血の繋がらない親の間をバトンされてきた優子。
しかし、彼女の人生は愛情と幸福に満ちていた。
そして優子は、次のバトンを自身で繋いでゆく……。
目次
こんな人におすすめ!
- あたたかい物語が読みたい人
- 親子の愛情の物語が読みたい人
- おいしいご飯が出てくる物語が読みたい人
あらすじ・内容紹介
森宮優子(もりみやゆうこ)は37歳の血の繋がらない父親と暮らしている。優子はこれまでに苗字が4回も変わり、母親が2人おり、父親にいたっては3人存在する。
彼女の運命を変えたのは、優子が3歳になる少し前に実の母親が交通事故で亡くなったことからだった。
父親と祖父母に育てられていた優子だったが、ある日父親が若い女性「梨花(りか)さん」を連れて来る。優子の2度目の運命が変わる瞬間だった。
母親になった梨花は自由奔放でありながら優子を実の娘のように可愛がり、そして優子がやりたいと思ったことはなんでもやらせてくれた。
優子は3人の父親の間を渡り歩くことになるのだが、彼女の人生は常にあたたかな人とあたたかな日常に囲まれていた。
それぞれの親にそれぞれ異なる形で愛情を注がれて育った、優子の過去と現在が交差するハートフルストーリー。
『そして、バトンは渡された』の感想・特徴(ネタバレなし)
悲劇のヒロインである必要はどこにもない
困った。全然不幸ではないのだ。少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど、適当なものは見当たらない。
主人公・森宮優子は担任の向井(むかい)先生に
「その明るさは悪くないとは思うけど、困ったことやつらいことは話さないと伝わらないわよ」
と言われて頭を悩ましながら、そんなことを思っていた。
優子は2度も母親が変わり、父親に至っては3度も変わっている。
最終的に「森宮さん」と呼んでいる父親のもとで暮らしているが、その父親とも仲が良く、なんとなく会話が「ちょっと歳の離れたお兄ちゃん」という印象を受ける。
そんな生い立ちを「全然不幸ではない」と言い切ってしまう優子に、読者は驚くかもしれない。考えてみれば、優子がグレてしまう要素は人生でいくつもあったわけだ。
優子は3歳になる前に実の母親を交通事故で亡くしている。その後は、祖父母と父親に育てられるのだが、祖父母の温かくやさしい愛情のおかげでおそらく、「母親がいない」という寂しさは感じずに小学生まで育ったと思われる。
しかし、小学校の入学式で自分と周りとの決定的なちがいを見つけてしまうのだ。
そう、周りは両親が入学式に来ているのに、自分には「父親」しか来ていない。そのことについて父親に尋ねるのだが、お決まりのセリフのように「優子が大きくなったら教えてあげる」とはぐらかされてしまう。
「母親の死」というものを結局優子は早い段階で父親に知らされてしまうのだが、このときの優子の心の痛みが集約されている、辛いセリフがある。
ずっとお母さんがどこにいるか知りたかった。でも、会えないのは同じなら、お母さんはどこか知らない遠くにいると思っていたほうがきっとよかった。
母親の死を知らされた時点で優子は、「お母さんを小さいときに亡くしてしまった、かわいそうな少女」になってしまったのだ。
しかし、優子は決して「悲劇のヒロイン」なんかにはならなかった。
次々と親が変わり、そのバトンのようにいくつもの家を、苗字を渡り歩いたけれど、優子はお涙頂戴のヒロインに成り下がることはなかったのである。
それを物語っているのが、冒頭の「全然不幸ではないのだ」というセリフだ。
描かれてはいないけれど、優子だって親が次々と変わることへの戸惑いはあったはず。気持ちの整理がつかなかったり、新しく親になる人とうまくやっていけるかどうか悩んだり、多感な時期に親の結婚と離婚を繰り返し見てきたわけだから、複雑な心情を抱いたっておかしくないのだ。
ただし、本書にはそれが書かれていない。それはきっと著者・瀬尾まいこが安直な「悲劇のヒロイン」を書くことを避けたからではないだろうか。
優子の心情を掘り下げようと思えばいくらでも掘り下げられるし、その生い立ちに関して優子はとことん不幸を感じることができる。
しかしそうしなかったのは、単純にその生い立ちで涙を誘うのではなく、強く生きている部分だけを見せて、優子なりの人生を歩んでいる姿を示したかったのではないだろうか。
自分の人生を決めるのはいつだって自分だ
友達ってそんなに大事なのだろうか。友達の言うことはなんとしても聞かなくてはいけないのだろうか。そんなわけない。優先すべきもの、それが何かはわからない。ただ、友達ではないのは確かだ。
友達に無視されたって、勉強をおろそかにするのはよくない。萌絵や史奈はいい友達だけれど、私の将来を約束してくれない。
