第153回芥川賞受賞の本書は、2015年に羽田圭介氏によって発表された9番目の作品だ。
日々筋トレに励む無職の青年と認知症ぎみの祖父の物語で、「孫と祖父の心の交流」などといった心温まる生易しい物語ではない。
ここで描かれるのは澱んだ日々の間隙を縫い、「人間の尊厳」の瀬戸際を生きる人たちの真実の姿であり、目を背けたくなるような日常のリアルだ。
けれど、私はこの物語が自分に向けて書かれた物語だと信じることができる。
この記事では「この作品のココがスゴイ」という点をおすすめしていきたい。
こんな人におすすめ!
- 筋トレマニアの人
- 老人介護に悩んでいる人
- 日常に閉塞感を感じている人
あらすじ・内容紹介
早う迎えにきてほしか 毎日、そいだけば祈っとる
もうじいちゃんなんて、早う寝たきりになってしまえばよか
主人公の健斗(けんと)は求職中の28歳。
趣味は筋トレと2つ年下の彼女、亜美(あみ)とのラブホ通い。
87歳の祖父とまともに会話をするようになったのは、健斗が会社を辞めてからここ半年のことだ。
認知症気味の祖父は親戚中をたらい回しにされた挙句、健斗の姉と入れちがうようにして彼と母親が暮らすマンションに転がり込んできた。
健斗も何かと自宅にいることが多い中で、祖父の垂れ流す「死にたい」というぼやきを日々延々と聞くうちに、次第に彼は祖父に「自発的尊厳死」を迎えさせてやろうと考え始める。
「自発的尊厳死」のやり方は単純だ。
それは、祖父に考えさせないこと。
手取り足取りなんでも手伝い、祖父から自力で生きる力を奪えばいい。
目の前にいるのは三六五日のうち三三〇日以上「死にたい」と切に思い続けている老人なのだ。何をすれば困難な目的を最短距離でやり遂げられるのか、教え導いてあげなければ。健斗は自分が、子供へと退行した祖父の親にでもなったかのような錯覚に陥った
果たして、健斗の目論見は成功するのか。
祖父の運命やいかに。
『スクラップ・アンド・ビルド』の感想・特徴(ネタバレなし)
意外すぎる作品の書き出し部分
最初のおすすめポイントは意外すぎる作品の冒頭部分である。
以下の引用は、作品の書き出し部分である。
カーテンと窓枠の間から漏れ入る明かりは白い。掛け布団を頭までずり上げた健斗は、暗闇の中で大きなくしゃみをした
ここにまず驚かされた。
通常、小説の冒頭では「主人公が朝目覚めたところから始まる作品」、つまり開かれた世界を提示できない書き出しはあまりよくないとされている。
公募などでは「問答無用で落とされる」とまで囁かれるくらいだ。
それなのに、この作品は敢えて逆をつくことで、冒頭で健斗が代わり映えのない「閉じた世界」を生きていることの暗示に成功している。
その後に続く文章も、いつが今日で昨日なのかもわからなくなりそうな健斗と祖父のルーティーンが延々と具体的に描かれ(それでも健斗は打開しようとしている)、最初の数ページで家族の背景や登場人物の関係性が見えてくる構成になっている。
なるほど、こういう書き方もあるのかととても新鮮な気持ちで読んだ。
作品の最初の入り方にもぜひ注目してみて欲しい。
コロナ禍の日常と本作の類似性
続く2点目のおすすめポイントは、作中がとにかくコロナ禍の状況と似ていることである。
コロナ禍とは一般的に2019年末からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による危機的状況を指す。
外出が規制され、失業者が増える。
在宅時間が増え、自殺者や家庭内暴力が加速する。
生きる意味を見失った人たちがそこら中に溢れ、それでも前を向こうと日々戦う。
その状況はまさに本作で描かれる無職の健斗と、認知症の祖父と同じだ。
