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『ゲンロン戦記』要約と感想【哲学者が中小企業の社長に!?七転八倒の10年間を追体験】

ゲンロン戦記サムネイル

経営者といわれる人に、あなたはどのようなイメージを抱くだろう。おそらく「社会人経験が豊かだ」とか「現実の厳しさを知り尽くしている」というようなものではないだろうか。

一方で、哲学者といわれる人にはどうだろう。経営者とは逆のイメージを多くの人は抱いていると思う。

だが、逆だと思えても、哲学者が会社経営をしてはいけないというルールはない。

これから紹介する『ゲンロン戦記』は哲学者である著者・東浩紀が会社経営に挑んだ10年間を振り返る本だ。

経営者としての著者の10年間は度重なる失敗と反省の連続だったが、その中で鍛え上げられた哲学が本書には宿っている。

日々頑張って働いている人や、これから働き始める人には、仕事での大切なことを思い出したり、学ぶことができる本として読めることも本書の大きな魅力の1つだろう。

こんな人におすすめ!

  • 会社で働き始めたばかりの人
  • 自分の生き方に迷っている人
  • オンラインでのコミュニケーションに閉塞感を感じている人

あらすじ・内容紹介

「インターネットが世界を変える」、そんなことがポジティブな意味で、素朴に信じられていた時代があった。

確かにインターネットは世界を変えた。しかし、それはポジティブな方向への変化だけではなかった。

2010年代はインターネットの負の側面が噴出した時代だった。その負の側面の影響を文化や政治も、受けることになる。炎上させることによって、耳目を集めることにも力を注いでしまったのだ。

そのような中で「別の可能性」を模索したのが『ゲンロン戦記』の著者で哲学者の東浩紀であった。

インターネットへの期待が失望に変わる最中、「別の可能性」を切り開くため、東は株式会社ゲンロンを立ち上げる。

しかし現実は甘くなかった!意気揚々と創業したものの、仲間の離反や資金のショートなど、様々なトラブルに見舞われ、ついには倒産の危機にまで直面してしまう――。

繰り返される挫折と危機、そして著者自身が抱えていた弱さとの対峙の中、はたして株式会社ゲンロンはどうなるのか。

そして、悪戦苦闘の10年間で模索し続けた、これからの時代の「別の可能性」とは――。

『ゲンロン戦記』の要約・感想

会社の本体はどこにある?

本書は株式会社ゲンロンという会社の経営者が、自身の10年間を振り返ったものだ。

著者自身が哲学者・批評家であり、経営者でもあることから、本書には現代社会批評の側面や、経営や会社の捉え方を述べる「仕事論」の側面もある。

また自伝でもあるため、著者自身の後悔、反省などはもちろんのこと、人生観が色濃く現れている。

本節では、その中でも「仕事論」の部分についてピックアップしたいと思う。

さっそくだが、会社にとって重要なこととは何だろうか。様々な答えがあるだろうが、「利益をあげる」というのが誰しもが同意するところではないだろうか。

したがって、個々人のレベルでは「成果をあげる」ことが重要になってくる。つまり「成果をあげる」部署が、会社にとっての重要な場所、つまり本体と言うこともできるはずだ。

一方、「成果」というのが見えにくい職種もある。例えば事務職は成果が見えにくい職種の1つだ。

先程の理屈では、事務は会社にとって本体ではなく、本体の補助でしかないのだろうか。

この「本体」と「補助」という区分けは、昨今推し進められている「働き方改革」といわれるムーブメントによって、個々人への評価は成果を重視すべきという、いわゆる「成果主義」の風潮がより強まっているだけに、納得しやすいものだろう。

成果をあげているところが、会社の本体であるというわけだ。しかし、経営者である著者は次のように本書で述べている。

会社の本体はむしろ事務にあります。研究成果でも作品でもなんでもいいですが、「商品」は事務がしっかりしないと生み出せません。研究者やクリエイターだけが重要で事務はしょせん補助だというような発想は、結果的に手痛いしっぺ返しを食らうことになります

東はこの「本体」「補助」を更に「本質的」「本質的でないこと」という区分けへと発展させ次のように語る。

本書ではいろいろなことを話しますが、もっとも重要なのは、「なにか新しいことを実現するためには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的なメッセージなのかもしれません

先の「成果主義」や経済状況の悪化などから、働いている人たちは過度な競争を強いられ、成果や成果への合理性ばかりが重視されるようになっている。

「本質的」だと思われそうなことばかりに重きが置かれているが、もし、「働く」ということのそのような状況に不信感や違和感を感じるのであれば、本書はそんな違和感を解消するヒントが詰まっているといえる。

