとつも彼の事を知らない。名前も知らないし、学年も知らない。何が好きかなんて全く分からない。表面だけが好きなタイプだったのだ。それだけの事で莫大な時間を費やし、くだらない夢の細部までこだわっていたなんて、いっぺん考え直した方がいい。
結果、付き合ってもいない彼を振るということになる。
付き合ってもいない彼氏と破局したのだ。
これには目を見張った。
実は私も、某アイドルとの恋を妄想はすれども破局はしない。
想像(いや、妄想)の恋は、永遠に続くものだ、普通。
そりゃ、ファンを辞めてしまったらそこでストップはしてしまうけれど、こんな形で破局を迎える!?
割と身近な人で、手が届きそうな人との想像の恋が終わるなんて……。
気の毒というよりも爆笑してしまった。
世の中には様々な形の恋がある。
アニメのキャラに恋をしたり、私のように雲の上のアイドルに恋をしてみたり。
手が届かない人だったり、勇気を出せば踏み出せる恋だったり。
けれど、ここまで特殊な破局を迎えた恋をしたのは、さくらさんぐらいじゃなかろうか。
夢に対する微調整
さくらさんは最初、正統派な少女漫画を描こうとしていた。
近所の文房具屋で道具を買い、慣れないペンでストーリーをひねり出しながら少女漫画を描いた。
最初に描いた漫画は、見事になんの賞にも引っかからなかった。
そこでさくらさんは言う。
なれるわけないじゃないか。漫画家なんて、なりたい人が山ほどいて、すごく上手でもなかなかなれないのに、別に上手でもない私がちょっと描いてみたからってなれるもんじゃないよなァ……。
私も小説家を目指していたから、この言葉にはずしんとくるものがあった。
今は読みたい人よりも、書きたい人の方が多い時代。
ちょっと学生時代に作文がうまいと褒められたからって、イコール小説家に向いているわけでも、なれるわけでもない。
浅はかな考えなのだ。
そこからさくらさんの夢への微調整が始まる。
正統派な少女漫画の絵も内容もやめ、イラスト風の絵に変え、エッセイ漫画に方向転換したのだ。
それは見事に成功し、少しずつ入賞を重ね、ついには『ちびまる子ちゃん』でデビューを果たした。
さくらさんは、あとがきでこう言っている。
ひとつのスタイルをずっと追いかけ続けてなかなか上手くゆかなかったら、もしかしたら人生の莫大な時間もムダにしてしまうかもしれない。
と。
私も、とにかく文章を書きたいという本筋からは外れず、小説を書くというスタイルはやめ、書評を書くという微調整を行い、今がある。
夢に対する微調整をおこなうことは、けっして夢を諦めるということではなく、ちょっとした地ならしのようなものだ。
まとめ
さくらももこさんは2018年8月にご逝去されてしまった。
今も国民的アニメとして親しまれている『ちびまる子ちゃん』は、元気に画面の中で生活しているのに。
なんだかそれってちょっと不思議な感覚だ。
ちびまる子ちゃんは画面の中で生きているのに、さくらさんはもういないなんて。
さくらさん。
さくらさんがこの世からいなくなっても、私たちにはちびまる子ちゃんがいます。
これからもまる子ちゃんと共に、あなたの過ごした青春と一緒に生きていきます。
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