「現代名作文学を読むなら、最低でもこれだけは読んでおかねば!」と手に取ったものの、タイトルの暗さからなかなか手をつけられずに、気づけば本棚に眠ってしまうことも多い本書。
この記事では『人間失格』がどんな話か、短い時間でも全体像を理解できるようあらすじを紹介するとともに、私自身の解釈も述べていきたいと思う。
目次
『人間失格』とは?
私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
という第三者の手記から始まる。
三枚の写真を元に、幼年期から少年、青年期を経て、大庭葉蔵という人物の半生が語られていく。
どのような過程を経て三枚目の写真のような容貌に変わっていったのか。
この作品は飽くまでもフィクションだが、太宰治の経歴と重なる部分が多い。
この物語で、彼が何を思い何を感じたか、葉蔵を通して垣間見ることができる。
『人間失格』のあらすじと感想(ネタバレあり)
第一の手記【道化を演じ始めた少年時代】
幼少期の葉蔵は道化だった。
裕福な家庭に生まれ何不自由することなく育てられたものの、彼は幼いながらに大きな問題を抱えていた。
つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。
「他人の苦しみ性質、程度」がまるで見当がつかないゆえに、他人を自分の言動で傷つけるのを極端に恐れた。
その結果、彼は道化を演じるしかなかった。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。
幼い頭で人を笑わせようと必死の「サーヴィス」をする葉蔵は、まるで捨てられた子犬のようだなと思った。
葉蔵自身は金持ちの坊ちゃんなのに、なぜそこまで自分をなくして他人を気にしなければならなかったのだろう。
私は初読時に、これは他人から傷つけられたくないための自己愛だと思った。
他人の反応を気にして自分に道化という仮面を被せてしまう。
仮面を剥がされそうになれば、子供なりの策を講じて守ろうとする。友人の竹一に対する反応がそれだ。
だけど再読して、自己愛よりむしろ自分が無いのではないかと思った。
裕福な家庭に育った葉蔵は、自我を芽生えさせるより自己と他者との境界が曖昧になって周りに同化していったのかもしれない。
第二の手記【悪友に影響され酒、モルヒネ、女に溺れる青年時代】
「お道化のサーヴィス」という技を身につけ人気者になった葉蔵は、美しく魅力的な青年に成長した。
そうなると、街灯に蛾が集まってくるのと同じように人が寄ってくる。
そしてできた友人が悪かった。蛾ではなく毒虫の部類。
ここでまた違ったタイプの友人関係を築けていたら、その後の葉蔵は全く違う人間になっていたかもしれない。
この友人の悪いところは、自分が美味しい蜜を吸っために悪い遊びを教えるのに、自分だけはちゃんと引き際をわきまえていて、葉蔵が困った状況に陥ると簡単に離れていってしまうのだ。
葉蔵も葉蔵だ。女と酒に流され、やがてはモルヒネにまで溺れてしまう弱さ。
私は葉蔵を「自己と他者との境界が曖昧」と書いた。
もう一つ、彼は「自己と他者のどちらにも無関心」なのだと思う。
だから、よく知りもしない愛してもいない女と思いつきで心中ができてしまう。
第三の手記【愛する人を穢され破滅へ向かう晩年】
学業をドロップアウトして生活にも困るようになってしまった葉蔵は、金はなくとも女には好かれた。
理想とは違っても漫画を描くことで少しずつ収入も得ていた。
そんな中、事件は起こった。
処女性に惹かれて内縁関係になったヨシ子が目の前で汚されてしまう。
葉蔵は助けることも声をあげることもせず逃げだしたのだ。
それを境に葉蔵の生活は破綻していき、とうとう脳病院に入れられてしまう。
人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
人間で無くなったなら一体何になるのだろう。
葉蔵自身、ヒキガエルに例えたことはあったけれど…。
私は「植物」だと思う。
能動的に動くことをせず、周りの環境によって生育を影響される。
親からの生活費がなければ枯れてしまうし、同じ種で助け合うこともしない。
葉蔵という名前もそれを連想してしまう。
三枚目の彼の写真は、もうすぐ生命を終えて枝から離れようとする木の葉のようだと思った。
まとめ
悪友、堀木と対義語(アントニム)の当てっこをする場面で、「罪」のアントの結論が出ないままになっている。
神でも救いでも愛でも光でもない、「ドストエフスキィが罪と罰をシノニム(同義語)と考えずアントニムとして置き並べたものとしたら?」という考えの途中で読者は置き去りにされる。
私もまだ結論は出ない。
けれど、今のところ「赦し」が自分の中でいちばんしっくりくる。
皆さんはどう思うだろう。
約半年前にはじめて『人間失格』を読んでから、この作品のことを時々思い出して考えることがある。
正直、あまり好きな作品ではなかったのに。
この作品を読むと、誰しもが自分と似た部分を見つけて「これは私のことが書かれている」と思うそうだけど、やはり私もそうだった。
それは初読よりも再読のほうがより強く感じた。
私も葉蔵に感じたように植物に似ているのかもしれない。
枯れて枝から切り離されるまで、社会という名の樹に、一枚の葉っぱとしてしがみついていくしかない。
この本の主題歌:Billie Eilish/when the party’s over
本作に主題歌をつけるとしたら、Billie Eilish『when the party ‘s over』を選ぶ。
パーティーが終わって迎えに来て欲しいのにひとりで帰る道。
その静けさに強がってみせるという寂しさを感じる曲で、『人間失格』に出てきた女性たちの誰にも当てはまりそう。
また、パーティーを「人生の若くて美しくモテた時期」と考えると、葉蔵の人生にも重なることができるんじゃないかと思ってこの曲を選んだ。
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人間失格は僕も好きな作品です。なんとなく葉蔵に共感できてしまう自分もいて、「こうなったら終わりなんだな」という反面教師としての物語としても機能しています。
最近読んだ伊藤計劃の『虐殺器官』SFの名作小説でも「罪に対してどう向かい合うか」というテーマが伏流しているように思ったので、通ずるものがあるなと気づかされました。
僕が考える「罪」のアントニムは「償い」です。
「罰」よりは希望が、「赦し」よりは真摯さがあると個人的には思っています。
ひかるさん、コメントありがとうございます!
なるほど、「償い」ですか。
罪の意識とか罪を感じるというように「罪」を内的なものと考えると、「罰」や「赦し」は外的なもので、「償い」は同じ内的なものに感じますね。ちょっと私の言葉では分かりづらいかもしれないけど。
それにしても、太宰は難しい疑問を残してくれましたね。彼もずっと考えて答えがわからないから読書に投げてしまったのかも。
反面教師、よくわかります。たぶん、私も含めて葉蔵のような性質の人間は、堀木のように要領よく渡り歩けないんですよね。三葉目の自分の写真を見せられない限り。
そう考えると、私が以前書いた記事、『クリスマス・キャロル』の三人の幽霊に通じる要素があるのかなと思います。
伊藤計劃さんの作品はまだ読んだことがないんです。そのようなテーマがあるんですね。気になってはいたので是非読んでみたいです!