他人とワタシ、一体何が違うのかと考えることがある。
同じようなものを食べ、同じものを見ても、考えていることは全く違う。
この違いは、どこから来るのだろうと考える。
重要なことは、人それぞれに背景があるということ。
身分制度があった時代は、今よりも「背景」の違いが顕著だった。
今も昔も、「自分とは何か」と悩む人はいるだろう。
ただただ、流れに乗って生きている人もいるかもしれない。
むしろ、そんな人の方が多いだろう。
しかし自分の中に、ささやかでも「自分は何なのか」という疑問が生まれたとき、この「童の神」を手に取って欲しいと思う。
時代に抗い、死力を尽くした彼らの姿が熱く胸を揺さぶってくる。
あらすじ・内容紹介
時は平安時代。
鬼や土蜘蛛、滝夜叉と呼ばれる人々は、京人から「童(わらわ)」と呼ばれ差別を受けていた。
主人公・桜暁丸(おうぎまる)は、国を焼け出され、追いはぎをして生きていくこととなるが、
偶然の出会いが彼を変えていく。
様々な出会いを重ね、桜暁丸は「自由」の為の戦いへと身を投じていくこととなる。
童の神の感想(ネタバレ)
同じ人間なのに
同じ赤い血が流れているのに侮蔑され、努力して勝ち得たものまで奪われる。
一部の裕福な貴族を除き、一般民衆とくに「童」と呼ばれるもの達の生活は悲惨なものだ。
ときにはその命すら、軽んじられる。
平安時代は、文化が発展した華やかな時代だと考えられがちだ。
それは、源氏物語などの風雅な貴族文学が今に残るせいかもしれない。
しかし裏では、妖怪や怨霊が跋扈する、暗い一面もあった。
良く知られる妖怪に「土蜘蛛」というものがいる。
これは、国に盾突いた民族を表したものだという説がある。
「滝夜叉・滝夜叉姫」は、伝説上の妖術使いで、平将門の娘といわれている。
「童の神」はこういった伝説が題材として用いられていいる。
同じ人間なのに、人間であることすら否定されている。
まさに、美しい平安時代の裏の顔を描いた物語だ。
「ああ。同じ病にかかり、片や医師に掛かって助かり、片や為す術もなく死ぬ。あまりに理不尽ではないか。多くの貴族は己だけが特別と思い込んでいる」
童から京人へ、貴族から盗賊へ
作中には、対比すべき2人の登場人物が出てくる。
それは、金太郎こと坂田金時と、袴垂(はかまだれ)こと藤原保輔だ。
金太郎はご存知の通り、足柄山で育ち、やがて渡辺綱と共に鬼を退治した武将である。
作中では山姥と呼ばれる、童の一派である。
袴垂は貴族として生まれながら、貴族からものを盗み、童たち貧しいものに分け与える、いわば義賊である。
金時は故郷を守るため、童から京人となった。
そして童を打倒すべく、動いている。
袴垂はれっきとした貴族だが、貴族の考え方に憤りを感じている。
自ら京人に蔑まれる技を身に着け、盗賊となり、保障された身分を捨てて追われる身となった。
金時は、自分の行いに疑問を抱きながら戦っている。
京人になったため、同胞を裏切ったという気持ちになってしまうのだ。
しかしそれを救ったのは、袴垂だった。
2人とも、強く優しい人物だ。
その行為も、方向性こそ真逆だが、どちらが間違っているとは言えないだろう。
金時の行為は、いずれ童が人として認められる一助になっただろうし、袴垂は、貧しい人に希望を与えた。
何より心を打たれるのが、金時に希望を与えた人物が袴垂だということだ。
他の誰でもない、ただの貴族でもない、金時と同じ世界を見ている「貴族」袴垂の言葉だから、金時の心に響いたのだろう。
「お主に真実を語るべく連れてきた。彼の御方が最後に放った言の葉で救われ、今の私がある」
酒呑童子
主人公・桜暁丸は成長した後、「酒呑童子」と呼ばれることになる。
たったこれだけで、主人公達の未来は分かってしまう。
鬼は人に恐怖を振りまくが、「人」に打ち取られる運命なのだ。
昔話と違うことは、酒呑童子に桜暁丸という、人間の人格が与えられていること。
ただ鬼を退治する物語ではなく、「虐げる人間VS虐げられる人間」の形が出来上がっている。
主人公はあくまで鬼側であり、現在の価値観からすると間違ったことは主張していない。
彼らが求めているのは、差別や支配からの「自由」なのである。
ただ悪者を退治する、というカタルシスを得ることはできない。
それでも、読み終わった後に感じるのは、悲しさやむなしさではなく、「達成感」だった。
桜暁丸は、今は小さくてもいずれは大木になる苗木を植えていったのである。
「生きるのだ。何があろうと生き抜け。そして愛しき人と子を生し、我らの心を紡いでゆこう。たとえ好いた相手が京人であったとしても、裏切りなどとは思うなよ。人を分けて考えれば、我らも同じになってしまうではないか」
まとめ
これは本当に、英雄の物語だろうか。
桜暁丸が作中で行ったことは、確かに「英雄」の名に相応しいものだと思う。
彼は人々の為に、命を懸けて戦った。
しかし、私は「人間譚」と言うべきだろうと思う。
英雄の前に、桜暁丸は人間であるし、誰よりも人間らしく生き抜こうとしていた。
「群像劇」と言うこともできるだろう。
京人や盗賊、童を問わず、様々な人の生き様を眺めることができる。
主題歌:鬼束ちひろ/月光
I am GOD’S CHILD
この腐敗した 世界に堕とされた
一番有名なこの部分が、主人公・桜暁丸やその仲間に重なるものがある。
彼らは京人よりすぐれた技を持ち、その点では「神」に等しい。
また、「童」達が持つ悲哀も、この「月光」は表しているようにも思える。
是非とも、曲を流しながら読んで欲しいと思う。
この記事を読んだあなたにおすすめ!
百田尚樹『日本国紀』
歴史に興味を持ったなら、是非とも読んで見て欲しい1冊