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村上春樹風にマクドナルドで働いてみた「完璧なポテトなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」
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いつか、平成を懐かしく思えるのだろうか。

いつか、平成を懐かしく思えるのだろうか。

 

平成の終わりに、僕は3年と9ヶ月勤めた仕事を辞めた。人間関係が悪かったわけではない。むしろ良好過ぎるぐらいで、決断したくせに職場の人と別れるのが寂しくなってダサい顔して泣いた。

年号と共に新しく生まれ変わりたかったのだ。

幼い頃、母の料理を手伝っていた。母が喜んでくれるのが嬉しくてコックさんとして働くことを決めた。

専門学校を卒業し、有名なホテルのレストランに就職が決定。両親も喜んでくれていた。

平成最後の正月、生まれて初めて大吉を引いた。去年で厄年を終え、後厄があるにも関わらず、そこはかとなく大成功の兆しを感じた。

“何もかも思い通りにいきます。”

僕は革命家にだって、アパレルの社長にだって、何にだってなれる。なんてったって大吉を引いているから。

淡い期待は根拠のない自信へと進化を遂げる。

神がオフィシャルスポンサーについてるのを良いことに、「地元の先輩呼ぶぞ?」とメンチを切り、バックの強さをアピールしてしまうくらい強気で面接に臨んでいた。

世界一怖いもの知らずな動物にギネス認定されているラーテルという動物がいる。彼らは自分よりも大きなスイギュウやライオン、コブラに挑んでいく。

そんなラーテルでさえ、「それはやめとこうよ」と言い出しそうな武器、”大吉を引いたからイケる。”を携えて面接に挑みまくる。

雨が降るように、花が咲くように、宇宙が広がり続けるように、当然の如く面接は通らない。

時間が経って分かったのは、自分の愚かさと面接官の正しさだった。

惨敗の就活の日々の合間に、映画を観た。まだ東京タワーが建設中だった頃の人情味溢れる物語だ。僕は昭和に羨望していた。

物は無くても、愛で補っていた時代。

物が無いなら作ればいい、さながら豊臣秀吉を例えた句のような創造性に満ちた時代。

そんな昭和生まれのもの、”写ルンです”もまた同じように好きだった。”写ルンです”を入り口にフィルムカメラを買った。

ものすごく重く、設定も自分で選ばなきゃいけない、フィルムも巻きとらなきゃいけない、現像にお金がかかる。どこを切り取っても面倒くさいのに、愛嬌をギュッと押し固めたみたいなフィルムカメラが好きだった。

少し前まで見ていた風景を現像すると、目で見るよりも何倍も美しく思えた。いつだって過去に勝てないと悟った瞬間だった。

喜びも苦労も、思い出フィルターを通してどんどん美化されていってしまう。

映画の世界や、昭和レトロな場所に遊びに行った思い出が、昭和を経験しなかった僕にも昭和を懐かしく感じさせてくれた。

温かみがあって、面倒くさい昭和が好きだ。

平成ももうすぐ過去になる。時間が経ったら、平成のことも懐かしく思えるのだろうか。

24歳、無職。(笑)

僕は生まれ育った平成が終わることを、まだ上手く飲み込めないでいる。

僕たちはインターネットの普及と共に成長してきた。インターネット上で僕たちは”ゆとり”と揶揄されてきた。

SNSでは”ゆとり”を超えて”さとり”世代だと言うツイートを見た。真面目に生きてきただけなのに、どうして揶揄されてるんだろうか。

一般的に物欲のピークは15歳〜24歳だと言う。

僕は物欲の渦中にいる。僕は当たり前のようにアレもコレも欲しい。”さとり”なんてもってのほか、心の中のTHE BLUE HEARTSが叫んで止まない。

物欲だけじゃない。欲望の裏側には人によって様々な事情があるはずだ。

昭和生まれの超名作SF映画のラスボスが、かつて正義の騎士だったように、人となりは一部分だけ切り取っても簡単には分からない。

インターネットの普及と共に成長してきた。それなのにインターネットは愛されて、ゆとり、さとり世代は(笑)をつけられる。

24歳、無職。(笑)

