この時代だからこそ、読んでほしい一冊がある。
凪良ゆうの『滅びの前のシャングリラ』だ。
彼女をはじめて知ったのは、2020年の本屋大賞で『流浪の月』がグランプリを獲得したときだという人も多いだろう。
だがそれより以前にもBLを中心に、2017年に非BL作品『神さまのビオトープ』(講談社タイガ)を発表し、高い支持を得てきた実力派の作家なのだ。
『流浪の月』をきっかけに新たな読者層を獲得し、現在も『美しい庭』などの一般文芸作品を発表している。
そんな著者の本屋大賞受賞後第一作が、この『滅びの前のシャングリラ』。
ぜひ、この物語と出会ってみてほしい。
目次
こんな人におすすめ!
- しっくり来ない毎日を送っている
- 背中を押してくれる物語が読みたい
- 絶望的な状況で、「どう生きるのか」を考えさせられる作品と出会いたい
あらすじ・内容紹介
17歳の男子高校生・江那友樹(えな ゆうき)は、ぽっちゃりした体型で運動も勉強も中の下の、スクールカーストの下層にいる少年だ。
同級生の男子生徒・井上からいじめにあっており、未来に絶望している。
そんな矢先に、首相の記者会見で「一ヶ月後、小惑星が地球に衝突します」という内容を耳にするのだ。
そんなとき、特別な思いを抱く少女・藤森雪絵(ふじもり ゆきえ)が、東京で予定されている女性歌手・Locoのライブに行こうとしている話を知ってしまう。
そして、彼女を守ろうと東京に行く決意をするのだった。
40歳の目力信士(めぢから しんじ)は、チンピラふぜいの毎日を送っていた。
悪の道を転がり落ちていった信士だったが、そんな彼にとって、何年経っても忘れられない女がいた。
心臓の真上に、女の名前のタトゥーを今も刻んでいた。
だが何かと自分を気にかけてくれる兄貴分の五島(ごとう)から、対立する組の若頭の男を殺すように命令を受けてしまう。
友樹の母親であるシングルマザーの静香や、人気絶頂の女性歌手のLocoこと本名・山田路子(やまだ みちこ)が登場し、それぞれの視点で物語は進んでいく。
この4人が重なるとき、忘れがたいラストへ導かれていくのだ。
『滅びの前のシャングリラ』の感想・特徴(ネタバレなし)
絶望を前にしたときに、剥き出しになる人間の姿
「一ヶ月後、小惑星が地球に衝突します」
夜の八時、すべてのチャンネルで首相の記者会見が放送された。
それが、すべての始まりだった。
なんとか衝突を回避できないか、何年も前から各国協力態勢で挑んできたが、ついに軌道を変えることはできず、小惑星は一ヶ月後の日本時間15時に地球にぶつかるという話だった。
そこから、人びとの生活は一変してしまう。
テレビ中継からはアメリカの暴動の様子が流れ、あちこちに火の手が上がり、ショーウィンドウが割られて商品が略奪されている。
そんな中でも「休校の知らせは出てないから」と友樹は高校へ向かうのだが、街をゆく人びとはどことなく不安そうな顔をしていた。
それでも驚くべきことに、街はサラリーマンやOL、学生で溢れていた。
日本では大雨や大雪の予報があろうとも出勤などを余儀なくされることも珍しくないのだが、その異様な光景がこの物語の中でも語られていく。
だがしかし、日常はとうに軋み始めていたのだ。
友樹が通学して二日目に、一人の女生徒が死んだ。
飛び降り自殺だった。
生徒達は動揺し、帰宅するよう言われたもののざわめきは収まらなかった。
身近な生活に突然現れた〈死〉という現実。
そんな中でも、雪絵は東京に行くことを決行する。
だが彼女に一方的に思いを寄せる男子生徒の井上が、仲間を引き連れて無理やりボディーガードとして着いていこうというのだ。
そして友樹もまた、その後を追いかけていく。
だが井上達によって雪絵は襲われされそうになり、それを友樹が身を呈して守るのだが、その際に井上を石で思い切り叩きつけ、井上は倒れこんでしまう。
「人を殺してしまった」と青ざめた友樹の手を雪絵がぐいと掴み、二人は夜の街へと逃げ出していく。
少年と少女は手に手を取り合い、それまでとは変わり果ててしまった世界を逃避行する身となるのだ。
それまであった日常は、もうどこにもなかった。
