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『たゆたえども沈まず』あらすじと感想【4人の出会いが生み出す壮大な絵画ドラマ】

『たゆたえども沈まず』あらすじと感想【4人の出会いが生み出す壮大な絵画ドラマ】

フィンセント・ファン・ゴッホ

鮮やかな黄色で描かれた連作『ひまわり』や、フランスアルル地方の風景を描いた『跳ね橋』など、絵画に詳しくない人でも彼の絵を見たことがある人も多いでしょう。

特に日本でのゴッホ人気は高く、2019年10月から2020年3月にかけて、上野の森美術館と兵庫県立美術館で『ゴッホ展』が開催されました。

(残念ながら新型コロナウイルス感染拡大防止のため、兵庫での展覧会は会期途中で終了)

ゴッホが生涯で描いた作品は約850点と言われています。

しかし、画家としての活動期間はわずか10年しかありませんでした。

この濃密な画家生活を、アート小説の名手原田マハが、フィンセントの弟テオと2人の日本人画商を通じて描きます。

こんな人におすすめ!

  • ゴッホの絵画が好きな方
  • これぞ原田マハ作品の神髄!アート小説を読みたい方

あらすじ・内容紹介

19世紀末、フランスを始めヨーロッパの美術市場では、ジャポニズムブームが起きていた。

パリで日本美術を取り扱う若井・林商会社長、林忠正(はやしただまさ)に誘われ、加納重吉(かのうじゅうきち)は、日本では紙切れ同然だった浮世絵などを、パリのブルジョワジー階級相手に売っていた。

同じ頃、アカデミー画家の絵を扱うクーピル商会に勤めるテオドール・ファン・ゴッホ(通称:テオ)は、パリ万博で見た日本美術、浮世絵の影響を少なからず受けた印象派に関心を寄せていた。

そして、この2つの波に新しい時代の到来も感じていた。

宣教師を諦め、画家として出発した兄フィンセントにも、自分の経済的援助から画家として自立をさせるために、日本美術や印象派絵画を見せたいと思っていたところ、フィンセントは無断でパリにやってくる。

そしてテオの思惑通り、フィンセントもそれらの作品に魅せられていった。

商売上のライバルであったが、テオは質の高い日本美術を取り扱う若井・林商会に出入りし、重吉や林と面識を持つ。

次第に兄フィンセントの絵を見てもらうまでに、林と重吉、フィンセント兄弟で交流を持つようになる。

そして、この4人の交流は、フィンセントにある1枚の絵を描かせる。

『たゆたえども沈まず』の感想・特徴(ネタバレなし)

変わりゆく画壇:アカデミー、ジャポニズム、そして印象派

ゴッホを語る上で、当時のフランスの画壇の変遷を説明しなければいけません。

19世紀末のパリは、歴史的にも社会的にも文化的にも、激動と変革の時代でした。

王制から第三共和政へ移り、パリの街はオスマン計画により現在の形に整備されます。

また、パリで万博が開催されることに伴い、人々の生活も豊かになります。

豊かになった人が次に求めるのは、目新しさ。

1867年のパリ万博で出品された日本美術は、フランス人が求めていたものでした。

そして、これを機に「ジャポニズムブーム」が起こるのです。

 

それまでフランス美術界の中心は、アカデミー画家の作品でした。

当時フランス画壇屈指の画家、ジャン=レオン・ジェロームの作品を表した文章を見ると、画壇の傾向が分かります。

古代ギリシア・ローマ時代に取材した歴史画や、神話、寓意画などである。どれもが緻密に計算された構図で、人物の配置、背景の設定、遠近感、黄金律、ありとあらゆるアカデミックな手法にのっとった技術は寸分の隙なく完璧なものだった。

計算された構図が常識だったヨーロッパ人にとって、パリ万博で展示された日本美術は斬新に見えたと想像できます。

闇よりも深い黒漆に、ねっとりと輝きまつわる金泥の鶴と亀、四角く切り取った夜のような文箱、その蓋にはめ込まれた虹色に変化する螺鈿細工の蓮の花。自立する屏風に描かれているのは粉雪が降り注ぐ勇壮な松、その枝に肩をとがらせて留まる鷹。繊細な工芸品や焼き物、平坦なのに不思議な奥行きを感じさせる絵画。いままで一度も見たことのない表現の数数に、人々は目を奪われ、ため息をつき、熱狂した。「日本」がヨーロッパに受容された歴史的瞬間であった。