祖父は、家の中を歩き、皿を下げてくれと頼むだけでも母に怒鳴られる。
特養(特別養護老人ホーム)への入居は、終わりの見えない地獄へ祖父を追いやることではないのか。
自らも停滞した日々を過ごす健斗は祖父の日常に己の将来の姿を重ね、自問自答する。
四六時中白い壁と天井を見るしかない人の気持ちが、理解できないのか。苦しんでいる老人に対し “もっと生きて苦しめ”とうながすような体制派の言葉とは今まで以上に徹底的に闘おうと、酸素吸入の音を聞きながら健斗は固く誓った
彼が異常なほど筋トレに励むのも、おそらくこの点と関係があるのだろう。
それでも健斗はどうしようもなく澱んだ日々を生きながら、祖父との関係性に何かを見出し、自分なりに考えていく。
また、この作品の凄さは老人介護のリアルも描き出していることである。
祖父が人を見て態度を豹変させることや、入浴、食事、会話の内容。
肉親に感じる憎しみや愛しさ、汚物にまみれた生活にもふと感じる美しさがあること。
「殺してくれっ!」「もう少し待っててねぇ」「はぁい」
すると老婆はおとなしくなり、用を済ませたらしき看護師もすぐ病室から去った。入れ歯を洗いながら健斗が窓の外に目を向けると、夜空に満月が見えた。北向きの部屋からは決して見られない、綺麗な満月だ
きっと羽田さんも誰かから話を聞いたり、身内が同じ状況だったりしたのだろう。
すべて我が家の祖母のことかと思うほど既視感があり、思わず懐かしくて涙が出た。
「スクラップ・アンド・ビルド」とは?
最後のおすすめポイントは、作品を通じて終始描かれるあまりに具体的すぎる「筋トレ」の話である(同じく芥川賞受賞作の川上未映子『乳と卵』でも豊胸の話が延々と描かれるがそれに近いものがある)。
もはや本編の約3分の2が健斗の筋トレの話であるといっても過言ではない。
いったい作者はこの作品を通して何が言いたいのか?
電子音のホイッスルとともに震えながら崩れ落ちると思わず悪態をつき、一週間に一度は鍛えないと維持できないもののための努力を今後長期にわたり継続できるのかという疑問が頭をよぎる。しかし荒い呼吸で酸素を取り戻しつつある脳の冷静な部分が、全身の再起をうながした。一定期間集中的な鍛錬を行うと、筋繊維にはその記憶が筋繊維核数の増加として蓄積される
ひとつ言えるのは、作中で徐々に明らかになっていく事実が健斗に何らかの影響を与えていくということだ。
祖父もかつて戦時中は過酷な訓練で身体を鍛えていたらしいこと(ネタバレになるのでこれ以上は控える)。
「急降下」の話を聞いてから、健斗の祖父に対する感情に変化が生まれたこと。
物語の最後で健斗が向かう場所は、広い意味ではかつての祖父と同じ場所であること。
作中後半で明かされる「スクラップ・アンド・ビルド」の意味。
いったいなぜ健斗は、彼らは、身体を鍛えるのか?
一体何に抗おうとしているのか?
その続きは、ぜひ本編を読んで考えてみてほしい。
まとめ
毎日がつまらない。
こんな暮らしの中で生きている意味があるのか。
塞ぎこんだ日々を過ごしたことがある人ならば、きっと一度は考えたことがあるだろう。
もしくは、天井を見つめ、生きているのか死んでいるのかもわからない肉親を見て、そう考えた人もいるかもしれない。
けれど、たとえそういう人生の結末が待ち受けていたとしても、今この一瞬だけは、わたしたちは確かに生きている。
それだけは事実だ。
本当に命が果てるまで、どこまでも生にしがみついたっていいじゃないか。
それがみっともないことだとは思わない。
そういう澱んで停滞した日々を生きている人たちに向けて、きっと羽田圭介は彼なりのエールを送っているのかもしれない。
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