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『最後の将軍 徳川慶喜』あらすじと感想 【「ラストショーグン」の苦悩と偉業とは?】

最後の将軍 徳川慶喜書影画像

将軍にはなれない家柄「水戸徳川家」に生まれた徳川慶喜。

家臣、親藩、外様、そして水戸藩主である父親からの期待を一身に背負わされながらも、14代将軍の座には就くことが出来ず。

しかし、将軍後見職として実力を発揮していった慶喜はついに15代将軍へ就任。

だが、時勢には抗えず家康以来の大器と呼ばれた慶喜の最後の大仕事は、皮肉にも幕府を終わらせることであった・・・。

こんな人におすすめ!

  • 幕府側の幕末を読みたい人
  • 司馬遼太郎の世界に浸りたい人
  • 組織のトップの苦悩を知りたい人

あらすじ・内容紹介

嘉永6年(1853年)、ペリー率いる黒船艦隊の来航により、日本中が開国か攘夷か、佐幕か倒幕かをめぐる大混乱に陥った。

世に言う幕末のはじまりである。

その様な中、徳川御三家「水戸家」に大器の若者がいるという噂が流れる。

「あの方が将軍になれば、日本の憂いを払い、外国の脅威もはねのけてくれるだろう」

変わりゆく世情と不安な人々の期待を背負ったその若者こそ、一橋慶喜、後の徳川慶喜であった。

だが、慶喜の目の前には、多くの困難が待ち構えていた。

不平等な条約を押し付け、隙あらば侵略を狙う西欧諸国、無責任に攘夷を叫ぶ現実を知らない志士、「攘夷は無謀」と真実を言わない閣僚、国際ビジョンも無く権力強化しか頭にない井伊直弼一派、味方ながらも腹に一物を持っている外様大名、暴走する長州藩と暗躍する薩摩藩。

敵味方が入り乱れながらも、慶喜はその頭脳と胆力で崩れかかった徳川幕府を建て直そうと奮闘する。

そして慶応2年(1866年)。

14代将軍徳川家茂の死去により、15代将軍となった慶喜は数々の改革を断行していくが、時すでに遅し。

薩長勢力による倒幕はもう目前まで迫ってきていたのだ。

すぐれた資質を持ち、幕府再興を願いながらも、幕府を終わらせなければならなかった悲運の将軍について、本書は余すところなく描かれている。

『最後の将軍 徳川慶喜』の感想・特徴(ネタバレなし)

秀才リーダー・徳川慶喜最大の弱点とは?

慶喜の出自

徳川慶喜は、天保8年(1837年)、「水戸徳川家」水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の七男として生まれた。

「水戸徳川家」とは初代・徳川家康が、自分の血筋を絶やさないように準備しておいた家柄「御三家」の一つである。

尾張、紀伊、水戸の三家がそれであり、もし将軍に空きが出れば家康の血を引く御三家の人間が選ばれることになっていた。

実際、暴れん坊将軍こと8代将軍吉宗も、空位が生じそうになった時に紀伊徳川家から選ばれたという経緯があり、家康の予見は的中したと言える。

さて、斉昭から「水戸徳川家」の跡継ぎとして期待された慶喜は、幼き頃より剣、武道、馬、水泳、礼儀、その他諸々の英才教育を施され、スパルタ式に育てられた。

ただ、水戸家は御三家の中で最も格下とされ「将軍にはなれない家柄」とされてきたため、斉昭は「何としても水戸から将軍を」という願いが強く、慶喜にかける期待も大であった。

また、この時代、開国か攘夷に二分された日本は乱世の様相を示し、それまでの身分制度にとらわれた時代が終わりを告げ、様々な人間や勢力がのし上がろうという世論が形成されつつあったのだ。

人間・徳川慶喜

本書の面白さは、歴史的事実や思想を司馬遼太郎風味に味付けした上で、文学としてきちんと人間・徳川慶喜を描いているところである。

父の英才教育のおかげか、何でも器用にこなす秀才に成長した慶喜は学問も武術も体力も人並み以上に優秀。

戦場における指揮官としても優れており、池田屋事件を契機に勃発した長州藩との戦闘「禁門の変」の時も、動じることなく堂々と自軍を指揮して迫りくる長州軍を見事撃退した。

だが秀才である反面、突出した「何か」があるわけでなく、また頭が良すぎる故、本音でズバズバものを言ってしまう欠点があった。

特に、面子を何より気にする大名たちに面と向かって「お前は愚かだ」と言ってしまうこともあり、これが後に大いに災いしてしまう。

たとえ理にかなっていたとしても、大切なのは理だけではない。特に人間関係においては。

結果として無用な敵を作り支持者を失っていき、結果それが自身の孤立につながり、自身の大業の大きな壁となってしまったのだ。

優秀すぎる故に部下や周りが見えていない秀才リーダーにありがちなことである。

現代と同じようなことが幕末にもあったと考えると非常に興味深い。

天皇を尊ぶ「水戸学」は徳川本家に対する抵抗だった

「水戸学」という学問をご存知だろうか?

