胸が膨らむこと。
生理が来ること。
どちらも、女性特有の身体現象だ。
この変化を喜んだ人もいれば、憂鬱な気持ちになった人も、きっといるだろう。
胸の大きさに対してコンプレックスを抱いていたり、毎月の生理がとても辛くて嫌な気持ちになったりしている人もいるかもしれない。
これらの変化は女性として生きていく上で避けることができないため、ネガティブな面ともうまく付き合っていく必要がある。
しかし、現実はそう上手くいくことばかりではない。
こんな人におすすめ!
- 思春期の子どもを持つ人
- 女性として生き辛さを感じている人
- 自分の身体にコンプレックスを持っている人
あらすじ・内容紹介
東京で暮らす夏子のもとに、姉の巻子とその娘・緑子が訪ねてくる。
巻子はある日突然豊胸手術を受けたいと言い出し、そのために東京にやってきたのだった。豊胸手術のことを興奮気味に夏子に話して聞かせる巻子に、若干気圧される夏子。
緑子は、そんな母の様子を冷めた様子で見つめていた。
まもなく40歳の巻子は大阪でホステスをしており、シングルマザーとして緑子を育てている。
しかし、2人の関係はあまりうまくいっていない。
場末のスナックで働く巻子は夜遅くまで仕事で帰らず、夜は1人で留守番をする緑子。
2人のこれからの生活を、夏子は密かに心配している。
一方、半年前から言葉を発することを拒絶している緑子は、ノートに文字を書き、筆談で会話をしている。彼女には彼女なりに、ある悩みがあった。
そんな3人が共に過ごした、夏の3日間が描かれる。
『乳と卵』の感想・特徴(ネタバレなし)
女性として生きることの苦悩
この作品の1つのテーマは、「胸」である。
作中では、上京してまで豊胸手術を受けようとする巻子の姿が描かれる。
豊胸手術、つまり胸を大きくするための手術に、巻子はなぜ執着してしまったのだろうか。
物語の中盤、巻子と夏子が2人で銭湯に行く場面がある。
そこで、巻子は自分の胸を夏子の前にさらし、自身の胸についての評価を求める。
もうそろそろ出るのかと思うと、そのミルク風呂のミルク色に波打つ水面をじっと見つめ、それからタオルを取った自分の胸をいきなり現し、わたしの顔をじっと見て、「どう思う」と訊くのであった。
巻子の突然の行動にしどろもどろになる夏子。
オブラートに包んで表現しようとする夏子の言葉を、巻子はばっさりと切り捨て、そして、自ら語り始める。
あたしも子どもを生むまえはゆうてもここまでじゃなかった。そんなん変わらん云われるかもしれんけど、そら滅茶苦茶にきれいではなかったけど、そやけど、これ見て。これはないよ。
巻子は、子どもを生んで以来、元々小さかった胸がさらに小さくなってしまったと話す。
これが、彼女を豊胸手術に走らせたきっかけになっていると考えられる。
胸というパーツは、女性としての1つのシンボルと言える。
それがほとんどなくなってしまった、きれいでなくなってしまったということは、人それぞれかもしれないが、女性にとって大きな喪失感を抱くきっかけになりうる。
巻子は恐らくそのようなことから、自分への嫌悪感や焦りのようなものを抱き、女性としての尊厳を取り戻そうとしたのではないだろうか。
女性の胸は、服を着ていても大きさなどがわかってしまうことから、他人から性的な視線を向けられやすい。
胸の大きさに対する心無い言葉も、時折耳にする。
胸の大きさで他人にジャッジされてしまうことも少なくない。
誰のための胸なのか。
何のための豊胸手術なのか。
そんなことを考えさせられた。
もう1つのテーマは、「生理」である。
早ければ小学生くらいから、終わりは40〜50代まで、女性が人生の大半において付き合うことになる生理。
作品中では、夏子が思いがけず始まってしまった生理に淡々と対応する様子が描かれる。
あと何回、ここに生理が来るのかを考え、それから、今月も受精は叶いませんでした、という言葉というかせりふと言うか漫画のふきだしのような意味合いが暗闇にふわりと浮かんでくるのでそれを見た。
生理が来たということは、受精しなかったということ。
一体この身体の機能は何のためにあるのか。
