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『麒麟児』あらすじと感想【敵対する2人の英雄が江戸を救うため立ち上がる】

『麒麟児』あらすじと感想【敵対する2人の英雄が江戸を救うため立ち上がる】

慶応四年(1868年)四月。

260年に渡り権力を握ってきた徳川幕府が崩壊。

世に言う「江戸城無血開城」が行われた。

これにより「江戸」は血を流さずに「東京」に生まれ変わることが出来たが、実際は幕府側も新政府側もいきり立っており、いつ戦争が始まるか分からない状況であった。

もし、戦端が開かれていたら江戸は火の海となり東京は存在していなかったかもしれない。

敵対する勢力の英雄、勝海舟と西郷隆盛。

2人の麒麟児が江戸を救う。

こんな人におすすめ!

  • 幕末好き
  • 頭脳戦が好き
  • 上と下に挟まれた中間管理職が頑張る話が好き

あらすじ・内容紹介

嘉永六年(1853年)の黒船来航以来、日本は攘夷、開国、尊皇、佐幕と多くの思想が入り乱れて、弾圧、暗殺、政変、紛争が絶え間なく続いていた。

しかしこの幕末と言われた動乱の時代も、坂本龍馬や土佐藩が立案した平和的革命「大政奉還」で無事収束し、新国家が生まれるはずであった。

だが龍馬は暗殺され、大政奉還は骨抜きにされた。

さらに薩長を中心とした新政府は、朝廷より「王政復古の大号令」を賜り徳川を朝敵とし、武力討伐を決定。

ここに戊辰戦争がはじまり、新政府軍は江戸へ進軍を開始した。

恭順を示した徳川慶喜であったが、新政府は彼を警戒し容易には恭順を認めない。

そこで慶喜は、幕臣・勝海舟に新政府との和議を命令。

だが和議を認めようとしない徳川の過激派は隙あらば勝の暗殺を目論んでおり、その上、江戸町人たちは大混乱に陥ってしまっている。

絶体絶命の危機の中、どうやったら江戸を守ることが出来るのか。

敵だらけの中、勝海舟に残された最後の希望は、敵軍総大将の西郷隆盛だった。

私を捨て公に生きる西郷なら分かってくれる

今、勝海舟による江戸を守るための虚々実々の戦いが始まろうとしていた。

『麒麟児』の感想・特徴(ネタバレなし)

現代サラリーマンにも通じる中間管理職としての苦悩

新政府との和議を進める勝だが、この時期の勝の四面楚歌ぶりは現代のサラリーマンの中間管理職にも通じるところがある。

勝の目的は新政府軍との和議。

だが、周りは障害だらけである。

  1. 命令を聞かない部下達(「薩長を許すな」と今にも戦をはじめそうな徳川主戦派や彰義隊)
  2. 無責任な大衆(彰義隊や主戦派をはやし立てる一部江戸市民)
  3. 頼りにならない上司(自分の保身しか考えていない幕閣連中)
  4. 倒産を目論む敵対会社(武力で徹底的に徳川と江戸を壊滅させるべきといきり立つ新政府内の主戦派)
  5. 漁夫の利を狙う外資系企業(日本で内戦が長引くことで、弱体化した隙をねらい、日本の植民地化を狙う西洋列強諸国)

