今回は伊坂幸太郎さんの「砂漠」をご紹介します。
限りないほど青く、それでいて少しほろ苦い、青春という名のモラトリアムを大いに楽しむことのできる一冊となっています。
(私は伊坂幸太郎さんの本の中で、この砂漠がいちばん好きです。)
目次
あらすじ・内容紹介
主人公は、大学に入ったばかりの北村という青年です。
彼は鳥瞰型という、どこか物事を斜に構えて捉える部分があります。
「なんてことは、まるでない」というのが口癖です。(村上春樹さんの「やれやれ」を想像していただけると分かりやすいと思います。)
そんな彼が、大学でできた仲間たちと関わって、考え方がどう変わっていくのかが、この小説の最大のカギとなっています。
伊坂幸太郎『砂漠』の感想(ネタバレ)
トリックスター西嶋の風変わりな人柄
この本を紹介するにあたって、どうしてもこの人物について語らずにはいられない、という一人の男性について紹介しましょう。
彼の名は西嶋。
一度聴いたら忘れられない、彼の自己紹介がこちらです。
「あーあー」
「遅れてすみませんでした。
自己紹介やりますよ。俺、西嶋です。
西嶋が来ました」
北村から見た、西嶋の特徴です。
顔の輪郭は丸々とし、腹のあたりに少し贅肉をたたえている。
黒い眼鏡をかけ、髪は短い。
眉は力強いものの、たとえば漫画に出てくる熊であるとか豚であるとか、
そういう趣がある。漫画に出てくる動物と違う点と言えば、彼が人間であるとか
そういう細かい差異ではなくて、実に簡単で大きな点だ。彼は、可愛らしくない。
彼はいきなり、身勝手な主張をはじめます。
まず第一に、自分が遅れたのは麻雀をやっていたからで、それも「俺は世界の平和を願って「平和(ピンフ)」をあがろうとしていたのに、周りの老人たちに止められたから」だと言うのです。
周りは突拍子のない西嶋の発言に、あきれ返っています。
「ちょっと、何をしんとしているんですか?だいたいね、世界のあちこちで戦争が起きているっていうのにね、俺たちは何やってるんですか。」
熱くなった西嶋は持論を語ります。
アメリカが中東を攻めていることについてです。
「自由の国が自由を奪って、なのに、日本の若者は怒らないんですよ。不良の舎弟だからですか」
彼はしまいにはラモーンズまで持論に加えます。
脈略のない発言はとどまるところを知りません。
「あのね、おまえたちね、信じられないかもしれないけれど、ジョー・ストラマーもジョーイ・ラモーンも死んじゃったんですよ」
「あの、パンクロッカーの二人がいなくなって、もう、世の中はどうなっちゃうんですか。俺たちが立ち上がるしかないでしょう?(略)
パンクロックの精神は、馬鹿な学生が引き継ぐしかないでしょう?」
そして彼は、最後にこう述べるのです。
「あのね、俺たちがその気になればね」
「砂漠に雪を降らすことだって、余裕でできるんですよ」
…まっすぐすぎるほどの熱いハートの持ち主です。
そんな台風の目、「トリックスター」である西嶋が生み出す渦に、北村をはじめとする周りの人々は、どんどん巻き込まれてゆくのです。
この、一見何を主張しているのか全く分からない、彼の行動や言動が、この物語を引っ張る重要な役目を果たします。
彼が敬愛しているのが「プレジデントマン」という、通りかかった人に向かって「大統領か?」と問いかけては暴力をふるう、謎の通り魔なのですが、それもまたこの物語に深く関わってきます。
個性的な登場人物
飲み会の中で、ひときわ目立つ容姿を持つ女性がいます。
彼女こそが、東堂です。
東堂さん、が誰を差すのかは
すぐ見当がついた。長髪でほっそりとした女の子がいるのだ。
目が大きく、鼻筋も通っている。顎が尖り、雑誌のモデルや女優業をしていると言われたら、
「嘘だろ」と笑う者よりも「やっぱりね」と納得する者の方が多いだろう。
一見クールに見える彼女の、性格がうかがえる描写がこちらです。
「あれはたぶん、自分を信じてるんだと思う」
東堂は、自分を信じる、という言葉を照れくさそうに、発音した。
「結局さ、いざという時にはやる、なんて豪語している人は、いざという時が来てもやらない。
西嶋はそれに比べて、どんなことも真剣勝負なんだよ。言い訳しないで、逃げずに克服しようとする」
「もしかして」
「砂漠に雪を降らすこともできるんじゃないのかって」
五人の中でいちばん、西嶋の性格を受け入れようとしていた人物です。
彼女は西嶋に感化されてラモーンズのアルバムを買いに行ったり、西嶋と一緒にラモーンズを聴くようになります。
周りの人からは、「蓼食う虫も好き好き」なんて言われていますが、彼女はお構いなしです。
素朴で可愛らしい印象を受ける女性が、南です。
肩までの髪は黒く、顔に化粧もしていない。
南は、ほとんど喋らなかった。
かといって無愛想でもなく、ビールの入ったグラスを、湯呑みを持つかのように両手で支え、にこにこと微笑み、そのせいか、夜の繁華街のビルの中にもかかわらず、
彼女だけが陽だまりにいる雰囲気だった。
