「英雄っていうのはさ、英雄になろうとした瞬間失格なのよ」
子どもの頃にみた特撮ヒーロー番組のそんな一言を今でも覚えている。
幼い頃は誰だってヒーローになりたいという夢を一瞬でも抱くだろうが、「現実」を知るなかで気づいていく。「英雄」や「ヒーロー」は空想のなかだけの存在だということに。
けれど、違った。「英雄」は存在する。「英雄になろうとした瞬間失格」という言葉の本当の意味がわかった気がした。
それを教えてくれたのが『最悪の予感』、アメリカにおける新型コロナウィルスの感染拡大を防ごうとした人々のノンフィクション小説だ。
本書を事実だけ並べた退屈なものと思ってはいけない。無名の保健衛生官や医師、型破りな才能をもつ研究者の勇敢な挑戦が詰め込まれている。
世界が混乱している今だからこそ必要とされる物語だ。
こんな人におすすめ!
- 自分の大切にしている思いが挫けそうになっている人
- 会社のような「組織」に居心地の悪さを感じている人
- コロナ禍のなかでアメリカに何が起きたかを知りたい人
あらすじ・内容紹介
本書は、ある女の子による研究からはじまる。その子は科学研究コンテストでの発表に向けて父と共に「病原体が社会のなかでどのように広まっていくか」という研究をしていた。パンデミックの研究だ。
その研究は結果的に、最悪の予感を示すことになってしまった。研究は感染症に対してワクチンの配布しか手だてがないことを明らかにした。このことはパンデミックに対して有効な手段が乏しい、ということを予感させるものだった。
同じ予感を持っている者は他にもいた。公衆衛生に携わる保健衛生官、医師、政府による感染症対策の計画を立てていた者などの少数の人間は、制度に不備があること、対策は必ず後手になってしまうことを予感していた。
だが平時において、予感としか言いようのない声に耳を貸す人は少ない。
感染症対策は懸命に推し進められていたものの、時間は無情にも過ぎ去っていく。そして、迎えた2020年1月。ついに「その時」が訪れる。
最悪の予感は、現実のものとなる――。
『最悪の予感』の感想・特徴(ネタバレなし)
心と知恵の対立
「社会」は色々な信念や損得勘定を強引に縫い合わせて出来ている。
新型コロナウィルスの感染拡大によって、そのことを私たちは改めて気づかされた。
経済か、人命か。保障か、制裁か。
そんな対立と断絶の可能性を私たちの生きる「社会」はいつの間にか抱えていたのだ。
『最悪の予感』の秀逸な点は、新型コロナウィルスの流行よりもずっと前から存在していた対立と断絶を突きつけてくることだ。
例えば医療ミスをめぐる対立がある。本書では登場人物の1人である医者のカーター・メシャーが医療ミスの防止に尽力する場面が描かれている。
しかし、何事にも完璧はない。医療ミスはどうしようもなく起きてしまう。
ここに1つの対立がある。感情と理性の対立だ。特に退役軍人省病院で起きた医療ミスは対立を激しくした。政治家やマスコミが対立を煽る。
ホワイトハウスを掌握していない政党の議員たちが、「退役軍人をぞんざいに扱った」として、大統領を批判することになる
カーターが、新しい患者の家族と話をしようとICUを出てみると、家族たちは決まってテレビに釘付けになっていて、(…)患者がいかにさまざまな方法で殺されたかという報道を食い入るように見つめているのだった。
「それがどれほど屈辱的なことか、言葉では表せません」とカーターは言う
カーター自身は医療ミスを防ぐ仕組みを懸命に考えている人物である。だからこそ「言葉では表せません」という程の悔しさを覚えたのだ。
一方で、私たちは医療ミスに対して不安を覚える人々の気持ちも理解できるはずだ。そして、怒りを覚える人の気持ちもわかると思う。
医療ミスによって大切な人が命を落としてしまうのだ。「冗談じゃない!」と思ってしまうだろう。私もそうなってしまうかもしれない。頭では理解できる。けれど、心がついてこないのだ。
本書には、退役軍人省病院で起きた騒動によって「大勢の医師や看護師がいっせいに辞めていった」とある。しかし、カーター自身は諦めなかった。医療ミスを防ぐ環境の整備に尽力しつづけた。彼はあくまでも理性で対抗したのだ。
カーターは辞めたくなかった。逃げ出すようなタイプの人間ではない。(…)高い報酬を求めて民間の医療機関に勤めようとはしなかった
カーターの努力と知恵がもたらした結果については本書に譲らなければならない。
だが、本書に現れる対立や断絶がこれだけのはずがない、というのは改めて言うまでもないだろう。
個人の勇気と組織の「恐れ」
本書を読んで驚いたことがある。
アメリカといえば個人の「自由」が重視される国だ。だから組織のなかでも、優秀であれば抜擢されチャンスが与えられるものだと思っていた。アメリカの「組織」にはそんな柔軟性があると思っていた。
だが、本書における主役の1人である保健衛生官のチャリティ・ディーンの物語は「組織」との闘いの連続だった。
例えば次の文章は、その象徴とも呼べるだろう。
