生まれてから15年の間に、父親が3回、母親が2回変わるというと、どう感じますか?
継父、継母との関係が上手くいってなかったり、悲惨な出来事に直面していても誰にも悩みを打ち明けられなかったり、家族の複雑さゆえにグレてしまったり、なってしまっていないかと考えてしまいませんか。
しかし、瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』の主人公”優子”は違います。
離婚・再婚により、これまで家族だった人と別れる寂しさはあっても、継父、継母と上手くいかなかったり、悲惨な出来事に直面したことはないのです。
本書は、高校生の”森宮優子”が”水戸優子”、”田中優子”、”泉ヶ原優子”を振り返りながら、家族、進路、友情、恋愛と悩みつつも過ごす高校生活最後の1年+αを綴っています。
目次
あらすじ・内容紹介
血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も名字が変わった森宮優子、十七歳。だが、彼女はいつも愛されていた。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作。
“BOOKデータベース”
そして、バトンは渡されたの感想(ネタバレ)
“水戸優子”の時代ー梨花さんが来る前ー
生まれた時の名前は水戸優子。
そのときは、お父さんとお父さんの両親、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒にすんでいました。
しかし、お母さんはいません。
普段お母さんがいないことに対する寂しさはなくても、保育園の卒業式や小学校の入学式で「なんでお母さんがいないのか」と思ってしまうことはあったのです。
お母さんがいない理由が分かったのは、小学校2年生の時。優子が3歳になる前に、交通事故で亡くなってたのです。
後に何回か親が変わっても、亡くなったのは実の母親だけであり、どこにいても会えないのは寂しいことと振り返ります。
“水戸優子”時代ー梨花さんとー
母親が亡くなっていることを知った年の夏休みに、田中梨花さんと会うようになっていきます。
梨花さんはお父さんの会社に派遣社員で入ってきた人でした。
最初は時々会うだけでしたが、優子が3年生になると同時に、梨花さんも一緒に暮らし始めました。
お母さんが亡くなったことを話したのは、梨花さんのことがあったからだと思いました。
梨花さんが来てから、優子の周りは可愛いものやおしゃれなもので増えていくようになりました。
しかし、お父さんのブラジル転勤でこの生活も変わります。
この時、小学校5年生になるとき。
お父さんと一緒にブラジルに行くか、それとも梨花さんと日本で一緒に暮らすか。
優子は自分で選ばなければなりませんでした。
その中に3人一緒にブラジルに行くという選択肢はありませんでした。
当時優子は友達と別れたくなく、実のお父さんではなく、梨花さんと住むことを選びました。
当時10歳だった自分に選択をさせないべきではなかったのではないか、と振り返ります。
その後のことを考えると、不満はないのですが、友達は一緒にいて楽しいけれど、別の場所にいても新しい友達はできます。
だけど実のお父さんの手を取ることは2度とできなくなってしまいました。
“田中優子”時代
お父さんがいない生活になっても、梨花さんの購買意欲は衰えませんでした。
だから、お父さんからの養育費だけでは足らなくなり、小さいアパートへ引っ越し、梨花さんは保険の仕事を始めました。
梨花さんが仕事でいない間、優子は大家さんと話したり、飼っている犬を散歩しました。
ブラジルに行ったお父さんには時々手紙を送っていましたが、1度も返事が来ません。
それもあり、犬の散歩中は時々寂しくなったりしました。
大家さんは実の娘のように優子を可愛がってくれていましたが、高齢のため、施設に入ることになりました。
施設に入るという日、優子はお見送りをします。
永遠の別れではなくても、寂しさは募り、涙を流します。
お父さんや大家さん等、思い出の中でしか会えなくなってしまう人が増えていく優子。
本当の親子であっても、別れた人を思い出し、いつまでも過去を引きずることをやめて、目の前の人を大事にしようと決めたのでした。
“泉ヶ原優子”時代
小学校6年生になると、周りでピアノを習う子が増えてました。
優子も何気なくピアノを習いたいと呟きました。
それを聞いた梨花さんは、真剣に考えます。
それから半年後、優子は小学校を卒業します。
梨花さんは卒業お祝いに、ピアノをプレゼントすると言います。
そのため、急遽小さいアパートから大きいお屋敷に引っ越しました。
そこは49歳泉ヶ原さんという男性のお屋敷でした。
つまり梨花さんは泉ヶ原さんと結婚して、優子も泉ヶ原優子になったのでした。
お屋敷には泉ヶ原さんの亡くなった前妻が使っていたピアノがありました。
