突然ですが、皆さまは、YA文学というものをご存知でしょうか。
YA文学。読み方は『ヤングアダルト文学』。
アメリカ発の文学ジャンルで、12歳~19歳(※13歳~19歳という話もあります)という十代の『若い大人』達に向けて、作られたジャンルでございます。
日本では、主に児童作家さんが兼用してくださる事が多いジャンルです。
ゆえに、日本では児童書の一種として扱われる事もありますが、本来は十代の子達を『一人の大人として扱う』という事を趣旨として作られた文学。
ひとえに児童書かと言われると、そうではない、けれど大人の文学というには少々幼過ぎる……そんな、不思議なジャンルなのです。
アメリカ発という事もあり、日本作品は非常に数少ない分野ですが、私はこのジャンルが一番好きで、とてもよく読むジャンルです。
今日は初めての記事な事もあり、手始めに私、勝哉が一番に好きなYA文学兼児童文学の作者様、香月日輪先生の『僕とおじいちゃんと魔法の塔』という本について、お話させて頂こうと思います。
こちらの書籍、なんと、児童書でありながら一般文芸の文庫で出版されている、という驚きの形を持つ一冊でございます。
一体なぜ、このような形で出版される事となったのか。
その謎について紐解いていきながら、私が思うこの本の魅力について、語らせて頂こうと思います。
目次
著者:香月日輪
作者のお名前は、香月日輪(こうづきひのわ)さん。
主な書籍ジャンルは児童書とYA文学。妖怪や幽霊などといったものが出る、現代ファンタジーを多く排出していらっしゃる作者様です。
代表作の1つ、『妖怪アパートの幽雅な日常(YA文学)』は、漫画化の後、ついに昨年(2018年)にアニメ化をはたしております。
他にも、現在連載中の漫画化した作品がいくつもあり、児童書、YA文学界において、革新的な成果を多く残していられる方です。
この『僕とおじいちゃんと魔法の塔』は、そんな先生の作品の中で、児童書に区分される作品です。
しかし、出版していますは、児童文庫関係の文庫ではなく、なんと一般文芸の分野で多くの作品を輩出している『角川文庫』なのです。
一体なぜ、このような形になったのか。
まずはそこから語らせて頂きたく思います。
出版の経緯~児童文庫でなく、一般文庫で出される事になった理由~
こちらの作品、全6巻のシリーズとなっているのですが、当初は1巻分の構想しか存在しておらず、ここまで続く予定もなかったとのことです。
なぜなら、本来は書籍される予定のなかった本だったから。
そもそも、こちらの作品は、本来は小学生用通信教材、チャレンジ5年生に毎月付録でついてくる雑誌『チャレンジキッズ5年生』にて連載を行っていた作品だったのです。
タイトルも『ぼくの幽霊屋敷日記』と、今とはまったく違うものでした。
しかし本編完成後、先生が言われたお言葉がこちら。
「シリーズにして下さい。三冊ぐらい続けて出したいので、あと二冊書いてください」
(第一巻あとがきより引用)
もう話、完結してるんですけど? と混乱した先生。
けれど、それから三年か四年ほどの月日を重ね、シリーズの構想、それから一巻の修正と加筆を行いました。
そして新しい姿に生まれ変わらせたのが、現在の『僕とおじいちゃんと魔法の塔』なのです。
私がこれを購入した当時、帯には『大人にも読んで貰いたい児童書』といった内容の帯が巻き付けられておりました。
実際、どのような理由でこの本のシリーズ化が決まったかについては、詳しい事は語られておらずわかりません。
しかし、少なからずこの帯に書かれたような思いが理由にあったのではないか、と私は思っております。
読み終えた私も、これは子供にだけじゃない、大人にも読んで貰いたい、大人と子供、一緒に読んで一緒に色んな事を考えて貰いたい、と思いました。
さて、そんなこちらの本。
一体どのような内容のものなのか、気になりますよね。
続く話では、この本の中身に、少しばかり触れさせて頂きたいと思います。
あらすじ・内容紹介
主人公『陣内龍神(じんないたつみ)』には素敵な家族がいる。
市役所の福祉課で働く父、優しさであふれた母、頭のいい優秀な弟、そして明るくはつらつとした妹。
龍神自身も目立った特徴はないものの、「大人しくていい子」と教師から判を押される程にはいい子供だ。
けれど、小学六年生になった頃から、龍神は次第に家族に対して、スッキリとしない気持ちを抱き始める。
不満など何もない筈なのに、家族は好きなのに、どうしてかモヤモヤとした気持ちが胸をうずまく。
そんなある時、彼はたまたま岬にたたずむ黒い塔へと向かう。
そこにはなんと、亡くなったおじいちゃんが、幽霊となって若い頃の姿で住んでいた!