やるべきことを発見するには積極的に切り捨てろ

『ゲンロン戦記』には著者自身の反省が多く書かれている。中でも次の言葉は印象的だ。

やるべきことを発見するというのは、ほかの選択肢を積極的に切り捨てることでもある。30代のぼくは、たんにそれが怖くてできなかった。臆病だったんです。だから、「望めばなににでもなれる自分」を守るため、なにもかもできるふりをして選択肢を捨てずにいた。とても幼稚な話です

著者のこのような自己認識は現代社会を生きる私たちにも共感できる部分があると思う。

なぜなら「望めばなににでもなれる自分」を捨てずに生きることは、現代社会では賢い生き方の1つだと思うからだ。今の時代では、子どもから大人まで「自分を貫く」ことの難しさを知っているはずだ。

2009年に出版された『キャラ化する/される子どもたち』では

今日の若い世代は、アイデンティティという言葉で表されるような一貫したものとしてではなく、キャラという言葉で示されているような断片的な寄せ集めたものとして、自らの人格をイメージするようになっています

とあるように、一貫した自分というものが時代錯誤になってしまったことを暗に述べている。

2020年代においても「陽キャ/陰キャ」という言葉があるように「キャラクター」によって人格のイメージすることは変わっていない。

働いている人であれば、転職というものを考えてみるといい。

定年制度すらもどうなるかわからない変化の激しい現代社会に適応する上では、「望めばなににでもなれる自分」を保つことは、賢い生き方の1つのように思われる。

自己啓発や生き方に関する本が書店で平積みになっているところをみると「なににもなれない自分」を多くの人が恐れているように感じるのだ。

それは「なににでもなれる自分」というものへの渇望への裏返しでもある。「なににでもなれる自分」をきっと誰もが欲しがり、保ちたいと思っているのだ。

多くのビジネスパーソンの悩みは、そういった自分に対する欲望によって生み出されていると思われる。

そして、ここで紹介したもの以外にも本書には様々な著者の苦悩や失望が詰まっている。

先程の「なににでもなれる自分」がそうだったように、著者の苦悩に共感や理解できるものがある。そんな共感や理解は読者自身の人生をいつか助けるだろう。

苦悩や失望への著者の向き合い方は読者にとって1つの希望になりうるかもしれないのだから。

哲学の実践と経営の両立

新型コロナウィルスの流行により、日本社会のあらゆる場面でオンライン化が推し進められた。

だが、この変化の代償として社会は様々なものを喪失しつつある。

本書は株式会社ゲンロンの経営と実践を通じて、この喪失に「哲学」や「思想」で抵抗する話でもある。

ここではあえて「喪失」や「抵抗」の具体的な話をしない代わりに、本書を読んでほしい人についての話をしようと思う。

少し回り道をしよう。経営と哲学の相性についての話だ。この2つの相性はとても悪いように思う。

経営は哲学のために行うわけではなく、あくまでお金を稼ぐための、経済活動の一種だ。一方で、哲学は一般的にお金を稼ぐことに役立つものではない。

このことの例が「SDGs」を代表とする自然環境保護への取り組みだろう。

2021年に新書大賞で1位を獲得した『人新世の「資本論」』という本でも

先進国の環境改善は、単に技術発展によるものだけではなく、資源採掘やごみ処理など経済発展に付きまとう否定的影響の少なからぬ部分を、グローバル・サウスという外部に押しつけてきた結果

と述べられているぐらいだ。「SDGs」にみられる自然保護などのような「理念」や「哲学」というのは経済活動との相性が悪い。

そして、哲学の実践と経営などの経済活動の両立に胡散臭さを感じている人に、本書を勧めたいと私は思う。『ゲンロン戦記』で書かれていることは、この両立を果たした稀有な例なのだから。

まとめ

哲学者や批評家が書いた本というのは、簡単に楽しめるものではないと思う。なぜなら前提知識が必要とされることが多いので、読み慣れていない人には大きなストレスになるからだ。

では『ゲンロン戦記』もそうなのか、といえば私は「違う」と断言できる。

人それぞれ様々な読み方があると思うが、批評や思想のような世界に触れてこなかった人にもぜひ読んでほしいと思う。

深いことは考えず、ふらっと見知らぬ土地を旅するように。それこそ「観光客」のような気分で。旅と同じように、思わぬ発見が本書にはきっとある。

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