このような上・横・下が敵だらけの中、それでも勝は新政府との和議を結ばねばならない。

なぜなら、もし和議が決裂すれば、江戸は火の海と化し、日本は内戦に突入。

行きつく先は、日本がインドや清のような半植民地とされる未来である。

勝はそれだけは何としても防がないといけないと分かっているため、我が身を捨てて交渉に臨む。

いつの時代も、無責任に主張だけして騒ぎ立て、何もしない連中は数多くおり、そのしがらみの中で目的を達成しなければならないことは多々ある。

当然、勝海舟もその様な重圧を抱えていた1人であり、史実でもこの頃の勝は、やつれきっていたと記録に残されている。

しかし一方で、不満はありながらも、「でも仕方がない。俺が(私が)やるしかない」と踏ん張って、何とか実行していく陰の功労者がいるのも歴史の事実。

彼らは影のヒーローともいえ、おそらく現在の日本(今ならコロナの医療従事者の方々であろうか)にも必ずいるのだ。

そんな現代の勝海舟のような方々には惜しみなくエールを送りたい。

勝海舟の作戦・西郷隆盛との会談

元々、勝をはじめとした徳川穏健派は、徳川が朝廷に権力を平和的に返還し、その後、各藩が力を合わせていく「大政奉還」を理想としていた。

しかし、徳川を武力討伐したい新政府一派に「王政復古の大号令」を掲げられ、徳川は朝敵となってしまった。

そんな中、徳川旗本である勝は一貫した態度を取る。

恭順を示した徳川の武力討伐は全く大義が無く、日本を戦乱に導く薩長こそ私利私欲にまみれてはいないか

と。

一方、薩摩藩を取りまとめる敵軍総大将の西郷隆盛の無私の人柄は多くの人々から尊敬を集めていた。

おれたちが、どうにかしなきゃならねえってことか、西郷さん

勝は西郷の心に取り入って味方につけようとしていく。

勝の交渉は、リアリストな外交技術が垣間見え非常に生々しい。

これはひとえに勝が貧しい旗本の家で育ってきた苦労と、下町で町人たちと助け合いながら暮らしてきた経験がその技術を育んだといえる。

①江戸を焼く準備

勝は江戸を焼く準備を新門辰五郎などの侠客に依頼。

かなり乱暴な作戦のようにみえるが、新政府や周りに本気度を見せつけ交渉を有利に持っていくための勝ならではのハッタリであった。

②緊迫しきった交渉の場を和らげる作戦。

西郷との交渉の際、勝は江戸っ子らしい粋な態度を取りつつ、それでいて心理戦に持ち込んだりとあの手この手で西郷の心を開こうとする。

その1つに、殺気だった西郷の部下たちの前で、勝は島津斉彬(しまづ なりあきら)の名を出す。

斉彬は西郷にとっては目をかけてもらった恩人中の恩人であり、西郷は思わず顔がほころんでしまう。

これにより、勝は交渉開始に成功する。

③幕府海軍・諸外国

2日目の会談時、勝は硬軟入り混じった対応をとり、西郷側を翻弄していくが、とどめのカードに幕府海軍や外国の名前を使っていく。

粋な狡猾さも勝の魅力の1つである。

いろいろむつかしいこともありましょうが、私が一身にかけてお引き受けします

最終的に西郷は、勝の日本を思う心に打たれ、自分が全責任を持つとし、徳川有利な恭順を認めることとなった。

しかし、勝と西郷の平和の結晶である江戸城無血開城は成功したものの、上野で彰義隊が暴発。

そして…。

続きはぜひ本書を読んで確かめてもらいたい。

歴史のIF

この作品は史実に則って、無血開城に関わる山岡鉄舟、益満休之助、大久保一翁、榎本武揚等々が余すところなく生き生きと描かれている。

それと同時に、もし彼らが居なかった場合、歴史は全く違った道をたどっていたとも考えられる。

仮に、勝海舟と西郷隆盛の2人の英雄が居なかった場合、つまり旧幕府軍と新政府軍のどちらも主戦派に主導権を握られていたらどうなっていたか。

徳川はどちらにせよ「新政府軍に倒された」と主張する人もいるが、実際のところ、海軍の実力は徳川の方が新政府よりはるかに上回っていた(物語でも重要な要素)。

靖国神社を建てた近代日本陸軍の祖、大村益次郎は

もし幕府海軍が本気になっていれば、新政府軍は壊滅していた

と述べている。

そのため内戦が長びけば、新政府軍、旧幕府軍、ともに外国から軍事費を借款。

その担保を土地としていたなら、北海道、もしくは横浜、神戸などの港湾都市が、香港の様に外国領にされていたかもしれない。

 

また、外国勢力以外の話では「首都」の話もある。

薩摩藩の大久保利通等の間では「新日本の首都は大阪にすべき」という案が存在していた。

しかし、新政府は徳川幕府が培ってきた優れた行政機構を認知。

無傷で江戸を手に入れて首都にすれば、新政府でも活用できると判断した。

これには、無血開城の武器受け渡しの際、勝海舟が新政府側にスムーズな手続きを見せつけたのも理由になったのかもしれない。

東京と首都圏の現在の発展は、ひとえに勝と西郷の決断があったからといっても過言ではあるまい。

まとめ

幕末は戦国時代と同様に非常に人気のある時代であり、今も様々な作品が世に出されている。

戦国時代は400年以上も前だが、幕末はせいぜい150年程前。

価値観も戦国時代に比べ現代に近く、今に残る多くのモノが継承されている。

行政、教育、議会、司法、郵便、銀行、鉄道、軍事、等々。

現代も数多くの課題を抱える日本であるが、この幕末も現代同様に数多くの問題を抱えていた。

新時代を迎えるにあたり全力を尽くしてくれた勝海舟や西郷隆盛の優れた事跡は、我々に数多くの教訓を残してくれている。

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