【鳴り響き続ける虐殺の音と償い損ねた2人の男】伊藤計劃『虐殺器官』(🎵オアシス『Falling Down』)

 

物語を読んだ後で頭が働かず、しばらく座席でぼうっとしていた。

高円寺にある読書カフェを包む静けさと店内にある水槽に垂れる水の音を聞きながら、頭の中では人々の虐殺の音が鳴り響く。

爆音、銃声、悲鳴、すべてが終わった後の静けさ。

二十一世紀のゼロ年代、国内最高のSF傑作と評された本作において人々を虐殺に駆り立てたのは、核兵器でも、政治でも、宗教でもなく、ある文法だった。

不気味に進歩を遂げたデータ管理システム

近未来地球。各先進国はテロの脅威を未然に防ぐため、人々のあらゆる行動を電子的に監視、徹底したデータ管理を行うことによって天網恢恢疎にして漏らさずを地で行くようなインフラ体制を整えた。

普段通る道から、買うもの、どこで生まれ、どこで育ち、どのような人生を送り、どう死んでいったのか。

捕捉可能なあらゆる行為がデータ保存される。それらをすべて統合して、誰もが自動的に自分の伝記を生成することができるまでに記録技術とAIは進歩を遂げていた。

本書は2001年に書かれた物語だが、スマートフォンやGPSが日常に溶け込んだ時代に暮らす私たちも知らないところで情報は吸い取られている。

まるで、人の身体から情報が蒸発して大きな雲(クラウド)になるみたいに。

たとえ私以外私じゃないのと叫ぼうとも、現実問題SiriやGoogleやAmazonは、私以上に私のことを知っていたりする。

睡眠時間やアプリの利用時間、移動した場所、記憶から薄れつつある過去の写真、ふとした時に残した人前に晒せない愚痴みたいなメモ。

閲覧したWebサイトの記録によって私に最適の広告が表示され、Amazonでは購入履歴から私が次に買うべきものを無言の営業マンが勧めてくる。

不気味だ。

そのような不気味さを人々に気づかせず、便利さに慣れさせてゆくまでが「技術的イノベーション」の工程なのかもしれない。

謎の内乱勃発

先進国が「プライバシーの代償」の上に「テロからの安全性」を成立させる中、発展途上国では次々と原因不明の謎の内乱が起こっていた。

平和な国に、いつとは知らず過激派陣営が組織化され、その首謀者が現れる。

国民同士の大規模な内乱が勃発し国家は混沌へと向かう。その繰り返しだった。

一方、「戦争」は経済体系の一部に取り込まれ、テロの多発により暗殺は一つの解決策として暗黙の同意を得ていた。

主人公クラヴィス・シェパードは、内乱の中枢にいる者をアメリカ国家の命令で暗殺をする特殊部隊に所属する大尉。

最新のテクノロジーによる武器、投薬やカウンセリングによる殺人のための倫理観のチューニング、熟練の暗殺技術とチームワーク、卓越した状況判断能力などが備わっており、淡々と任務をこなしていた。

その内、終わりの見えない戦禍の元に一人の男の存在が浮かび上がる。

彼は、「虐殺の文法」を操る男ジョン=ポールであった。

 

※※※※※「文法」の詳細については本書で確認していただきたいので割愛します。※※※※※

※※※※※ここから先は結末を含むネタバレとなります。本書を読んでいただいた後、ご覧いただけると嬉しいです。※※※※※

 

引き継がれていく「虐殺の文法」

本書を読んで一番考えさせられたテーマは、「人は償うことができなければ、罪を犯しつづけるしか選択できなくなるではないか」という仮説である。

シェパードは、交通事故で脳死の(ような)状態に陥った母を自らの選択で完全な死に至らしめ、初めて自分の意思での「殺人」を犯してしまったことと、職業的な「暗殺」との間に倫理的整合性が取れず苦しんでいた。

しかし、虐殺王ジョン=ポールの訳ありの恋人ルツィア=シュトラウプから「人は選ぶことができる」と諭されることによって、彼は自分の殺人が「自分の意思によるものである」ことを願うようになる。

せめて自分が悪者であり、自分の選択によって殺しているのだと思わなければ、一体人を殺し続けている自分が誰なのかわからなくなってしまうからだ。

そして、彼は恋心を抱くルツィアに「僕は自分の意思で殺してきた」と告白し、彼女から赦しを得ると同時に、償いの人生を歩み始める。

はずだった。

だが、ルツィアはシェパードの信頼する仲間の手で、ジョン=ポールは味方の部隊の一員の凶弾ならぬ「正義の銃撃」によって逮捕されず死んでしまった。

その時ジョン=ポールから渡されたメモによって、虐殺の文法はすでに施されていたのだろう。

シェパードは償う機会を逸し、これまでの殺人を正当化するために「正義を目的とした」虐殺の文法を自分の手で駆使し、「次の虐殺王」の継承先となり果ててしまった。

 

償い損ねた2人の男

「仕事だからこうしているだけであり、本来の自分なら決してこのようなことはしていないはずだ」という罪悪感の伴った行為を繰り返していると、「私」はすっと影が薄くなるみたいにいなくなってしまうのではないか。

「自分のせいじゃない」と言い聞かせることで、自分の存在はどんどんマシンみたいに心のないものになっていってしまう。

それよりは、「自分が悪いやつで、おれは殺したいから殺した。だから償うのだ」と言った方が、彼にとってはまだ救いがあったのだろうと思う。

でも、彼は結局のところジョン=ポールと対峙した一件を通して「償う」という選択肢が奪われてしまった。

愛する者に罰せられ、世界に殺戮の真実を告発する機会を逸してしまった。

誰か一人のせいではなく、おそらくは「システム」というラスボスによって。

自分のしたことを償えなかったことによって、シェパード大尉もジョンポールも自分の悪事を正当化し続けていくしかなくなった。

万引きをしてしまって自分で「悪いことをした」と思うことができなければ、万引きをし続けることでそれまでの自分の行為を正当化するしかなくなってしまう。

彼らの場合、万引きでなく国家的大量殺人を続けた。

一人は家族がテロに巻き込まれていたときに愛人と寝ていた罪を、一人は「国家の命」という思考停止によって犯し続けた殺人の罪を償えなかったことによって。

「ゼロ年代SFベスト」国内篇第1位獲得作品。

『虐殺器官』の主題歌

私にとっての本書の主題歌は、オアシスの『Falling Down』だ。

退廃的な空気感と胸騒ぎのする曲調と、大いなるものに抗えない無力感を歌った歌詞が、この小説が持つグレースケールな色彩に立体感を与えてくれる。

※歌詞の対訳はここのサイトのものが一番深く突っ込んでいると思う。

こちらもよろしくお願いいたします。

◯この他の『虐殺器官』の主題歌はこちら

◯本の主題歌を決める読書会「BGMeeting」

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