さらには、塔そのものにも、驚きの秘密があって……!?
魔法に幽霊に魔物。たくさんの『ふしぎ』で満ち溢れた世界の中、主人公である龍神が成長していく様を描く、現代ファンタジー児童文学です!
ここが最高! 僕とおじいちゃんと魔法の塔の魅力!
あふれる様々な芸術
この魔法の塔の中は、様々な芸術作品であふれています。
たとえば、スペインの建築家アントニオ・ガウディに心酔していた者がデザインした床のタイルは、色とりどりの石皿を割ってしきつめたものだったり、玄関にはミケランジェロの『創世記』を精密に模写したものを飾ったり、動物をかたどったものから、わけのわからない前衛的な飾り、延々と詩だけが書かれている壁もあったりと、そこに秩序性はありません。
作ったのは、かつてこの塔に住んでいた、たくさんの芸術家の卵達。
彼らが思い思いに作った作品が、塔の中にはちりばめられているのです。
実は、こういった芸術が作品の中に出てくるのは、香月日輪作品の特徴の一つでもあります。
前述したように、先生はこの他にも幽霊や妖怪が出てくるシリーズをいくつも書いています。
そして、そのどのシリーズにも芸術品が出てくるのです。
デビュー作である、『ワルガキ、幽霊にビビる!』では、シュルレアリスム(※下記に補足説明あり)が好きな小学生が出てきます。
小学生でシュルレアリスム!? と驚きではありますが、でもそういう子って、多分普通に世の中にいる筈なんですよね。
ただ、自分達が違ったってだけで。いたって別におかしくはない筈なんです。
だってそれって多分きっと、私達が本が好きである、音楽が好きである、という事となんら変わらない事な筈だから。
たまたま好きなものが違っただけ、好きなものがあるという点は、互いに何も変わらない、当たり前の事――。
香月先生の作品を読んでいると、そういった事にハッと気づかされる事があります。
そして私達がハッとする時、主人公である龍神もまた、ハッと様々な物事に気づいているのです。
次は、そんな『ハッ』とさせられた瞬間についての魅力のお話です。
『シュールレアリスム』と呼ばれることもある。
日本語では『超現実主義』という。
心理学者フロイトが考えた理論から発展した表現で、夢や幻想などと言った、潜在意識の世界を表現している。
芸術表現というと、絵画が出てきそうだが、絵だけではなく、文学などのその他様々な芸術の表現にも使われている。
日本では近代日本の詩人で有名な『滝口修造』などがその名前をあげられる。
『ハッ』とさせられる、登場人物の言葉
「理想!? 生身の人間に、理想が実践できるものか!!」
(第一巻より引用)
これは、龍神が塔の書庫で見つけた一冊の本がきっかけでおじいちゃんが言ったセリフです。
その本は海外の本で、中身はなんと助平な本。
もちろん外国の言葉なので龍神は読めませんが、おじいちゃんはなんと、助平なものである事を隠そうとせずに、小学生の龍神に教えてくれるのです。
校閲の厳しい時代で育ったおじいちゃん。
ゆえに若い頃は、助平な描写が入った海外文学は、和訳で読めなかった。
読むためには、原書を手に入れて自分達で翻訳するしかなく、その為に必死で仲間達と勉強したのだという事を龍神に教えます。
普通なら、こういうものは隠したり、子供の目に届かないようにするもの。
けれどおじいちゃんは、『子供だから』という理由で本を取り上げるような事はしません。
本編の言葉を借りるのならば、『子供に聞かせる話を差別していない』のです。
時期がくるまでは性に関しては子供には伏せるもの――しかしそれは大人の理想でしかないし、それを語る大人こそ、そういったものに興味がある、むしろなかったら人類は滅びてる、とおじいちゃんは語ります。
けれどきっと多分、それは性教育に関してだけではないと、私は思います。
だって、理想って、多分皆さんの身近にある言葉でしょう?
