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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』あらすじと感想【戦う子供たちの姿を見よ】

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』あらすじと感想【戦う子供たちの姿を見よ】

牧歌的でのどかな小学校から、差別や貧困の吹き荒れる元底辺中学校へ。

彼の戦いが、今、始まる。

第2弾の書評はこちら

ぼくイエ2サムネイル『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』あらすじと感想【13歳になった少年が見つめる未来】

こんな人におすすめ!

  • 差別の実状を知りたい人
  • 戦う子供の姿が読みたい人
  • 日本ではない、海外の子供たちの姿が描かれた作品を読みたい人

あらすじ・内容紹介

イギリス在住で、コラムニストであり、ライターでもあるブレイディみかこさん。

彼女はかつて子供が好きではなかった。

しかし、自らに息子ができたことにより、「子供ってこんなにおもしろい生き物なんだ」と一念発起して保育士の資格を取った。

そんな彼女の息子は、カトリックの神聖な小学校から「元底辺中学校」と呼ばれる、レイシストはいる、ごはんをまともに食べられない子はいる、万引きで食費を浮かそうとする子はいる、そんな中学校に入学した。

そんな彼の毎日は戦いだ。

のどかで牧歌的な小学校から、ヤンキーやら犯罪まがいのことまでする子供たちがいる中学校で果たして彼が見たものは?

渦巻く「差別」の波をかいくぐり、日本人の私たちにも他人事では済ませられない、学生も大人も必読の、イギリス版スクール・ウォー!

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の感想・特徴(ネタバレなし)

日本に潜むレイシスト

著者のブレイディさんは福岡県のご出身である。

夏休みなどを利用してご実家に帰省されているのだが、息子さんは英語オンリー、つまり日本語が話せないのである。

ブレイディさんの父親、つまり息子さんにとってのおじいちゃんはきちんとそのことを理解した上で孫と交流している。

はっきり言って、息子さんが英語しか話せないことは当たり前である。

だってイギリスで暮しているのだから、基本的には英語しか使わないのである。

そのことについて、他人がとやかく言うことではない。

だと言うのに。

ある夏休み、ブレイディさん親子と、おじいちゃんは馴染みの料理屋で食事をしていた。

そこへ現れた、既に酔っている風の中年男性とその部下2人は狭い店内で、英語しか話せない東洋人の顔の少年、つまりブレイディさんの息子さんを見てこんなことを言った。

英語を教えて日本語を教えんというのは日本に対して失礼やろうもん

日本に誇りを持つ日本人ならそれじゃいかん。あんたも日本人なんやけん、日本語を教えて、日本の心を教えんと、日本の母親とは呼べんな

完璧なレイシスト発言である。

レイシズムとは人種主義のこと。

優秀な人種は優遇されるべきという考え方。

レイシストは人種差別をする人を指す言葉だ。

この本では度々、レイシストやレイシズムに触れる。

つまり、日本人の顔立ちをしているブレイディさんの息子さんは日本語を話すべきだと。

英語だけしか話せないのはおかしい、日本人という人種の血が入っているのなら当然だと。

この中年男性の発言は、度を超えた愛国心なんて言えたものではない。

怖い。

この中年男性の発言が怖い。

この中年男性の発言は、悲しくなるくらい自らが言っていた「日本に誇り」なんてものはない。

中年男性は立派な「差別」をしているのである。

そもそも、あなたが言う「日本の誇り」とはなんだろうか?

この発言をぶつけられた後のブレイディさんの思いは私をとても悲しくさせた。

自分が生まれた国の人が言った言葉を息子に訳させてあげられないことほうが、わたしはよっぽど悲しかった

日本語は、世界の言語の中でも難しい言語だと言われる。

英語表現にはない擬態語や擬音語があって、訳の困難な微妙な言葉だってある。

でも美しい言語だと思う。

そんな美しい言葉をレイシスト的な発言に使われてしまって、悲しいやら腹が立つやら。

日本人の中に差別をする人が1人もいないなんて言わない。

レイシストはどこにでもいるし、レイシズムはきっとどこの国にもいる。

下品な言葉だって、聞くに堪えない言葉だってたしかに日本語にもある。

それを使うか、使ってもいいと思っているかは個人の判断に委ねられるけども、その1個人はそんな言葉を使ってはいけないと知っているはずだ。

そして、差別はいけないことだと知っているはずだ。

「人類、みな兄弟」なんてきれいごとは言わないけれど、日本語が話せなくたって、私のように英語がまったく話せなくたって、そんな微々たることは差別の対象にならない。

そう、きれいごとだって分かっているけれど、やっぱり言おう。

「人類、みな兄弟」だと私は思っている。

多様性と他者への理解

「多様性」という言葉を調べると「幅広く性質の異なる群が存在すること」と書いてある。

私には「多様性」という言葉も、その意味も耳慣れない。

今の学生は社会科などで習うのだろうか。

イギリスに住むブレイディさん親子は否応なしにこの「多様性」という問題にぶち当たる。

あるとき息子さんがこんなことを言う。

多様性っていいことなんでしょ?学校ではそう教わったけど?