そして、日本美術に多少なりとも影響を受けたのが、印象派の画家たちでした。

画題としてパリの街並みや郊外の風景を選び、人物の顔や線はぼかして描かれ、鮮やかな色彩を使用しました。

アカデミーとはまったく異なる画法や構図に、印象派は当初フランス画壇からはじかれていました。

しかし、時代が新しいものを求めていたこともあり、徐々に受け入れられていきます。

フィンセント・ファン・ゴッホも、そんな日本美術と印象派に影響を受けた画家の1人です。

ゴッホと林を結びつけた加納重吉とテオの存在

林忠正は、東京開成学校(現在の東京大学)でフランス語を学び、1878年に渡仏します。パリで開催される万博への出展が決まっていた美術工芸品を扱う会社で通訳として雇われたからです。

その後、会社から独立し、若井・林商会を設立し、「ジャポニズムブーム」の追い風を受け、商売を行っていました。

一方、フィンセント・ファン・ゴッホはオランダの牧師の家に生を受けました。

経済的に恵まれていませんでしたが、画商をしていた伯父の会社クーピル商会で働くようになり、失恋をきっかけに失意のどん底に落ち、そのまま退職します。

その後、聖職者を目指しますが、それも続かず絵を描くことになります。

当初はオランダで画家活動をしていましたが、突然パリにいるテオの住居に転がり込みます。

 

同時期にパリにいた林とフィンセントですが、史実では接点があった記録はありません。

そこで、2人の接点を持たせるために登場するのが、加納重吉とテオなのです。

テオドール・ファン・ゴッホはフィンセントの弟で、兄の後を追うようにクーピル商会に入社し、パリで日本美術に触れたといいます。

フィンセントが突然パリに来たのもテオがいたからでしょう。

自身はアカデミー画家の作品を商品として売っていましたが、関心は若井・林商会が扱う日本美術にありました。

 

一方、加納重吉は、原田マハさんが生み出した架空の人物です。

林忠正の東京開成学校時代の後輩で、同じくフランス語を学んでいました。

パリに行く志を持っていた重吉は林に誘われ、若井・林商会の専務となります。

林と同様、日本美術の知識はないが、商売人らしい林とは異なり、正直で謙虚さが抜けない、まるで商売に向かない人です。

この人柄なので、ライバル会社に勤めるテオも心を開いたのでしょう。

そして、重吉とテオの交流はやがて、林とフィンセントにも広がります。

原田マハさんの小説では、架空の人物を登場させて実在の人物の息遣いを感じさせる手法が見受けられます。

重吉を通じてみるゴッホ兄弟の関係性

テオは六人きょうだいの三番目であった。皆、仲のいいきょうだいであったが、特に四歳上の兄、フィンセントは、悲しみも喜びもすべて分かち合える親友同士のような存在だった。いや、親友というよりは、むしろ――互いを自分の半身であると感じる双子のような結びつきが、ふたりのあいだにはあった。兄と自分は分かち難い関係なのだ――と、二十歳になる頃には、すでにテオは自覚していた。

売れない画家の兄を経済的に支える弟ですが、兄は弟のお金で画材を買うだけでなく、気づけば酒代に使っていました。

だらしない兄に援助し続ける弟。

一見相互依存とも思えます。

しかし、テオと同じくフィンセントの才能を信じている重吉がいることで、兄弟の関係の強さが際立つのです。

フィンセントがパリを離れ、アルルで耳切り事件を起こしたときに、重吉がテオを支えたシーンはまさにその象徴と言えるでしょう。

重吉を登場させることで、ファン・ゴッホ兄弟の関係性の強さがより際立っています。

まとめ

史実ではつながらない林忠正とフィンセント・ファン・ゴッホに、テオドール・ファン・ゴッホと加納重吉の交流をフィクションとして挿入することで、壮大な物語を織りなす。

原田マハが作り出したアート小説のエッセンスがつまっています。

今回は4人の交流に焦点を当てましたが、この濃密な交流は、林が購入しようと考える1枚の絵につながります。

詳細はここでは述べませんが、4人がパリの街で出会わなければ、その絵は完成することはなかったでしょう。

作品が生まれるまでの過程も合わせて五感で感じてほしいと思います。

画家ゴッホというと、耳切り事件や自殺を図ったことが前面に出てしまい、「狂気の人」というイメージがぬぐい切れませんでした。

本書を読むと、確かにフィンセントは苦悩を抱えていましたが、献身的に支えたテオ、作品を評価していた林や重吉の支えの中作品を生んでおり、決して狂気を孕んでいたわけではありません。

本書を読んでからゴッホの作品を見ると、これまでのいたイメージを覆されるかもしれません。

林や重吉、テオとの交流を思い描きながら見ても、また違った楽しみ方ができると思います。

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