他人からむけられるものだったり、自分が自分自身に課してる理想だったり――それはきっと、様々な形で自分の中にあるものだと思います。
そういう『理想』を叶えられてる時って、多分きっと少ない。
いえ、叶えられていたら、そもそもそれは理想じゃない。もう立派な現実だ。
叶えられないのが『理想』。
でも叶えたいのが『理想』。
それに対して、はっきりきっぱりと、生身の人間じゃあ無理だとおじいちゃんは言います。
このきっぱりした感じが、なんだかとてもすっきりと、ストンと胸の中に落ちてくるような感覚があるのです。
そして、モヤモヤとしていた気持ちが、ハッと光で晴らされたような気持ちになるのです。
もしかしたら、人間として生を終えた、生身の人間ではない彼が言うからこそ、すんなりと受け止める事ができるのかもしれませんね。
龍神もまた、おじいちゃんの言葉に考えさせられます。
小学生の龍神に、おじいちゃんの言っている事を全て理解する事はできません。
けれどだからこそ、もっと知りたい、もっとわかるようになりたい、もっと考えたい、と望むようになるのです。
そして広がって行く世界を前に、少しずつ、彼は自分の胸の中にあった家族へのモヤモヤと向き合い始めていくようになるのです――。
まとめ
この本の作者、香月日輪先生は、すでにお亡くなりになっておられます。
今から5年前、2014年の事です。あの日、先生の公式Twitterから流された、先生の永眠を告げるツイートへの衝撃は、未だに忘れようもない記憶です。
最初に読んだ作品は、今回紹介した本ではないのですが、その本でもハッとさせられた私は、それから今現在に至るまで、ずっと先生の作品が好きです。
先生は、僕とおじいちゃんと魔法の塔にて、このような台詞を書いています。
「お前は、わしの存在も含めて、世の中にはこういうこともあるのだと、それぐらいの気持ちでいればいいのだ。ことさら、魔法だ幽霊だ化け物だと思う必要はない」
(第一巻より引用)
魔法や幽霊が出てくる事で驚きを与える本でする台詞とは思えない台詞です。
けれど、逆にこの作風だったからこそできた台詞でもあったんだと思います。
おじいちゃんにとって、魔法だ幽霊だ化け物だというのは、身近にある存在なのです。
彼にとって、それらはただあるというだけのこと。
つまりそれは、彼の立場だったからこそ、感じられたことなのです。
向こうから見れば、私達人間がいるこちら側だって驚きの存在かもしれない。
海外の方から見たら、日本人だって外国人だ、というような感じなのかもしれません。
そんな事を考えたら、逆にウキウキしませんか。
想像が、目の前の世界が、どんどんと広がって行くような、そんな気持ちになりませんか。
香月先生の新しい作品がもう読めないと思うと、悲しくなる気持ちは未だに止まりません。
もしかしたら、一生止まらないかもしれません。
けれど、香月先生が生みだしてくださった作品が大好きな事にも、変わりはありません。
先生が亡くなってから五年が経った今でも、そしてこれから先も、ずっと変わらないと思います。
もし、この記事を読んでこの本を読んでみようと思う方がいましたら、ファン冥利につきます。
心の中で、なにか言葉にできないモヤモヤがあるのなら、一度この小説を読んで、ハッとしてみてください。
龍神や私がそうであったように、そこから新しい世界が見つかるかもしれないから――。
主題歌:Mrs.GREEN APPLE/SimPle
Mrs. GREEN APPLE『SimPle』。
ポップだけど、それだけではない切なさも覚える空気のある一曲。
SimPleという曲名が凄くあてはまるかのように、全体的にどの楽器の音もとても聴こえやすく、シンプルに一つ一つの音が耳の中に飛び込んでくる曲です。
特に、同じリズムを繰り返すだけだったベースとドラムのイントロに、ギターが入り込んでくる瞬間のメロディーの切り替えは、聴いていて心が躍ります。
シンプルに、さぁ始まるぞ!という合図を感じるのです。
この合図。まるで魔法の塔に足を踏み入れた事で、毎日が驚きの連続になった龍神と、なにか被ってみえませんか?
歌詞の中身も、悩みなどといったものがある事を否定せず、けれど無理に励ますことはせず、へこみたい時はへこめばいいと言うし、逆にそれに気付けたから見える世界もあるよ、というようなもので、最後に『この世は終わっちゃなんかいけない』と歌い続けるのです。
そのさまが、この小説の根本的な部分と繋がったような、気がしました。そう、正しく、ハッとした、瞬間でした。
オマケで言いますと、『この世』という言い方も、またこの小説のBGMとしてあっているような気がしました。
そういった意味ではないのでしょうが、登場人物おじいちゃんにとっては、この世界は『この世』なので。
この記事を読んだあなたにおすすめ!
ライマン・フランク・ボーム『オズの魔法使い』
児童書の王道、胸躍るわくわくな冒険奇譚!
ライター様のわかりやすい物語解説も見所!
私は今、「ぼくとおじいちゃんと魔法の塔」を読んでいる途中です。
もう香月日輪さんの作品が出ないのは悲しいけど、まだ3巻までしか読んでいないので、どんどん読んでいきたいと思いました。
あらすじの説明、いい所の紹介、ありがとうございました。