殺意はあったけれど直接手を下したわけではないA。
殺意はなかったけれど直接手を下すことになったB。
2人のズレがイヤミスを産む。
あらすじ・内容紹介
「愛美は死にました。しかし事故ではありません。
このクラスの生徒に殺されたのです」
我が子を校内で亡くした中学校の女性教師によるホームルームでの告白から展開される物語。
「級友」「犯人」「犯人の家族」と告白していく人物が変わるごとに、少しずつ事件の全貌が明らかになっていく。
イヤミス女王と呼ばれている湊かなえの衝撃的なデビュー作だ。
湊かなえ『告白』の感想(ネタバレ)
パズル
一文、一言がパズルのピースみたいで、ぱっと見では分からない形だとしても捨てずにとっておけば、「そういうことだったのか」とパチリパチリとハマっていく瞬間にハッとする。
殺人の動機、それに伴う行動、復讐の方法、その理由。
それらの一つ一つが告白を構成している。
どこか一つでも欠けてしまったら完成はしない。
見事な伏線の回収の仕方、計算し尽くされた文に思わず興奮してしまった。
ジェットコースター
六つの章に分けられている告白だが、どの章のラストも終わり方が突然だ。
例えば、第一章 聖職者のラスト一文。
これで終わります
と閉じられているのだが、どうしても続きがあるような気がしてならない。
その先は自分で想像して彼らがどう動いていくのか読者が自由に想像出来るはずなのに、どうしても悪い方に想像力が広がってしまう。
乗っていたジェットコースターが登りきったところで、途中で線路が無くなってしまうような感覚。
レゴブロック
人間失格然り、堕ちていく物語、壊れていく物語にはどこか快楽を持っている。
壮大な時間を掛けて作り上げたレゴブロックの建物を壊されるのを見届けるような気持ち良さ。
何かを壊すのは気持ちが良い。はずなのに告白にはその快楽の要素がない。
むごい復讐を終えた森口でさえも、やり返した後の爽快感は感じていないように思う。
彼女の今後の生活はきっと、ジメッとしていて静かなものだ。
少し早く起きて朝ごはんを作って食べる、ような優しくて温かい生活はしない。
この事件のことを思い出して淡々と人生の時間を過ごしながら、たまに”天才博士研究所”のことをネットで検索する人生なような気がする。
キャラクター
告白はキャラクターの書き分けが上手い。
それはきっとシナリオがキャラクターを支配してるのではなく、キャラクターがシナリオを動かしているからだろう。
温室育ちの直樹は、末っ子気質で分かりやすいほど甘やかされて育っている。
だから直樹の告白は読んでいて怒りを覚える。
殺意があって愛美をプールに投げたはずなのに、死ぬのが怖い、家を追い出されることが怖いと告白している。
親を失ってしまっては何も出来ない、行動に責任を持てない、中学生らしい弱さに同情する。わけがない。
自業自得なのではないかと思うのだ。
その一方で、甘えん坊で気の小さい直樹が抱えている焦燥感は私にも覚えがある。
“バレたくない“がバレてしまいそうなとき、人間はものすごく弱い生き物になる。
つい、魔が差して大なり小なり悪行をしてしまい、それが問題となって犯人探しが始まってしまったときの焦燥感。
生きている実感が沸かない長すぎる時間。
手にかいた汗、喉が乾く感覚。
自身のそんな記憶を思い出して読みながら、また手に汗をかく。
倫理観
修哉の章では、中学二年生特有の「自分は他の人とは違う」いわゆる”厨二病”が完璧に描かれている。
世界の中心は自分、自分以外の生き物は下等。それでいてお母さんのことは大好き。
反抗期はきっと誰しもが通る道。
こうすれば親に迷惑がかかる、と分かっていながらやってしまうこと、私には何となく分かる。
私もやってたから。
大人になってから気がついたのはあれは甘えだということだ。
甘えたい時期に、本当に甘えたい人が居なかった修哉に同情をするけれど、私はこの人間を簡単には許せない。
許してしまうと自分も甘えてる人間になってしまいそうだからだ。
どんな悪行も「〜だから仕方ない」の一言で片付けてしまっては倫理観に欠ける人間になってしまう。
それとこれは関係ないのだが、倫理観とは真逆の気持ちで、悪人には思い切り痛い目を見てほしいと思ってしまうことは人間として間違えているのだろうか。
余白
誰よりも怖いと感じた。
娘を殺した犯人が目の前にいるにも関わらず淡々と告白をしていく森口が、最も怖い。
文章から人の体温が伝わってこない。
底が見えない人のことが私は怖い。
森口は最愛の娘を失っているはずなのに、何故この物語のなかで一番冷静で居られるんだろうと悩んだ。
単純に穏やかな性格なのかもしれないと思い込んでいたけれど、多分違う。
多分、冷静を装っているだけだ。
冷静な判断基準を持っていたなら、あんな行動しないはず。
綴られている文章の裏側に森口の取り乱した言動、思想があるのだと思うと告白は更に重みを増す。
書かれてないからこそ、描かれている。
この余白が読書の楽しさを加速させる。
まとめ 愛情とは
“愛情と甘やかすことは別物です。”
森口の放ったこの言葉は、どの登場人物にも刺さる。
この事件は誰かが甘えていったツケが回り回って起こっている。
誰かを甘やかすことはとんでもない毒を持つのだ。
依存性も高い。
とは言えど、愛情があれば甘やかしたくなってしまうのも事実。
私は猫を飼っていたことがあるが、甘やかし過ぎてしまってブクブクと太らせてしまった。
猫でさえそうしてしまうのだから、我が子に対して外国のお菓子くらい甘くする親の気持ちも分からなくはない。
その線引きはどこで付けたら良いのだろう。
英語では「甘やかす」ことを「 spoil (腐らせる)」と言うらしい。
成長のチャンスを奪い、自立へのきっかけ失わせる。
それが甘やかすことであり、腐らせる原因。
親子関係に関わらず人間関係においても、甘やかすことは互いに負担になってしまう。
もし登場人物の誰かが愛情と甘やかすことの違いを明確に分かっていたのならば、愛美は死なずに済んだのかもしれない。
この物語を他人の作ったフィクションと捉える人と、読後に嫌な気分になった人とでは、少しだけ未来は違ってくるのかもしれない。
主題歌:女王蜂/Q
告白を読んだ後のスッとしない気持ちと、女王蜂のQを聴いたあとに心が沈む感じ。
紅茶を飲んでいて、最期の一口に溶け残った砂糖がジャリジャリと口の中で邪魔になるときを思い出した。
修哉が母親を想う、まっすぐでわがままな気持ちがこの曲とリンクしてしまって遣る瀬無くなる。
何をされても子は親を選べない。
どんな親であろうと代わりは効かない。
殴られようが、去られようが、修哉にとって母は大好きな母なのだ。
最後のフレーズが〈母さん譲りの泣き顔が鏡の中で佇んでる〉砂糖のように溶け残る。
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