チャリティは、気弱とはとうてい呼べない精神の持ち主だ。(…)存在を他人に発見してもらうまで待っているような人間ではない。(…)そんなチャリティでさえ、発掘が必要な人材と化してしまっていたのだから
チャリティ自身は非常に優秀な人物だ。2013年末にカリフォルニア大学サンタバーバラ校で、19歳の学生がB型髄膜炎を発症したことがあった。稀な病気だが、感染すれば命を失う危険があり、その上感染経路も唾液以外の経路はわかっていない。
チャリティはいち早く危機的状況にあることを見抜き、結果的に髄膜炎のパンデミックを止めることに成功した。だが、その成功は組織との対立を乗り越えようやく掴んだものだ。
チャリティと対立した組織にはCDCといわれるアメリカ疾病対策予防センターがある。髄膜炎の感染拡大を防ぐため、チャリティはパーティを中止するというような予防措置を講じようとした。
しかしCDCは裏付けとなるデータがないとして協力を渋り続けるのだ。優秀な人物が「組織」によって、活躍の場が制限される実例に私は驚かされた。
チャリティの仲間であるフェイリス医師は次のように語った。
CDCは『裏付けとなる証拠がない』と言い続けていました。
それはそうでしょう。四年に一件しか症例がでませんからね
そして、CDCの対応について本書ではこう評価している。
CDCの姿勢の根底にあるのは、ごく単純に「恐れ」だった。
あとになって非難されるような行動を取りたくなかったのだ
ところで、なぜチャリティはCDCのような巨大組織に反発することができたのだろうか。その原動力とは何だったのだろう。
保健衛生官の仕事自体にわかりやすい魅力はない。報酬も低く、仕事上でのミスが発生したときのリスクが高すぎる。
地元紙の一面全体に、自分が出先でやらかした失態を掻き立てられる、といった事態を覚悟しなければならない
と本書では紹介されているぐらいだ。
しかし、チャリティは保健衛生官の仕事に魅力を感じていた。
なぜだかわかりませんが、心の糸をたぐり寄せられる思いでした
とチャリティ本人が言うのだ。
本人の資質によるところも大きいだろう。チャリティ自身は7歳のときに、すでに伝染病の歴史やメカニズムに興味を示していたのだから。
だが資質があったとはいえ、それが保健衛生官の仕事にこだわり続ける理由にはならない。他人には説明できない使命感のようなものが彼女を突き動かしたとしか思えてならないのだ。
チャリティは、新型コロナウィルスの拡大阻止のために奔走する。CDCはもちろん、融通の利かない上司やホワイトハウスの楽観視などがチャリティの奔走を阻む。
だがチャリティのもとにも彼女を理解する人や、政府の対策に不満を抱いた人々による非公式の組織が現れ、彼女を支援し始める。
たしかに個人と組織というのは平凡といえば平凡な対立だ。同様の構図はフィクションはもちろん、社会生活のなかでも珍しいものではない。
だが、その対立がパンデミックという状況下であれば話は違ってくる。多くの人命が懸かっているのだ。その切実な闘いを追体験できることが、本書の大きな魅力であることは間違いない。
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「英雄」の条件
チャリティやカーターは、感染拡大を防ぐために尽力した。さながら「ヒーロー」か「英雄」とでもいうべき存在だ。
だが、振り返ってみてほしい。チャリティもカーターも「英雄になりたい」と思って尽力したわけではない。それぞれの使命感に従って、報酬などの損得の計算などを無視して職務にあたってきた。
本書を読んで、このことが「英雄」の条件なのだと私は思った。なろうとして、なるのではないのだ。チャリティもカーターも自分の信念を貫いただけだった。
私は本記事の冒頭で「「英雄になろうとした瞬間失格」という言葉の本当の意味がわかった気がした」と述べた。
「英雄」とはいつの間にか、誰かから、そう呼ばれるものなのだ。だからこそ「なろうとした瞬間失格」なのだ。
本書は多くの対立の物語ではあるが、一方で「英雄」たちの物語でもある。そして、誰も「英雄」になろうと思って「英雄」になった人はいない。
本書を、「英雄」なき英雄譚と呼ぶことは決して大きく間違っていないと私は思う。
まとめ
本書ほど、色々な読み方ができるものは珍しいだろう。
パンデミック対策を描いたノンフィクション小説という点では、ジャーナリストの池上彰が「解説」で指摘しているとおり、政府や制度の失敗に注目し、教訓を得ることもできるだろう。
本記事のように「英雄」という点に注目することもできれば、ここでは書くことができなかった別の対立に着目することだってできる。
どのような読み方をするかは読者次第ではあるが、その読み方自体も、読者自身の周りの環境に左右されることもある。
本書はノンフィクション小説として一級品であることは改めて言うまでもないが、様々な読み方が許される稀有な作品という意味でも優れていることは間違いないだろう。
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