彼はレイシストの友達が差別発言するのを聞いたり、友人同士が互いにヘイト(憎悪)をぶつけあったりするのを体験し、「幅広く性質の異なる存在する」ことを自覚する。

つまり今まで「良い」と教えられた「多様性」の意味が分からなくなってしまうのだ。

そのことについて、ブレイディさんはこう答える。

ブレイディさん「多様性ってやっぱ物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃないほうが楽よ」

息子さん「楽じゃないものが、どうしていいの?」

ブレイディさん「楽ばっかしてると、無知になるから」

私たちは学校で「違う考え方を持つ人もいることを理解しよう」=「他者を理解しよう」と教えられる。

けれどそれは「日本人同士で」という前提付きだ。

なぜなら、教室を見渡せば日本人しかいないからである。

「違う考え方を持つ人」というのは、「違う人種」や「違う文化」が含まれてない日本では、なかなかその「多様性」という問題についてぶち当たらない。

だからブレイディさんの息子さんが直面したこの問題は、私には目から鱗だった。

日本人同士でさえ考え方が違うというだけで喧嘩になったり、意見の行き違いで悲しい事件が起きたりするというのに、お国柄が違い、生活する文化がまるで違ったら……。

 

日本には「郷に入っては郷に従え」という言葉があるけれど、移民が多いイギリスではお互いの「郷」(祖国)がある。

幼いときから同じ国の国民でありながら違う「郷」を持って生きているわけである。

だから「多様性」というものがイギリスでは度々問題になるし、そして喧嘩や衝突の絶えない「ない方がいい多様性」というものに変えてしまった。

ただ、ブレイディさんの言うように「無知」でいたくなければ多様性にも飛び込んでいかないといけないのだろう。

のほほんと、日本人だけのコミュニティだけで暮している私は?あなたは?

せめて、もっと「他者」との関係について考えたくなった。

「差別をなくそう」だけじゃ回避できないもの

ポリティカル・コネクトレス。

通称・PC。

この本で出会った言葉はいろいろあるけれど、いちばん耳慣れない言葉はこれだった。

もちろん意味を調べた。

かなり長い文章が出て来るけど、要約すると「差別的表現をなくそう!」ということらしい。

また「差別」だ。

例えばブレイディさんの息子さんは、道端に立っているときにこんな言葉を言われた。

「ファッキン・チンク!」

「ファッキン」はご存知のように汚い意味の英語である。

では「チンク」とは?

実はこれは、東洋人に対する侮蔑英語である。

もとは中国人に対してだけ使われていたらしいけれど、現在は広く東洋人に対しての差別用語になっているらしい。

息子さんはこれを言われたとき、ショックというよりも驚いていたらしい。

そして、これはブレイディさん自身も働いているときに突然道で投げかけられた言葉だった。

いくらポリティカル・コネクトレスを謳っても根底にあるもの、例えば歴史的背景(植民地支配や迫害)や、そもそもの文化レベルの違い、貧富の差、生まれ落ちた環境や境遇の違い、すべての要素がきっとなんらかの差別を生む。

そしてこれらの差をなだらかにすることは決してできない。

声高に「差別をなくそう」と言っても、結局は根本から変えていかないと何も変わらないのだ。

ただ、差別をする人をブレイディさんはこう言う。

頭が悪いことと無知はちがう。知らないことは、知るときが来れば、その人は無知でなくなる

つまり、差別をする人は頭が悪いのではなく、何も知らないだけだと言っているのだ。

差別を生んだ背景を知っても差別をする人はきっとそんなに簡単にはやめられない。

でも「知る」ということは「無知」ではなくなるので、変わってもらうキッカケを作ることも大切なのだ。

とどのつまり、「何も知らない」状態で差別する人間は本当に恐ろしいし、何事においても「無知」からくる人間の行動は悲劇しか生まないのだろう。

まとめ

たくさんの知らない言葉に出会った本書は、イギリスという国を静かに、そして的確に見つめている。

日本には馴染みのない「レイシスト」や「チンク」という差別用語が跋扈する今のイギリスから、日本に警鐘を鳴らしている気がしてならない。

どうかブレイディさんの息子さんが日本を嫌いになりませんように。

そして、美しい日本語に出会いますように。

日本とイギリス。

同じ島国同士、きっと分かり合える部分があるはず。

そんな希望を持ちつつ、そしてブレイディさんの息子さんの前途を願って本を閉じた。

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