目次
槙島聖護が引用していた書籍一覧
槙島聖護が引用していたり手に持っていたり、もしくは名前を出したことのある書籍一覧。
ソフトの名前など、あまりに多く散りばめられているので、筆者が見つけたものを列挙する。
『Johnny Mnemonic(邦題:記憶屋ジョニイ クローム襲撃に収録)』ウィリアム・ギブスン(第3話)
ドローンの不正利用のために槙島が犯人に送った、ソフトの名称として登場。
脳に埋め込まれた記憶装置の情報を不正取引するジョニーがある日、許容量を超えた危険な記憶を運ぶことになる、というSF小説。
犯人が槙島から送られたソフトではあるが、名付けたのはハッカーのチェ・グソンの可能性も高い。
『1984年』ジョージ・オーウェル(第4話)
菅原昭子(すがわら しょうこ)という女性を殺害しながら、犯罪者・御堂将剛(みどうまさたけ)と会話をしている際、槙島が読んでいる本。
ビッグブラザー率いる党が、情報や行動だけでなく〈思想〉すらも支配する全体主義の恐怖を描いたディストピア小説。
『さらば、映画よ(毛皮のマリーに収録)』寺山修司(第5話)
公安局に追い詰められた御堂将剛に対する、槙島の最後のメッセージに登場。
2人の同性愛者の会話の様子を描いた戯曲。
『ファースト・フォリオ』ウィリアム・シェイクスピア(第6話)
楼霜学園に教師として潜伏した槙島と、楼霜学園の生徒である〈王陵璃華子〉との会話の中で、槙島が読んでいる本。
ウィリアム・シェイクスピアの戯曲を集めた、最初の作品集。
『女吸血鬼カーミラ』シェリダン・レ・ファニュ(第7話)
泉宮寺豊久との会話の最中で、槙島が読んでいる本。
少女に忍び寄る女吸血鬼の恐怖を描いた、怪奇小説。
後の『吸血鬼ドラキュラ』にも大きな影響を与えた作品。
『タイタス・アンドロニカス』ウィリアム・シェイクスピア(第8話)
王陵璃華子を見限った槙島からの、最後のメッセージに引用される。
シェイクスピアの戯曲の中で、最も残虐で暴力に溢れた作品とされる。
敵対するローマ帝国の武将タイタスに敗れた、ゴート族の女王タモーラの復讐と、それに怒ったタイタスの更なる復讐を描いた作品。
『情念論』ルネ・デカルト(第11話)
常守朱の友人、船原ゆきを殺害する際に、朱に対して引用する。
第1部では人間本性と情念の基本について、第2種では多種多様な情念を、第3部では特殊な情念について、3部構成で成り立つ哲学書。
『あらかじめ裏切られた革命』岩上安身(第14話)
ヘルメット事件の最中、とある部屋で槙島が読んでいる本。
ソビエト連邦の崩壊や、モスクワ、グルジア、チェチェンなど歴史の大転換期に飛び込んで取材を行った岩上氏の、ノンフィクション賞受賞作品。
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』フィリップ・K・ディック(第15話)
ヘルメット事件に端を発する大暴動の最中で、槙島がチェ・グソンに勧めている小説。
人間とアンドロイド(人造知能)の違いから、人間の本質を探っていくSF小説。
『ブレードランナー』というタイトルで映画化しているが、内容にはかなりの差異がある。
『パンセ』ブレーズ・パスカル
狡噛との初の邂逅の際に、槙島が引用した。
パスカルが自書の出版に向けて書き留めていた多くの断片を、彼の死後に遺族などが編纂して刊行した遺著。
『ガリヴァー旅行記』ジョナサン・スウィフト
槙島が公安局に捕らえられ護送されている最中の、藤間幸三郎との会話に登場。
船医であるガリヴァーが、難破の末に『小人の島』や『巨人の島』といった個性溢れる島にたどり着く、という物語。
児童書とされることも多いが、その実多くの皮肉を含んだ作品でもある。
『新約聖書』キリスト教徒の皆さん(第21話)
バイオテロの最中に、槙島が読んでいる。
『旧約聖書』と並ぶキリスト教の聖典。
以上、作中で槙島が引用したり手に持っていたりといった書籍をまとめてみた。
しかし筆者が見つけることができた以上に、書籍の引用やもじりは多いかもしれないので、是非とも注意深く視聴してみてほしい。
因みに完全な余談だが、槙島の所持している書籍の中には『藤子・F・不二雄作品集』や『手塚治虫作品集』などの漫画も含まれているとのこと。
本編では描かれていないところで、〈君は、ドラえもんという作品を知っているかい…?〉という引用をしていたかも知れないと考えると、少し面白いかもしれない。
槙島聖護のセリフ3選!【人の意思の輝きを求める】
信じられないかもしれないが、僕は、君たちのことが、好きだ(小説版『PSYCHO-PASS』)
小説版『PSYCHO-PASS』で書き下ろされた、槙島の内面が窺い知れる一言。
彼は確かに、犯罪をプロデュースし、数々の潜在犯を本物の犯罪者へと仕立て上げ、それをして数多の人間の命を奪ってきた。
しかし、その行為に〈憎しみ〉や〈恨み〉といったネガティブな感情は介在しない。
むしろ作中の登場人物中で、人の〈自由意志〉に基づく行動を何よりも尊重しているのが槙島だろう。
ただ、彼の求める〈自由意思に基づいて行動する〉人間が、シビュラ社会の中では潜在犯として認定されてしまっただけなのかもしれない。
そんな彼の孤独と人間に対する愛情、そしてそれすらも〈理解してもらえないのだろう〉という諦念が入り混じった、物悲しい台詞ではないだろうか。
僕は人の魂の輝きが見たい。それが本当に尊いものだと確かめたい。(第11話)
第11話にて、船原ゆきを殺害する直前に朱に投げかけた言葉。
槙島の内面を窺い知ることは容易ではないが、おそらくはこの言葉こそが槙島の犯罪の〈動機〉なのではないかと思う。
〈シビュラシステム〉というシステムの中では、正攻法では槙島の求める解は得られない。
だからこそ、彼は犯罪という手段に走らざるを得なかったのであろう。
当然、彼の行いは許されるべきものではない。
しかしその行動の根本には、人間と、その魂に対する信頼があったのではないだろうか。
だからこそ、彼は自分が〈信頼できる〉人間を探し続け、その結果として多くの犯罪をプロデュースすることになったのではないだろうか。
君はこのあと、僕の代わりを見つけられるのか?(最終話)
第22話(最終話)で、射殺される寸前に狡噛に向けて放った問い。
自身と対等に向き合える、誰かの代替物ではなく〈槙島聖護〉という人間を追い求め続ける人間が現れたことに対する、喜びが含まれているようにも感じる台詞だ。
シビュラというシステムの中で、あらゆる人、モノ、才能すらも代替が効くようになってしまった世界の中で、槙島が追い求めていたもの。
それは、自身にとって代わりの効かない誰かであり、そして自身も相手にとって〈代わりの効かない〉存在になれる、1人の人間として向き合ってくれるような、そんな人間だったのではなかろうか。
だからこそ槙島は、この問いに対する狡噛の返答に、満足げな微笑を浮かべたまま死ねたのではないだろうか。
次のページ
書き手にコメントを届ける