女性として生きている価値がわからなくなりそうなこの問いの狂おしさに、共感する女性は多いのではないかと思う。
女性として生きることには、数々の苦悩が付きまとう。
もちろん男性にも悩みはあるだろうが、この作品にはそんな女性の苦悩がありありと映し出されているのだ。
シングルマザーと思春期の子どもの関係
母子2人で生活する巻子と緑子。
巻子はホステスの仕事で帰りが遅く、その間緑子は1人で過ごしている。
言葉を発することを拒絶し、筆談でしか話さなくなった娘に対し、困惑しつつもそのままにしている巻子と、いつも帰りが遅く、豊胸手術に執着する母親に対し若干の嫌悪感を抱いている緑子。
2人は、些細なことから仲違いをしてしまう。
あたしな、かわいいなぁ、思ってさ、ときどきちゅうしたりするねんよ、寝てる緑子に、と箸の先をひらひらさせながらわたしにむかって云った。すると巻子がそれを言った瞬間に、緑子の顔の色と硬さがぎゅんと変化してそれからものすごい目で真正面から巻子を睨んだ。
緑子は、母の愛を気持ち悪いと思う一方、母を大事にも思っており、伝えたいこともあるのだが、筆談中ということもありそれを素直に伝えることができない。
対する巻子も、仕事の多忙さから緑子と向き合うことができていない。
思春期の多感な子どもに向き合う、ということは、実際とても難しいことだと思う。
今のこの世の中にも、子どもと向き合えていない親、親とちゃんと話すのが面倒と感じている子どもが大勢いるだろう。
けれど、素直になって、思っていることをきちんと伝えなければ、お互い誤解したままに時が過ぎてしまう。
何でもかんでも共有する必要はないと思うが、きちんと向き合って気持ちを伝えあうことの大切さを、この作品から感じ取ることができた。
巻子・緑子母子の関係が最終的にどうなっていくのかは、ぜひ本書を読んで確かめてみてほしい。
変わっていく身体と追いつかない心
思春期を迎えている緑子には、さまざまな体の変化が訪れている。
その変化に対し、嫌悪感と不安感、苛立ちを覚える緑子は、自身の心の声を愛用のノートに書き綴っている。
生理がくるってことは受精ができるってことでそれは妊娠ということで、それはこんなふうに、食べたり考えたりする人間がふえるってことで、そのことを思うとなんで、と絶望的な、おおげさな気分になってしまう、ぜったいに子どもなんか生まないとあたしは思う。
あたしはいつのまにか知らんまにあたしの体のなかにあって、その体があたしの知らんところでどんどんどんどん変わっていく。こんな変わっていくことをどうでもいいことやとも思いたい、大人になるのは厭なこと、それでも気分が暗くなる。
生理が来たり、胸が膨らんできたりと、身体は刻々と大人へと向かって変化しているのに、それに心が伴わず、得体の知れないもののように感じている緑子。
彼女の嫌悪感は、それらの変化をなんの疑いもなく受け入れ、将来は子どもを産みたいと話すクラスメイトにも向けられている。
クラスメイト達と違い、否応なしに変わっていく身体を受け入れられない緑子。
そんな緑子だからこそ、豊胸手術で自ら身体を変えようとしている母の姿に反発してしまうのだろう。
緑子は、女性として生きることや、子を産み母親となることについてとても真面目なのだと思う。
それは、母親が苦労している姿を見ているからであり、なおかつ自分自身も母親に甘えられず辛かった経験がそうさせているのだろう。
母親が豊胸手術を考えるようになったのは、自分を産んだことが原因であると緑子は知っている。
身体の変化に対して強い嫌悪感を抱いてしまう背景には、母親が自分のせいで手術を受けようとしているという強い悲しみがあるのではないかと感じた。
まとめ
年齢や出産を通して変化していく女性の身体。
それをポジティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかは人それぞれだ。
自分の身体は、一体誰のものなのか。
何のために、身体は変化するのか。
また、何のために変化させたいのか。
そんな問いを、改めて見つめ直すきっかけになる作品であると思う。
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