金原ひとみ=突飛で、鋭利な文章を書く作家だと思っていました。
『蛇にピアス』はご存知の方も多いでしょうか。
彼女の作品に登場するキャラクターには、興味、まったく別の次元を生きる人間に対するある種の羨望を抱くことはあれど、その「生きづらい、生きづらい」という叫びが持つ衝撃波に頭がぼんやりとしてしまうのが常でした。
本作『持たざる者』も救いを与えてくれる作品ではありません。
ただ、この現実を書き上げた金原ひとみの逞しさに、私は改めて惹かれました。
あらすじ・内容紹介
舞台は、震災から二年後。
原発事故による放射能被害を恐れ、徹底して妻と娘を守ろうとしたが、妻の猛反発の末に離婚。
デザイナーの仕事もまったく手につかず、ぼんやりと浮流し続ける修人。
東京で一人暮らす修人は、一時帰国中の千鶴と再会する。
千鶴は、夫とのフランス暮らしを経て現在はシンガポールに在住。
どこか諦観している彼女も、大きな喪失を経験をしていた。
千鶴の妹エリナは、原発事故の直前に東京を離れて沖縄、さらにイギリスへと移住。
幼い娘と二人、淡々と暮らしている。
エリナがロンドンで知り合った朱里は、夫の海外赴任が終わるのに先んじて娘と帰国するが、二世帯住宅を義兄夫婦に占領されていた。
夢見ていた穏やかな暮らしを汚されたと怒り嘆く。
「Shu」「Chi-zu」「eri」「朱里」の4章に分かれ、それぞれの視点で、“喪失”や“取捨選択”を経て生きてゆく様子が描かれている。
持たざる者の感想(ネタバレ)
自分は唯一無二である、という幻想
自分は唯一無二であるという私の幻想、思い込みが打ち砕かれただけだ。
エリナのこの言葉に、殴られた気がしました。
本作に登場する4人は、何かを喪失しています。
塞ぎ込む人、狼狽える人、憤慨する人…様々ですが、喪失を経ることでみな、言葉は違えど、自分は無力だという思考に到達していきます。
朱里は、こう吐露します。
私は今、自分が何も持たない、何も生み出さない限りなくゼロに近い存在であることに傷ついている。
自分には無限の可能性があると、学生時代は私も思ったものですし、今でも信じたいものです。
でも、単純にそうではないのかもしれない。
彼女たちの言葉は、衝撃的でした。
何かを選ぶことは、何かを手放すこと
本来は何も持たない者(=「持たざる者」)たちが、それでも生きるため社会と接する、その随所で選択肢に出会います。
家庭の都合に流されて見える朱里すら、実際は、主婦として旦那に寄り添う人生を選んでいるのです。
ひとつを選び取り、残りの選択肢は捨てる。
取り戻せる可能性はゼロではないかもしれないが、少なくとも後戻りは出来ず、世界はまわり続ける。
余裕がある時、順風満帆な時には気付けないけれど、生きる者みなに与えられた現実です。
我々は決断という責任を背負って生きているのだという提起が、震災や育児というテーマを用いながら、展開されます。
…だからといって悲観することはないと思っています。
もしかしたら作者の意図からは逸れるかもしれませんが…
夢に到達するにも、自分は唯一無二でも何でもないから、目の前の選択肢をひとつずつ選び取っていくしかない。
努力や偶然がその選択肢を増やしてくれるかもしれないし、時に必然的にひとつの道しか選べない時もあります。
繰り返すように私たちは超人ではありません。
ただ自分の決断と結果を受け止めながら駒を進めていくべきなんだろうな、というのが私の考察です。
まとめ
作者の姿が色濃く投影されているのが、金原ひとみ作品の魅力のひとつです。
本作でも、彼女の分身が随所に潜んでいます。
例を挙げるとすれば、震災を機に彼女自身もフランスへ移住をしていますし、不慣れな土地で二人の娘を産み育てています。
震災直後の焦燥感や、異国でのコミュニティ形成とその距離感など、表現に痛切なほどのリアリティが感じられるのは、彼女のなせる技だと思うのです。
自分の叫びを洗いざらい表すことは、相当のエネルギーを要するはずです。
共感の涙ものに仕上げてしまわず、身を削るように書かれたであろう本作は、そのエネルギーの分だけ惹かれる強さがあります。
今回は、作者の姿が主人公ひとりに投影されず、4人が少しずつ作者の影を持っている形なので、その心の声も良い塩梅に分散されています。
そのため感情の波にのまれることなく、読みやすさも感じました。
4人を通して、当時の金原ひとみの姿が浮かび上がってくるようでした。
自分がコントロール出来る事象などほとんど無い。
それでも生きていくということを受け止めた4人、ひいては金原ひとみは、とても逞しい。私はそう思います。
主題歌:椎名林檎/ありきたりな女
椎名林檎「ありきたりな女」
わたしは今やただの女。さよなら、あなた不在のかつての素晴らしき世界。
子どもを産んだことで、それまで抱いていた価値観に揺さぶりをかけられた母親が、本作には複数人描かれています。
子どもへの愛に偏るでもなく、失った輝きを嘆くでもなく、ただ世界が変わったことを受けとめGOOD BYEと謳うこの歌を彷彿させました。
追記
直近でもう1冊、近しいメッセージを受け取った作品を紹介します。
震災の前後を描くなど、舞台設定に似た部分もあります。
どちらかが気になった方、読んだことがあるという方は、ぜひ併せて手に取ってみて下さい。
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掲げるテーマは異なるかもしれませんが、子を育てる母たちを描いている点で近しいものがありそうです。
金原ひとみさんの本は、『蛇にピアス』を読んだだけでしたが、淡い桃色さんの書評を読んで、この本を含め、彼女の本を読んでみたくなりました。
「何かを選ぶことは、何かを手放すこと」というメッセージ、すごく腑に落ちます。
今までの人生で、手にしたいと思ったものが手に入らなかったことがたくさんありました。悲しくなったり、それを手にしている人を羨ましく思ったりしますが、でも、その度に、「私はきっとこれから別の何かに選ばれるんだ」と自分を励ましてきました。
結果、望んだものが今手に入っていなくても、今の自分やその環境に満足していたり、意外としっくりきていたりします。人生なんとかなるようになるんだな、と思います。