『あなたは、なぜ、つながれないのか』。
挑発的で、どきっとするタイトルだ。
この本には、人と人がつながるためのヒントが書かれている。
筆者は、不登校、ひきこもり、水商売のスカウト、ナンパ師という異色の経歴を持つカウンセラーである。
この紹介文だけなら、眉をひそめる人もいるに違いない。
ただ、自己啓発本とか、心理学や最新の脳科学に基づくコミュニケーションのハウツー本などにはまったく似ていない。
そういった本にあるすっきりとわかりやすい図式のようなものがないのだ。
随所に出てくる小説のような緊張感のあるコミュニケーションの描写やつながることへの筆者の切実な思いが、類書とは異なった雰囲気をまとわせているのだろう。
身を削りながら学んだ知恵をなんとか伝授しようと、様々な方法論を臨機応変に引用しつつ、語りかけてくれるのが本書だ。
もし、先の紹介文だけを入り口にこの本を読み始める人がいたら、予想はよい意味で裏切られるはずである。
目次
こんな人におすすめ!
- 「つながる」ことが苦手な人
- 恋愛や友人関係の悩みが多い人
- 自分とじっくり向き合いたい人
あらすじ・内容紹介
この本には、大きくわけて2つのことが書かれている。
ひとつは、「つながり」を巡る、リアルなコミュケーションの描写である。
著者は自身の「つながれなかった」場面を克明に描きつつ、丁寧に解きほぐしていく。
もうひとつは、つながるためのエクササイズだ。
そこでは、感覚や感情、身体を観察することが一貫して求められる。
筆者のコミュニケーションの克明な描写を読み、きっと、読者はそれぞれの「
つながれなかった瞬間」を想起するだろう。
できれば、そのときの感覚や感情に浸ってほしい。
次に、その感覚をキープしつつ、気になったエクササイズを行い、どんな変化が起きるかを試してみるのもいいだろう。
そんなふうに読み、実践しながら、「なぜ、つながれないのか?」という、その理由に気がつけたとき、あなたはつながるためのきっかけを手にしているはずである。
『あなたは、なぜ、つながれないのか ラポールと身体知』の感想・特徴(ネタバレなし)
なにげない日常の小さな変化
第1章で著者は、よく行くカフェで働くいつも不機嫌な女の子とのやりとりを描写している。
彼女は仲間たちの間で、いつも所在なさげで、緊張していて、怪訝な表情で接してくる。
当然、そんな彼女に接客されると不快になる。
これはありふれた出来事であり、誰もが仕方がないと思いながら通り過ぎて、振り返りはしないだろう。
そんな場面で著者は立ち止まり、彼女とのやりとりを何度も反芻してみせる。そして、考えるのではなく、彼女とのやりとりのさなかで動く自分の感覚や感情を観察していくのだ。
どうすれば良いかなんて考えなくていい。ただじっと、その嫌な感覚を自分が感じていることを観察してみると、自ずとどうすれば良いかが見えてくる。
そして、あるとき、著者は彼女のいつも通りの接客に対して、咄嗟に明るく返事をした。
彼女はハッとした感じでこちらを見た。僕もまた、彼女の言い方に対して、彼女を避けるように『はい』と答えてしまったのだ
この本には、つながるための手軽な方法も、劇的な成功例も書かれていない。書かれているのは、観察すること、何かに気がつくこと、コミュニケーションにおけるささやかな変化である。
しかし、そのような変化はたとえ小さくても確かな手応えがあって、人生を生き生きとさせてくれる、大切なものではないだろうか。
こうした変化を生みだすヒントを提示し、そんな瞬間を見事に描写していくところに、この本の魅力がある。
自分の殻を破るために、身体を見つめなおす
本書の特徴は、コミュニケーションをテーマにしながらも、言葉や心構えではなく、自分の感覚や感情の観察、そして、身体を重視する点にあるといえる。
身体の状態によって感情や感覚が作られてしまうことがある。
盲点を突くような指摘に目から鱗が落ちた。
例えば、体育座りは、鬱屈している人が自然と取る姿勢だが、この姿勢を取り続けることで、そのような感情を自然と抱くようになるという。
だとすれば、硬直した身体を無視して、考えつめ、悩み続けることは、前進も後退もできない袋小路で、足掻いているような状態なのかもしれない。
例えば、人への接し方を変えようと決意したとする。
次に会ったときは、どうしようかと改善策を考え、新しいノウハウを頭に詰め込む。