そのピアノを優子は弾いていいというのです。
この日から優子はピアノを弾くようになります。
また泉ヶ原家にはお手伝いの吉見さんもいて、梨花さんも優子も家事をしなくて良い生活になりました。
最初は天国と思っていた梨花さんですが、3ヶ月すると飽きてきてしまい、さらにその後、梨花さんは家を出てしまいました。
といっても、毎日夕方に泉ヶ原家に現れる生活になっただけです。
そんな生活も中学3年生になると間隔が空いてくるようになりました。
そして、中学3年生の3学期、梨花さんは泉ヶ原さんと離婚し、新しく森宮さんと結婚することになったと優子は聞かされます。
そして、優子は梨花さんが引き取ることになりました。
泉ヶ原さんとは特段会話をしたわけではなかったのですが、やはり一緒に家族として住んだ人と別れるのは辛いものです。
何がいいのか。
そう考えてしまうと、何かが壊れそうに感じ、投げやりになるしか心が収まらなくなってしまったのです。
“森宮優子”時代
高校生になると同時に、”森宮優子”になった優子。
しかし、梨花さんは森宮さんと同居してから、わずか2ヶ月で家を出ていってしまいました。
泉ヶ原さんのときと同じように、いつか帰ってくるかと思っていましたが、今回は全く帰ってこないで、離婚届だけが郵送されました。
それでも森宮さんは優子の父親になったことは大変喜んでくれて、優子は森宮さんとの生活を続けることになりました。
森宮さんは東大を出て、一流企業で働いていますが、どこかずれています。
入学式の日の朝食にカツ丼を作ったり、友達との関係がこじれたときにスタミナをつけるために餃子を毎日作ったり、合唱コンクールで優子が伴奏者になった時にピアノの時間に優子がとられるのにイライラしたりと、どこかずれているのです。
でも、優子はずれているとは思っても、不幸だとは思ったことがないのです。
むしろ優子は、友達との関係がこじれたり、球技大会委員を勤めたり、告白されたり、合唱コンクールではピアノ伴奏をするこよになったり、その伴奏で他のクラスの伴奏者だった早瀬くんの演奏がいいと思ったり、隣のクラスの脇田くんと付き合ったりと普通の高校生らしい生活を送っています。
そんな慌ただしい学校生活も終盤に差し掛かり、無事に志望校の短大に受かって、”森宮優子”として卒業していくのです。
早瀬くんとの結婚まで
短大も卒業し、宅配も行っている山本食堂に就職した森宮優子。
そしてその間に、合唱コンクールで優子と同じく伴奏していた早瀬くんとの結婚を決めます。
一番承諾してくれそうな森宮さんへ挨拶に行った2人。
しかし予想に反して、森宮さんは2人の結婚を反対します。
それは早瀬くんが音大を中退し、ピザの修行のためイタリアに行ったり、ハンバーグを学びにアメリカへ行ったりと、一言で言うとフラフラしているからです。
森宮さんからの承諾が得られない以上、優子は他の親へ挨拶へ行こうとします。
森宮さんと住んで以降、連絡を取っていなかった泉ヶ原さん、その泉ヶ原さんと再婚し、病気にかかっている梨花さんは、自分の結婚を喜んでくれました。
そして、梨花さんはかつて手紙を出しても返事が来なかったお父さんからの手紙を持ち出します。
梨花さんが優子を取られるのではないかと心配して見せられなかったという手紙の数々。
お父さんの気持ちも梨花さんの気持ちも分かり、読むか迷っている様子です。
また、お父さんは再婚して新しい家庭を持っていることも聞きます。
それゆえお父さんには連絡しないことにするのです。
他の親から承諾を得られたため、森宮さんもしぶしぶ2人を認めます。
そして、早瀬くんもフラフラしていた生活から、やっぱり好きなピアノの伴奏に絞ることにして生きることにしたのです。
結婚式当日、泉ヶ原さん、梨花さんに加え、なんとお父さんも来たのです。
血の繋がったお父さんが来たため、バージンロードを歩く人を変えようと森宮さんが主張しますが、、
それでも、バージンロードを歩くのは森宮さんとでした。
まとめ
一言で言うと、何ともはちゃめちゃな家族構成です。
しかし、この小説で起こっていることはドラマチックではありません。
少し遠慮がある距離感はあっても、森宮優子の学校生活は何とも普通です。
他の家庭とも何も変わりません。
家族とは、互いに家族と認識しあった人々の集まりではないのでしょうか。
ストレートな言葉で家族とは?と表現していませんが、そのように感じるのです。
主題歌:中島みゆき/糸
『そして、バトンは渡された』に曲をつけるとすれば、小説の中に出てきた中島みゆきさんの『糸』になります。
結婚式で使用される曲ですが、この小説でも言っているように
会うべき人に出会えるのが幸せなのは、夫婦や恋人だけじゃない。
なんだと思います。
色々な家族と出会った優子だからこそ、これに気付くことができたのではないかと思います。
この記事を読んだあなたにおすすめ!




コメントを残す