鳥井の同級生で、親が車のディーラーをしている彼女には、ある能力が備わっています。
それが、超能力です。
おなじみのスプーン曲げはもちろんのこと、刺身が乗った船など、物を動かすことも可能な彼女。
動かすときには名前が必要、という制約がありますが、それでも過去には、クラウンといった大型車まで宙に浮かせたことがあります。
今はそれほど大きなものを動かすことはできないようですが、それを聞いて、東堂がぽつりと呟いたのです。
「ひょっとして、南が大きなものを動かせるのは、四年に一度なのかもしれない」と。
南は麻雀が強く、ことごとく西嶋を打ち負かしています。
その度に西嶋は、悔しさを露にするのです。
どこか人を見下したような印象を受ける北村。
そんな彼の隣に座ったのが、鳥井という青年です。
隣にどんと腰を下ろす男がいたので、首をひねると、まずその髪の毛に目が行った。
毛先が上方向と後ろ方向へ飛び散っている。
鳥類を思わせた。
北村曰く、「やませみ」を髣髴とさせる鳥井の髪型です。
「チッツー」と鳴く。
この鳴き声を「ソビ」や「セビ」と聞きなし(鳴き声を人間の言葉に当てはめること。)たことによって、名前に「セミ」が付いた。
「山にいる、『チッツー』と鳴く鳥」という意味。
背丈は僕よりも少し高いけれど、横幅はそれほどない。
痩身で、胡坐をかくと、その脚の長さが目立つ。
彼は「ぎゃはは」という特徴的な笑い方をします。
そして、開口一番、北村の性格を一発で見抜くのです。
「学生ってのは、近視眼型と鳥瞰型に分類できるんだよ」
「みんな必死だな、馬鹿らしいなとか思っちゃってるんだろう」
「近視の奴は、目の前のことしか見えないだろ。
近眼だ。遠くはお構いなし。鳥瞰ってのは、鳥瞰図の鳥瞰だよ。
俯瞰するっての?上から、全体を眺めるっていうか。
まあ、周囲を見下している。北村はどうだ、鳥瞰型なんだろ?」
彼は女性にもて、合コンでも率先して話のタネをまくなど、気が利くタイプです。
そんな彼だからこそ、これから起こる「ある出来事」に、あっけなく巻き込まれてしまうのです。
一癖も二癖もある名脇役
五人以外にも、砂漠には実にさまざまな人物が登場します。
キックボクシングジムを営む阿部薫をはじめ、「幹事役の莞爾」ことムードメーカーの石原莞爾、北村とお付き合いをすることになる鳩麦さん、非常に悪趣味な合成写真を作ることに長けている、メガネの山田、七三分けの仲村刑事など、一筋縄ではいかない彼らが、砂漠の世界観に味を加えています。
その中でも特に重要な方を紹介しましょう。
「長谷川さん」という女性です。
足音と笑い声が聞こえ、近づいてきたぞ、と思ったら、「お待たせーと」軽やかな声がして、それが長谷川さんだった。
肩にかかる程度の髪で、短いスカートを穿いている。
彼女は短大に通っているのですが、あろうことか、鳥井が気になっている女性なんですね。
そのことについて莞爾が北村に忠告をするのですが、いかんせん見た目が軽い彼は相手にされません。
見方によっては、彼女が一番の悪になるのかもしれません。
この長谷川さんに、五人は見事に振り回されることになります。
小ネタその1 パンクバンドについて
ここで、ラモーンズについて、おさらいです。
ニューヨーク・パンクの重要バンドの一つで、後のパンク・ムーブメントに大きな影響を及ぼした。
バンドの解散後、象徴的メンバーであるジョーイ・ラモーンが死去、その後立て続けに創立時のメンバーが死去し、完全に歴史から消滅した。
2002年『ロックの殿堂』入り。
ローリング・ストーンが選出した「歴史上最も偉大な100組のグループ」で第26位に挙げられた。
Too Tough To die
(長瀬さん主演の映画がありましたね。
「トゥー・ヤング・トゥー・ダイ」はこの曲のもじりです)
それぞれ、上記のToo Tough To dieに収録されています。 「ジョーイ・ラモーンはこう言ったんですよ。 新型セドリック 「新型セドリック」はThe Roosters(ザ・ルースターズ)の楽曲です。 西嶋の愛読書である、人間の土地。 その中で、私が特に気に入った文章をいくつかご紹介します。 人間は、思いどおり、 ぼくは、自分の中に、非常に干からびた感情以外には、何一つ見いださない。 ぼくは砂漠のなかにいても (引用文献 人間の土地 サン・テグジュペリ 堀越大學訳) 次のページ
長くバンドを続けるには、ステージ上で、あまり動かないことだ」
1979年に結成、2004年に解散。2009年頃より、不定期的に活動。@Wikipedia小ネタその2 人間の土地
まっすぐに突き進めるものだと。
ぼくは、いまにも倒れようとしている。
それなのにぼくは絶望を知らずにいる。
(略)人は自らを憐れむものだ。
そして人は自らを友のようにいたわるものだ。
ところが、ぼくにはもう世界じゅうに、一人も友がいなくなってしまった。
けっして孤独ではない。
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