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『光待つ場所へ』辻村深月【理想と現実の狭間で苦しんだ君へ贈る、「生まれ変わる」ための短編集】

この本の評価
読みやすさ
(5.0)
面白さ
(4.0)
理想と現実に苦しむ度
(5.0)
装丁の美しさ
(4.5)
新しい出会いが見つかる度
(4.0)
総合評価
(4.5)

理想と現実の間で苦しんだ、全ての方へ。

過去のあなたが失くしていたものを今一度、見つけに行きませんか?

この本にはあなたが見つけられなかった、「新しいあなた」になるための可能性が、ひっそりと眠っているのかもしれませんよ。

報われなかった努力も、運命を変えてしまうほどの出会いも、虚飾にまみれた過去にも、きっとかけがえのない「あなた」がいるはずです。

あらすじ

この小説は、6つの短編から成り立っています。

まえがきに値する掌編、冷たい光の通学路。絵を描いて生きてゆくことを決心した主人公が、本物の才能の持ち主に出会ってショックを受け、恋心に気付いてゆくしあわせのこみち

ドイツへ一人旅をしに行った主人公が、別れた彼女のことや友人たちのことを回想しながら、自分の気持ちを再認識するアスファルト。「チハラトーコ」という女性が、嘘を吐き続けた自分の半生を振り返りながら、ある女性から言われた言葉と向き合うチハラトーコの物語

コンクールのピアノ伴奏を引き受けた女の子をめぐって起きた、女同士のいざこざと意地と才能についての物語、樹氷の街。そして、最初の掌編と呼応するエピローグ冷たい光の通学路 Ⅱです。

注意
以下、ネタバレ注意です

「光待つ場所へ」の感想(ネタバレ)

しあわせのこみち

主人公の清水あやめにとって絵画とは、自分の世界に閉じこもることでした。ところが、彼女のアイデンティティを揺るがしうる出来事が襲います。

フィルムが私に見せた世界は美しかった。

技法の名前は知らない。スピードを感じさせずにゆっくりと視点が落ちるこの撮り方に、当然名前はあるだろう。しかし、映像だけで十分だった。私を打ちのめすには、十分すぎると言えた。

田辺颯也が作った、三分の映像の中にある「才能」を見破ったあやめ。

友人の高島翔子と比べても、自分より上の技術を持った人間はいないと信じ込んでいた彼女は、あっけなく心を打ち砕かれてしまいます。

身を削って絵を描こうとする翔子のような人間がいる一方で、才能という武器を備えたうえで、何でも手に入れてしまう田辺のような人間も存在するという現実。自分の能力を信じ切っていたあやめにとっては、不意打ちだったのでしょう。

自分の世界へ逃避してしまう彼女性格を見抜き、口を開かせることによって鷹野への感情を思い起こさせてしまう、田辺の自然な態度に舌を巻きました。

終盤で田辺があやめに語った、「去年のコンクールで泣いた」という弱音。彼の才能に圧倒されながらも、現実を受け止めて、少しずつ彼女が自分の殻を脱ぐさまに勇気づけられます。

 

アスファルト

主人公、藤本明彦が友人たちの心無い言葉に傷つきながらも、自分が人間を愛していたこと、別れた彼女を愛していたことに気付く話です。

明彦は友達も多く、女性にもモテます。人間関係でなにも不自由していないはずなのに、どこか空虚で悲しげです。

ありがとう。俺も君たちが好きだよ。一人が心地いいけど、君らのところには俺の帰ってくる場所も用意してほしいよ。

陰で友人に八方美人だと言われていたこと。なんとなく行った募金を、偽善者扱いされてしまって傷ついたこと。露店で売られていたうさぎに対して情が湧いて悲しくなったことも、理系の友人には何一つ伝わらなくて、軽くあしらわれてしまいました。

「自分の本音を打ち明けられるような友人が誰もいない」という事実に気付いてしまった時、優しい明彦は一番ショックを受けてしまったのではないのでしょうか。

この世界には、たまに理不尽なひどいことがたくさんある。目を背けたくなるくらい、嫌なニュースもたくさんある。その中で生きていく。自分がそうしたいと思っていることに、気づいてしまった。

樹氷の街

合唱コンクールを控えた、とあるクラスが舞台です。

指揮者である天木は、友人の秀人と椿を呼び寄せ、大地讃頌を弾くのに手こずっている倉田梢の負担を軽くさせるために、神童・松永に樹氷の街を弾かせることを提案します。「凍りのくじら」で登場した、松永郁也のことです。

彼の卓越した弾き方が分かる描写がこちらです。

現れる端から消えてなくなり、集める端からこぼれる光か水のように、音が流れる。

一音一音の区切れがどこなのかわからないくらい連なってメロディーが聴こえるのに、それでいて、一つ一つの音が透明なガラス玉のような印象で、その音が空間をいっぱいに満たして溶けていく。

歯にもの着せず、言いたいことをそのまま伝える天木の性格には好感が持てます。秀人のようにのろけることも贔屓することもなく、いたって冷静です。一歩間違うと重くなりそうな場の空気を和らげてくれます。

並外れた観察眼によって倉田梢の楽譜事件を推測し、事実を見破ったことも一目置くべき所でしょう。

最後に、松永のことを遠巻きで見ていた天木が、なんだ、こいつ、いいやつじゃないかと評価を改め直すシーンでは、普段から意識的に目立たないようにしてきた郁也にも信頼できる友人ができたようで嬉しくなりました。

まとめ

登場人物の誰もが理想と現実とのギャップに苦しみ、周りと合わない価値観との衝突を恐れ、本当の自分を隠して生きてきた人たちばかりです。

そんな、心の扉を固く閉じていた人たちの空洞を乱暴に埋めるのではなく、穴があることを認めながら、新しい世界へ一歩を踏み出そうと促す作者の姿に好感が持てました。

あなたは、どの登場人物に親近感が湧きましたか?

主題歌:mol-74/エイプリル

優しさと同時に、ふとした瞬間で儚く壊れてしまいそうな、危うさのある音楽を流したい。ということで選曲したのが、mol-74(モルカルマイナスナナジュウヨン)のエイプリルです。

文庫本の装丁から春のイメージがありましたので、その点でも重ねてみました。

ねえ
エイプリル
僕は変わった?
エイプリル
君は変わった?
いつもいつまでも続いていくような気がしていた午後

(作詞:武市和希)

今までいた場所から、新たな世界へ心の扉を開くという、この小説の主題とも合っていると思います。


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