活躍する年下のスポーツ選手。賑やかな日曜日のショッピングモール。ポストに入ってる不採用通知。遣る瀬無くなって酒を飲んで、後からやってくる虚しさ。

人には人の地獄があって、無職には無職なりに辛いことがある。働かないことが苦しいものだと初めて気がついた。

またひとつ知らない世界を知った。働いている時は、ニュースで取り上げられる容疑者の無職の欄を冷笑していた。あれは痴がましいことだったなと今になって反省している。

出来なかった経験を補ってくれる想像力は偉大だ。毎週見ているドラマでも”let’s think”が合言葉になっている。叩けるものを潰れるまで叩いてしまう苦しみは平成と共に葬れないだろうか。匿名のマスクは強力で、人を思考停止にさせる。液晶画面越しに放たれた文字は、ピストルよりも飛距離が長い。

時代が移り変ろうとも誰かが眠り、また誰かが目を覚ます、その生活の繰り返しは変わらない。平成が終わっても人生はまだまだ続くのだ。

綺麗事さえも言えない世の中じゃポイズン超えてデットエンドだ

時代を意識してしまうと変にプレッシャーを感じて何か変わらなきゃ、何かしなくちゃと思ってしまう。予定のない休日みたいだ。写真投稿型のSNSを眺めているだけの休日。

形の見えない”時代”そのものも匿名のマスクをつけている気がする。そこに悪意はないと分かっていながら、勝手に傷付いてしまう人もいる。

飽きるほど聞いた「平成最後」。その言葉に煽られているような気がしてしまうのだ。煽られるたびに、自分はまだ走れるのかと、ときおり不安に襲われる。

不安がる必要もないと分かっていながらも、自らの手で一生懸命不安を作ってしまう。在庫を抱え過ぎた不安も、ネットオークションに出品できやしないだろうかと現実逃避を何度も繰り返す。そんな不安をぶっ飛ばしてくれたのが

平成を代表するバンド、ELLEGARDENだった。なかでも”風の日”という楽曲は、雨の日は濡れるし、晴れた日には乾く、寒さに震える日だってある。いろんな毎日があって、常に真っ直ぐに走れるわけじゃないと教えてくれた。

それでも空を飛べそうな風の強い日になったら飛ぼうとすればいい。馬鹿みたいだと思っても、痛い目をみても、次の日には忘れてしまう。良くも悪くも感じた喜怒哀楽はただの過去になっていく。

悩み過ぎず、シンプルに生きて良いんだという優しいメッセージに頬が濡れ、力強いバンドサウンドに背中を押される。上手く走れないし、まだ何も持っていない。そんな僕だって何かを成し遂げられる気がしている。

部屋の片付けをしていたときに気が付いたことがある。

部屋を綺麗にするためには、引き出しや棚をひっくり返して、元にあった場所へ戻す作業を繰り返さなくちゃいけない。秩序ある空間をつくるためには一度、部屋を散らかす必要がある。その最中に宇宙の始まりは混沌だったという話を思い出した。

痛ましい事件で亡くなる人、ゴシップが大好物の人、報道されなくなってもそこで生きる人、自ら命を絶つ覚悟をする人、たくさんのことを飲み込んで子どもを産む人。

皆同じ、平成という時代を生きている。

いろんなニュースが飛び交って混沌としている平成の終わりも、宇宙の始まりが混沌だと考えたら、人生ゲームみたいな多事多難もムダじゃないんだろうなと思う。

「新しい時代に、自分らしくありたい」という、ふわっとした理由と勢いで安定した会社を辞めた。就活の日々で揉まれて自分らしさすら分からなくなっている。

それでも、嘘なく生きていきたい。新しい時代に期待をしていたい。

たまたま同じ船に乗り合わせた者同士、画面越しでももっと思いやることが出来れば、この先にもっと明るい時代が待っているんじゃないだろうか。綺麗事さえも言えない世の中じゃポイズン超えてデットエンドだ。

平成のこと、そのなかの日々のことを、第3のビールでも飲みながら笑って話せる日が来ることを願って、今日も平成のなかを生きる。

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