高校生になった優子には仲のいい友人が2人できた。萌絵(もえ)と史奈(ふみな)である。しかし、あることがきっかけで萌絵との関係がこじれ、史奈ともぎくしゃくしてしまう。
その「あること」自体は高校生にありがちな、大人が読むと「青春してるな」と思えるような出来事なのだが、本人たちはとても真剣なのだ。おかげで優子はクラス中の女子を敵に回し、孤立するという事態まで起きてしまう。
だというのに、優子はクラスで孤立しようが、萌絵と仲が悪くなろうが、史奈と話しづらくなろうが、雰囲気に呑まれずに、「自分」というものを確立して過ごしている。悩んでいる描写は多少あるものの、あくまで出来事を淡々と見ているのがわかる。
高校時代の友人関係というのは、大人になっても続くものが多く、生涯の親友だってできる可能性もある。つまり、そういった友人を作れるという意味でも大切な時間を過ごすことができるのだ。
しかし、その一方で「将来を決める」という大事な時期でもある。就職するのか、大学へ進学するのか。人生の岐路に立たされるのが、高校という場所だ。
例えば優子が萌絵と史奈との関係がこじれたことに心底悩み、その問題が解決したあとも彼女らの機嫌をうかがうような生活をし始めたとする。
その中で萌絵が「私、〇〇大学へ行くんだけど、優子も一緒に行こうよ!」と言われて、萌絵の機嫌を損ねたくない優子がそれに同調してしまうと、この物語は大きく変わっていったと思うのだ。
この物語は全編を通して優子が、親の間を渡り歩きながらも優子自身の人生をしっかりと歩んでいっているという「芯」が通っている。
友人関係に関する優子の上記の発言は、それの現れだ。
「私の将来を約束してくれない」という言葉は、萌絵と史奈との関係がたとえこのままこじれた状態で過ごすことになっても、それらが優子の人生を決めるものではないことを示しているのではないだろうか。
確かに友人は大切だ。一緒にいて楽しい、一緒にいると悲しさが半分になる、辛いことも一緒に乗り越えられる……。
人生の岐路に立ったとき、友人はアドバイスしてくれるかもしれないが、最後に決めるのは絶対に自分なのだ。
思春期特有の友人関係のもつれに巻き込まれても優子はなびかない。
その強さは生い立ちゆえのことかもしれないが、きちんと自分が歩んでいく道を見据えているとも捉えられるのではないだろうか。
「父親役」ではなく、本当の「父親」として
優子は最終的に「森宮さん」と呼んでいる37歳の父親と暮らしている。2番目の母親であった梨花(りか)と森宮さんが離婚してしまったからだ。
当たり前だが、優子は「森宮優子」という名前で学校に通っているし、そう名乗っている。
森宮さんの娘なんだから当然のことなのだが、優子は父親である森宮さんのことを「お父さん」とは呼ばない。ずっと「森宮さん」と呼んでいる。
それは優子が森宮さんに壁を作っているわけではなく、優子自身が「お父さん」と呼ばないことを選択した結果だった。
逆に、森宮さんが優子に壁を作っているのでは?と感じる発言がある。
「いや、父親なんだから当然だよ」
この言葉を普通の父親が言うだろうか?どこかで「血が繋がっていない」という意識があるからこその発言かもしれない。
森宮さんは普通の父親であろうとするばかりに、ときどき空回る。ただの始業式の朝に「おめでたいから」と言ってかつ丼を作ったり、2人暮らしだというのに6人用のホールケーキを買ってきたりする。
優子はそんな森宮さんを責めたりしないし、むしろ笑っているのだが、それはきっと森宮さんが最大限の努力をして自分の父親であろうとする姿を認めているからだろう。
この物語の根底にはおそらく、「血の繋がりだけが、本当の親子ではない」というテーマがあると思うのだが、実際に血の繋がっていない優子と森宮さんはお互いが「親子」でいようとする姿がある。
森宮さんは努力をしているのかもしれないが、優子は自然な形で森宮さんを父親と認識している。
「やめてよ。親ばかだね」
「え?」
「森宮さん、親ばかだよ。私のことかわいいだなんて、外で言ったら絶対だめだよ」
こんな会話を優子が森宮さんとするのだが、優子が顔をほころばせている様子が目に浮かぶ。
森宮さんは父親であろうとするばかりに時に、父親という存在の範疇を超えた言動や行動をしてしまう。しかしそれは森宮さんが決して「父親役」ではなく、きちんと優子と向き合って「父親」になっている証拠でもあると思うのだ。
まとめ
大人の都合で何人もの親の間を渡り歩いた優子。
それでも彼女が道を踏み外さなかったのは、彼女自身の持前の明るさと、周りの大人が決してその生い立ちを否定しなかった部分が大きいと思う。
そして物語の最後に優子自身によって渡されたあるバトンは、愛情と幸福に満ちた未来へと繋がっていくはずだ。
この記事を読んだあなたにおすすめ!
【2023年】最高に面白いおすすめ小説ランキング80選!ジャンル別で紹介
書き手にコメントを届ける