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村上春樹風にマクドナルドで働いてみた「 完璧なポテトなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」

頭をハンマーで叩くように無慈悲なブザー音がキッチン内に鳴り響いた。

やれやれ、時間だ。

僕は黒いエプロンについた汚れを手で払ってから、ポテトを揚げるマシンの前に立ち、地獄の沼のような油に浸されたフライドポテトが入った網を外に出して、横にあるフックに引っかけた。

いつのまにか3つ年上の先輩が近づいてきて、何本かのポテトを手にとり口に含んだ。

「うん、悪くない。塩加減は適切だし、概ね平均的に塩がまぶされていて味のバラツキもない。揚げ加減もマクドナルドが理想とするそれに近い。

でも、なんだろう。ほんの少しだけ愛のようなものに欠けている気がする。本来ポテトには物質的な温かさを超えた、人の魂をも温める何かが必要なんだ」

彼は僕の肩に手を置いてこう言った。

「しかし、まだ深く考えすぎることはない。君は新人だ。いいかい? 完璧なポテトなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね

僕は一言礼を言って持ち場のハンバーガーマシンの前に戻った。

彼はいつも素直に褒めなかった。でも、少し疑問に思う。マクドナルドが提供するマニュアルに従っておけば、理想のポテトは自動的に出来上がるはずだし、そこに愛などという抽象的な概念が介在する余地はない。むしろ、そのような不確定なものを入り込ませないためにつくられたシステムがマニュアルなのだ。僕が猿でもない限りポテトが不味くなることはない。だとすれば彼は、僕の揚げるポテトに毎回難癖をつけ「味のチェック」という大義名分を得ることで、ポテトのつまみ食いをしたいだけなのかもしれない。

注文が入り、いつものようにハンバーガーをつくる。

バイトの初日の朝に電話が突然かかってきて、僕は目覚まし時計の代わりに受話器のボタンを押すことになった

「ねえ、あなた、杉田保くんで間違いないわよね」聞き覚えのない女の声だった。歳は30代ぐらいかもしれない。

「はい。確かに僕の名前は杉田保です」僕は寝ぼけた声にならないように答えた。

「余計なことは何も考えないでいいから、とにかく、今から指定する場所にすぐ来てほしいの。いい、場所は」

「すみません。まず、あなたが誰なのか僕にはわからないし、そんな人のお願いをいちいち聞いていたら、地球の自転が止まる頃までに僕はアルバイトの1時間も出勤できないかもしれない。申し訳ないですが、今日はシフトが入っていて、あなたのお願いを聞いている時間がありません。用事ならまた別の人をあたってもらえませんか」

しばらく沈黙があった。ロッカーを閉めるような音が離れたところから聞こえる。

「ごめんなさい。あまりに驚くと少しの間口がきけなくなってしまうものね。杉田保くん。いい、あなたは今、集合時間に遅れてるの。私はあなたが今日から働くマクドナルドの店長で、一度面接もしたはずよ。みんながあなたのことを待っているわ。あと、そんな話し方ばかりしてたらいつか損をするわよ」

やれやれ、これが社会なのだ。

あれから3ヶ月が経った。

早いもので、随分と仕事にも慣れてきた。相変わらず先輩はポテトの微妙なニュアンスについて文句をつけてくるが、それ以外は控え目に言っても良い職場だ。

しかし、どんな場所も人が営むものである限り永遠には続かないものだ。8月の気持ちよく晴れた木曜日の午後に、店長は僕たちクルーを呼び出した。彼女は、まるで都会の放つ光で薄らいだ星座を眺めるように目を細めてこう言った。

「お疲れさま。実は、今月からキッチンの全面改修が始まって、来月からはすべて全自動になるの。お客様から注文が入ったら、データを受信した最新型のキッチンマシンによってバンズが焼かれ、調理したてのお肉やシャキシャキのレタス、とろりとしたチーズが狂いなく挟まれる。ポテトも完璧な塩加減になるようにマシンがすべて計算して、お客様に提供されるわ。

もちろん、わたしだってあなたたちと一緒に働いていたかったけれど、どうやらそれも叶いそうにないみたい。残念だけど、あなたたちとはもう会えなくなるわ。ごめんね」

やはり、ポテトに愛は必要とされていなかったのだ。だが、仕方がない。誰が悪いわけでもないのだ。不平不満ばかり並べ立てても、人はどこにも行けない。

「わかりました。上の人たちがそのように決めたのであれば従います。これまで色々とお世話になりました。ただ、1つだけ気になっていることがあるんです。店長には恋人がいますか」

彼女の顔に微かな笑みが浮かんだ。

「今日は最後だからそういうことを話すのもいいわね。そうね、私には3年間付き合っている恋人がいるわ。彼なの」

彼女の指をさした先には、いつも僕がマニュアル通りに焼いたポテトを嬉しそうにつまみ食いしてくる先輩がいた。

そうか、ここに愛はあったのだ。

僕は着替え終えた制服を店長に返してから店を出て、駅前にあるバーでカルピスのソーダ割りをマスターに注文した。

 

 

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