ドラマでもおなじみ水戸黄門こと徳川光圀が作ったのが「水戸学」だ。

ちなみに光圀は、慶喜の200年近く前のご先祖様。

そして水戸藩主でもあった水戸光圀の一番の功績は、世直し・地方漫遊(当然あれは史実ではない)ではなく、長い年月をかけて編纂された歴史書「大日本史」のプロジェクトをスタートさせたことであった。

日本の歴史が記されたその「大日本史」。

その骨子となる思想こそが「水戸学」であり、この思想は「尊皇」つまり「天皇を尊ぶこと」を何より大切にしていた。

日本の歴史の権力者の評価はその時代ことに変化するが、ことのほか大切なのは「天皇」とどのように付き合ってきたかである。

古代の蘇我氏をはじめ、藤原氏、平氏、源氏、北条氏、足利氏、織田、豊臣、徳川と、時の権力者達はどのような形にせよ必ず「天皇」との関りを重要視してきた。

藤原なら天皇と婚姻関係を結び、足利なら南朝と敵対してしまった、といった具合である。

では徳川はどうかというと、彼らは「天皇」を神聖な地位に祭り上げることにより、政治の実権は武家である自分達に集中させたのである。

つまり徳川は政治においては「徳川が一番偉い」という思想を前面に押し出し、天皇や朝廷を政治の実権から遠ざけたのだ。

そこで出てくるのが水戸学である。

天皇こそが尊いという思想は、「徳川一極支配」や「徳川こそ偉い」という世においては、権力者にとっては不都合な思想ともいえた。

しかも、そのような思想をなぜ徳川に近い水戸家が作ったのか?

それこそがまさに水戸家が「将軍を出せない家柄」というのが理由であった。

御三家の中でも冷遇された水戸家。

彼らが徳川本家に対する抵抗を、徳川以上の権威「天皇」を尊ぶことで押し出していたとも読み取れるのだ。

現在、司馬史観(司馬遼太郎が作った歴史の見方)と呼ばれる考えは、学問的には間違っていると指摘されることが多々あり、未だに議論が続いていたりもするが、文学・歴史の「物語」として非常に面白く、きれいごとでは済まない人間社会のエゴも描きだされているのが何よりの魅力なのである。

政治の正義も一皮むけば感情の塊

本書の山場の一つである「将軍継嗣問題」。

安政5年(1858年)、病気の13代将軍・徳川家定がいつ亡くなるか分からない状況の中、次期将軍候補として挙がったのが一橋家に養子に入っていた慶喜と紀州徳川家の徳川慶福であった。

慶喜を支持する一派を「一橋派」、慶福を支持する一派を「南紀派」といい、彼らは今の某政党の総裁選以上の派閥争いを繰り広げることとなる。

結果は「南紀派」が勝ち、慶福は第14代将軍、徳川家茂となる。

しかもこの「南紀派」の最大の支持者こそが、あの井伊直弼であり、家茂が将軍になった後「一橋派」に対し報復かのような粛清を開始するのだ。

これこそが「安政の大獄」である。

結果、「一橋派」は続々謹慎に追いやられていき、多くの志士達が処刑されてしまう。

これに激怒したのが一橋派最大の支持者である水戸藩なのだ。

そして水戸藩を脱藩した武士達が桜田門外で井伊直弼を暗殺する、という流れになるのだ。

攘夷と言う正義、開国という正義の思想の裏にも、結局は人間の恨みの感情が多分に含まれているのは今の政治でもなんら変わりないのかもしれない。

また皮肉なことに、この時「一橋派」であり慶喜をバックアップしていた薩摩藩が後々慶喜の最大の敵となるのは、政治の冷酷さを表している。

まとめ

司馬遼太郎作品の魅力の一つとして「冷静な目線」がある。

歴史モノでありがちな「大義のために死ぬ」という言葉。

これは美しく、それに自己犠牲の精神などが入ると物語は非常にドラマチックになり人々に感動を呼ぶ。

その一方、世の中は美しい名分に飾られながらもその実、偽善にまみれているものだったりもする。

ブラック企業が「あなた達は社会のために働いている」と美辞麗句を吹聴しながら、給料をピンハネしているなどはその好例であろう。

これら「本音」と「建前」の人間社会のいやらしさ、自己都合、集団ヒステリー等の汚い部分も、本作では「権力側の人間」の目線から読み取ることも出来るのだ。

人間のカッコいい部分と汚らしい部分、そのどちらも人間であり、それらを余すところなく描いてくれるのが司馬作品なのだ。

ぜひ一読してもらいたい。

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