人びとは死を前に次第に崩れていき、店は襲撃にあい、いたるところでありとあらゆる暴力や犯罪が横行していった。
剥き出しの欲望、犯罪や暴力。
物語が進むにつれ、人の死どころか、死体ですら、ただの物体として扱われていく。
非常時に、どう人が荒み、それまで常識で守られていたものが崩れていくのかが容赦なく描かれていく。
死を前にして、成長していく人びとの姿
この『滅びの前のシャングリラ』には、様々な人物が登場する。
なかでも胸がすくのは、いじめにあっていた少年・友樹の成長だろう。
友樹にとって、雪絵は特別な少女だった。
小学五年生のとき、友樹は駅のホームに佇む雪絵と出会う。
それは、雪の降る寒い日だった。
ホームのベンチに腰かけている雪絵に、友樹はおずおずと使いかけのカイロを差し出す。
みるみるうちに涙が目に浮かんでくる雪絵の口から、「東京に行こうとしていた」ことが告げられるのだが、広島から東京まではあまりにも遠かった。
いざとなると怖くなってしまい、ずっとベンチにいたという彼女の様子に胸を痛めた友樹は、「ぼくが一緒に行こうか?」と声をかけるのだ。
だが後日学校で言葉を交わしたときの雪絵の態度は素っ気なく、結局二人で東京に行くというのは叶わなかった。
友樹は羞恥に耐えながら、心の中でこう呟く。
──SOS地球、SOS地球。こちらぼく。緊急事態発生。
──今すぐ爆発して人類を滅亡させてください。
そんな苦い思い出がありながらも、友樹の視線は雪絵を追いかけてしまう。
そうして、彼女を守るために東京へ行こうと決意し、思いがけない出来事に廻り合いながらも誠実に彼女との距離を進めていくのだ。
誰もが、思うだろう。
「地球に小惑星が衝突する」と知るまでの友樹と、愛する少女の笑顔を守ろうとするために生きようとする友樹では、どちらがより幸せそうなのかは一目瞭然だ。
何より、それまで萎縮していた姿が嘘のように生き生きとしている友樹の姿に、「幸せ」のかたちについて考えさせられた。
どんな絶望の中でも、生きることを考える人間の強さ
生きるということについて思いをはせる時、真っ先に浮かぶのが友樹の母・静香だ。
彼女は第三章「エルドラルド」の語り手でもあるのだが、それより前の第一章「シャングリラ」でも、どんな人物像なのかが伺えるエピソードが登場する。
小惑星が地球に衝突することが発表され、仕事を欠勤する人間が出ても静香は仕事に行くのを止めなかった。
まだ会社へ行くのかと息子の友樹に問われ、こう答えるのだ。
「けど小惑星の気が変わってぶつかんないかもしれないだろ。そしたらこんなときでも毎日出勤してたってことで給料を上げてくれるかもしれない。いや、必ず上げさせる」
母親は弁当を鞄に詰め、皿洗っといてと言い置いて出勤していった。常々そこらのおじさんより男らしいと思っていたが、あの母親なら無法の世界でも逞しく活路を見いだしていく気がする。
自暴自棄になる人間や略奪を繰り返す人間もいる中で、「小惑星が衝突しなかったときのこと」を考えられる逞しさと健やかさに救われた。
第三章「エルドラルド」で、静香はかつて愛した男と再会する。
いたるところで死体が転がっているような非日常の中でも、食事を作り自らの子どもや男を食べさせる。
食べて寝て働こうとする人間の強さと、頭で考えるより早く大切な者のために動ける姿に、ただ見惚れるしかない。
考えたくもないが、もしこんな非日常が目の前に迫ってきたなら、彼女のようでありたいと切に願ってやまない。
まとめ
この物語は、決められた破滅へと向かっていく。
誰の人生も、すべてがそこで途切れてしまう。
どんな幸せも喜びも温もりも、こんな世界で生きなければいけない絶望も嘆きも怒りも悲しみも、何もかもを飲み込んで瓦礫と化していく。
なら、そこでの喜びや幸せを感じることは無駄なのか。
私は、決してそうは思わないのだ。
ゴールがどこにあろうと、精一杯命を燃やすことはそれだけで素晴らしい。
まるで絶望の中の讃歌のように、この『滅びの前のシャングリラ』という物語は、強く強く私達の腕を引き上げてくれる。
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