セッターはコード上の王様であると影山は言う。1番ボールに多く触れて、コードを支配しているからかっこいいのだと。
確かにそれは本当かもしれない。セッターは、背の高いスパイカーたちが、ブロッカーの隙間を打てるように導くことが仕事だ。誰にトスを上げるかも、セッターが全体の状況判断して決める。ボールがコートに来るたびに、常に重要な選択を任される。頭はずっとフル回転だ。
だから、コートを支配するのはセッターで、スパイカーたちはその指示=トスに精一杯従うことが仕事だと影山は思っていた。中学時代にチームから見放されたとき、彼は心に大きなダメージを負う。なぜだろう。自分はチームが勝てるためのトスを上げ続けているのに。それが間違っているはずないのに。
これに懲りて、影山はコート上の王様を降りる努力をすることになる。自分はスパイカーの打ちやすいボールを上げることに神経を使うのだと。もちろんコートの状況分析と判断は精密に行うし、意表を突くツータック、強烈なジャンプサーブは磨きをかける。勝利への執念、常に本気でポイントを取りに行く姿勢は変わらない。心はぶれていないが、スタイルを変えたのだ。
それは「中学のチームメートに体当たりで気づかされたこと」(菅原)により、独りよがりなセッティングの弱さに気づいたからであった。なぜいけなかったのか、それはバレーボールが他の人間と一緒にするスポーツだからである。本当にコートを支配したければ、テレビゲームで一流プレイヤーをチームメイドに配置し、超人的な鳥栖とスパイクを実現するしかない。
だが、コートの上にいるのは人間である。一人一人性格や能力やコンディションスタイル、体格の違うプレイヤーたちだ。感情だってある。セッターがスパイカーの能力を最大限に発揮させると言う役割を持つ以上、これらの要素を排除してしまっては個人技と何も変わらない。団体戦はチーム全体のパフォーマンスで比較されるものなので、「自分だけがうまいセッター」は弱い。巧さと強さは違う。影山は、団体競技の文を知ったのだ。
そして、スパイカーの能力に合わせるようになった。見習ったのは「大王様」及川徹だ。どのようなチームに入っても軽妙にコミニケーションを取りつつ、プレイヤーの芯を食った把握により、全体の力を最大限高める。及川のセッティングは、「チームプレイヤー影山」にとって最大の憧れであり、高い壁でもあった。
だから影山は「スパイカーが欲しいトスに100%応える努力」をするという及川のアドバイスに忠実に従い、「目を開けて打つ変人速攻」を要求してきた日向にすら合わせられる優れたセッターとなった。
チームの力を最大限に引き出す。それを叶えるためには、スパイカーの打ちたいトスに答え続ける。影山飛雄は「コート上の王様」から「コート上の優秀な官僚」と化した。これを進化と呼ぶことはできるのか。ある面ではできるだろう。トスの腕はさらに磨かれ、チームプレイに特化したのだから。影山は変わることのできた自分に満足していた。
しかし、エース合宿で宮侑と出会うことで、その安定も崩れる。宮は影山のセットアップを「お利口さん」と表現した。これの意味することがわからず、悶々としていたが、他校との練習試合の際、ついにブチ切れ、どうして自分のトスをしっかり打ってくれないのかと責め立てる。この時影山は「コート上の王様」に逆戻りしてしまったような恐怖を憶えた。
だが、日向の「王様って何でダメなの」という言葉から、改めて自分の姿勢を見つめ直す。チームメイトたちによる「自分はこうプレイしたいからそれに反したトスをされたらしっかり伝える。その代わりお前も主張していい」という旨のメッセージを受け取り、影山はスパイカーに合わせるのでなく、スパイカーの力を最大限引き出すトスを行うようになる。
「コート上の王様」は再び降臨した。そのトスは月島の打点を潜在的に可能な高さまで引き上げさせ、珍しくもトスを上げないよう要求してきた田中に、必要なトスを上げ続け、旭が震えを感じるほど必ず打ち切ることを託されたトスと化けた。それを作者古舘春一は「脅迫」と書いて「信頼」と読ませた。
影山は、「お前たちはもっと働け」「お前はこんなもんじゃないだ」「お前は必ずできるはずだから、任せたぞ」と鼓舞し、彼らの力を使い切ろうとする、孤独ではない、ちゃんとした王様になったのだ。しかし、そこに独裁は無い。畏れられ、慕われる、信頼される王だ。国=チームを良くするという信念は、より強固となっている点で、コミュニケーションお化けの及川とは異なった形で「大王様」に近づきもした瞬間であった。
したがって、セッター影山飛雄のスタイルの変遷は、独裁の王→優秀な官僚→立派な王となる。彼の根幹はやはり、自分の理想をスパイカーたちを使って/と共に作り上げていく王様気質にあった。その変わらぬ本性を軸として保ちつつ、及川のコミニケーション・意思疎通力と、宮の打つことを強制するセットアップに(「俺のセットで出へんやつはただのポンコツや」)変革を迫られ、王であろうとなんだろうと1人のチームメイトとして接しぶつかってくれる烏野のメンバーとの共鳴があったから、大きな飛躍を遂げられた。
軸をぶらさず、それでいて変わり続ける。進化とはそのようなものである。そして、自分自身も含めた、その場にいる者たちの力を最大限に引き出すことができる存在こそが「王」なのだ。
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