あらすじ・内容紹介
7歳の少女を殺した14歳の少年A。
残酷なやり方で光を失った遺族。
加害者を崇拝する女の子、莢。
可愛いと思えない妹夫妻の娘の世話をさせられる作家志望の女性、今日子。
7歳の少女が殺害され、その体の一部を教会に置かれた凄惨な事件を軸にして4人の人生が進んでいく様子を描いた群像劇。
国が、金と時間と人材を、僕のような人間に注ぎ込んだ一大プロジェクトだった。それほどまでに、僕はこの国に存在してはいけない人間だったということなんだろう。」
「母さんと離れたくないのよぅ」「お母さんはここにいるよ。だいじゃうぶよ。」
「一度叩けば、手は止まらなかった。」
「あの人がハルノブ様ではないとしたら、自分が今抱えてる苦しさは、半分になるのだろうか。あの人がハルノブ様だとしたら、自分は今と同じように、あの人を好きでいられるだろうか。」
ここに登場する人物は、みな一筋縄ではいかない感情、日常を抱えている。
『ふがいない僕は空を見た』で第24回山本周五郎賞を受賞した窪美澄が放つ、一筋縄ではいかない問題作だ。
さよならニルバーナの感想(ネタバレ)
ページを捲る手が
ページを捲る手が止まりませんでした!
なんて謳い文句とは正反対のものがこの本にはあった。
水中に潜っているような感覚。
暗くて辛くて息が出来なくなるから、時々ページを閉じてふぅと息をつく。
紙の1ページが、まるで鉄の扉のように重い。
開くのすら躊躇してしまいそうになる。
だって捲ればそこにあるのは痛みと苦しみだから。
読んでいると、各主人公の気持ちに「その気持ちも分からなくはないかも」と同情してしまいそうになり、その手前で立ち止まる。
分かるわけなんてないのだ。
そんな経験を私はしていない。
愛情をたっぷりかけて育てた子供が残酷な方法で殺されることも、穏やかに生活をしていたのにそれを生みの親に壊される少年Aの苦しみも、殺人犯に恋をしてしまう莢の気持ちも、家族に巻き込まれて人生が崩れていく今日子の気持ちも、心の底から「分かる」なんて言えなくなってしまった。
それぞれの苦しみ
それぞれが抱えてる地獄を追体験していると、次第に何が正しくて何が間違えているのか、分からなくなってくる。
人を殺すのはいけないこと。
そんなの分かりきっているはずなのに少年Aが抱えた地獄を見ていると、少年Aを罰することが本当に正しいのか?と心に雲が現れる。
殺された少女、光の母を主に遺族が抱えていた、重くて長い苦しみ。
とくに光の母の心境
光ができなかったこと、あの子がしてるんかと思うと、光がされたのと同じこと、あの子にもしてやりたい。
の部分を胸に刻んでいたはずなのに、次の章では少年Aの受けた痛みに胸を痛くなる。
なんてムゴイ構成なんだろう。
最愛のおばあちゃんから無理矢理引き剥がされ、流されやすい母のせいで自分の居場所もちゃんと確立出来ず、ひどいいじめを受けていた少年A。
自分がマウスにされないためには、自分が誰かをマウスにしなければいけない
絶対に許せない事件を起こした少年Aの思考ですら、その環境下なら仕方ないのではと思ってしまった。
地獄なのは当事者同士だけではない。
殺人犯に恋をした莢の抱える、”好き”という感情のどうしようもない引力も、家族に翻弄され救い手を求めてしまう今日子の倫理的じゃないけれど共感の余地を残す部分も
その環境下ならという形容詞をつけると、簡単に否定することは出来なくなってしまう。
人間には苦しくなると分かっていながら、あえて地獄を選んでしまう人種がいる。
ただ好奇心だったり、自分の意思じゃない場合だったりと、その渦中にいる人にしか本当の心境は分からないだろう。
気が付いたら地獄だった、間違えていると分かっていたけど、という経験がある私たちは、果たして彼らを真っ向から否定できるだろうか。
人間の中身
人間の中身が見たかった。
少年Aは光を殺害した理由をそう語っていて、この本の核になる言葉だと感じた「人間の中身」。
人がひた隠しにして、心の奥底に沈めてしまうもの。そこに確かにあるのにみて見ぬふりをしてしまうもの。
人間は自分のなかに暗い感情を秘めている。
怒り、憎しみ、悲しみ、妬み、苦しみ。
窪美澄も、私も、これを読んでくれている人も、べらっと皮膚を剥いで心臓のなかに手を突っ込めば、見てしまったことを後悔するような感情が渦巻いている。
ドロっとして、血生臭くて、人に言えない負の感情。
昼間に星がないのは、太陽が眩しすぎて弱い光の星は見えないからという話を聞いたことがある。
それと同じで、見えないだけでちゃんと心にあるのだ。暗い感情が。
そこにきちんとフォーカスを当ててくれるところが窪美澄の強みであり、多く人が彼女に惹かれる理由だろう。
自分のなかの、そういう感情もひっくるめて人間なんだと思うと生きるのが少し楽になる。
それと同時に少年Aの中身と私の中身は何が違うんだ?という疑問が浮かんできて、心に入道雲が立ち込める。
育てるとは
僕が悪いことをする理由。その原因と答えを、母は、誰かが教えてくれるのだと思い込んでいた。
強い力で頬を張ってほしかった。そうすれば、あのとき、僕はこちらの世界に戻ることができたんじゃないか
少年Aの心理描写から抜粋した、この文章は私の胸を打った。
誰だって間違える。
大人が間違えるんだから子供だって間違える。
それを正していくのは、大人としての役割なんじゃないだろうか。
弱いわたしの代わりに誰かが、正してくれるはず。という少年Aの母の心理が私には分かる。
それは私も弱い人間だからだ。
もし私に子供がいて、その子が間違えてしまったら叱れないかもしれない。
嫌われるのが怖いから、傷付けたくないから、そんな心理が働いてしまうだろう。
この文には叱ることがいかに大切なことか逆説的に描かれている。
親としての役割は子供を正すことだ。
子供を育てる人は、どんな形であれ、親なのだ。
暴論になってしまうけれど、親が叱らなければいけない。
愛する子供が凄惨な事件を無関係なところで生きるためには。
『さよなら、ニルヴァーナ』を読んで味わった苦しみを、私は無駄にしたくない。
主題歌:syrup16g/STAR SLAVE
syrup16gのSTAR STLAVEだ。
暗い感情を掬い上げるように曲にしてくれるsyrup16g。
彼らのこの曲がピッタリではないだろうか。
其れ逸れの宇宙で もがいてる夢中で
のフレーズでは主人公たちが翻弄されて、人には言えない闇のなかでもがく姿がフラッシュバックする。
いつだって そうやって 間違ってくんだ 還る場所を
見えないけどそこに存在する昼間の星のように、普段は見えなくてもハッとした瞬間に間違えた記憶はやってくる。
腕にはめた輪ゴムをパチンと弾いて浮ついた心が我に返すことと、「間違ってくんだ」という歌詞を聴いて、間違えない選択をすることは近いのかもしれない。
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金原ひとみ『持たざる者』人には人の地獄が存在するなかで「それでも生きていくんだ」と思わせてくれる本。
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