そして、往々にして、相手は思い通りの反応をしてくれず、となれば、自分の考えを正当化しようと頑な態度を取り続けてしまうようなことは容易に起こりえる。
コミュニケーションとは実にやっかいなものだ。
この場合、当人の問題解決への応答は極めて真面目だ。
どうすれば良いか、よく考え続けているのだ。
しかし、だからこそ筋違いの努力を続けてしまう。
だとすれば、コミュニケーションをテーマにしたとき、感覚や感情に注意を誘導し、身体を強調することは、理にかなっていることになる。
筆者はこんなエクササイズを紹介する。
適当な重さのペットボトルを持ってみる。
そのとき、どこに力みが出るかを観察してみる。
肩に力みがあれば、その感覚に注目し、緩めていく。
すると、また別の場所に力みがでてくる。
この観察と弛緩を続けていくエクササイズは、シンプルだが簡単ではない。
でもコツがある。
力を抜こうとするのではなく、目を閉じ呼吸をしながら力みを丁寧に感じることだという。
ただ感じていると、実際にすっと力が抜けるのだ。
身体に向けられる意識が繊細になればなるほど、身体の力が抜け、呼吸はゆったりとし、気持ちも落ち着いて、物事を余裕を持ってみることができるようになる
ただし、身体がリラックスしていれば、コミュニケーションの全てがうまくいくということは、残念ながらありそうにない。
しかし、あなたがもし、つながることに失敗し続けているなら、まず見つめなおすべきは、考え方や心構えではなく、身体とその感覚や感情なのだ。
悩みを抜け出すために
著者には、何人ものカウンセラーを渡り歩いていた時期があった。
そして幾人目かのカウンセラーに、出会ってすぐにこう訴えたという。
「自分は繊細過ぎて、周囲の鈍感な人間のせいでパニック障害になる、そんな時、周囲は自分をおかしいと思うのだ」と。
怒りもない交ぜにし、ぶつけた。
そのとき、カウンセラーはこう応じる。
確かに君は繊細だ。だけど、世の中にはもっと繊細な人がいる。君はもっと繊細になれるし、ならないといけない
そのカウンセラーが優れていたとすれば、安易な共感を示したりせず、また、悩ましいほどの繊細さを否定も肯定もせずに受け止めた上で、やるべきこと、できることを提示した点ではないだろうか。
鈍感な周囲の人々をバカにして、自らの繊細さに悩みつつも、それを誇っていた著者は、この言葉をきっかけに変化していく。
自分の「繊細さ」をただ気にしつつ、それについて悩むことは、否定や肯定を感情的に繰り返すことでしかなかったのだろう。
一方で、「繊細さ」に正面から向き合い、それを観察し、訓練するようになれば、半ばまで悩みは解消しているといっていいだろう。
自分が気になることを真正面から気にすると、同じ悩みの繰り返しから抜けることができる。
つながることを巡る悩みは、どこにだって見つけ出すことができるし、ありふれている。
目次をいくつか抜き出してみる。
「話していても話せている気がしない」
「自分の話ばかりされる」
「愚痴を言われ続ける」
「相手からどう見られているか気になってしまう」
「反応すればいいわけではない」
「相手の感情に反応すると、話が流れはじめる」
誰もがいずれかの項目にひっかかるのではないだろうか。
気になった項目から読んでみてもいい。
そして、似たような自分の経験をよくよく観察し、エクササイズを繰り返してみよう。
それこそが、誰かとつながるために、あなたが、できること、なのだから。
まとめ
この本は、きっと何度も読み返すことができて、読むたびに印象が変化する種類の本だ。
そして、強い共感を抱く人がいる一方で、拒否感を感じる人がいるかもしれない。
その場合、気になる箇所だけ読んでしばらく忘れてしまってもいい。
気に入れば文庫版をバックに忍ばせておき、ふと気になった時、すぐに取り出せるようにしておくとよいだろう。
この本を傍らに、日常で繰り返されるなんでもないコミュニケーションとエクササイズを行きつ戻りつしながら、あなたが誰かとつながるための道を探してみてほしい。
また、本書では言及されていないが、感覚、感情、身体に注意を向けるエクササイズは、最近各方面で注目されている「マインドフルネス」といった実践にも通じている。
マインドフルネス関連の本と併せて読めば、双方の理解はより深まるだろう。
この記事を読んだあなたにおすすめ!
『本を贈る』あらすじと感想【大切に持ち帰りたくなるような本、誰かに贈りたくなるような本】
書き手にコメントを届ける