コロナが猛威をふるうこのご時世、「世界の滅び」を意識する人々も多いのではないか。
もし世界が滅亡の危機に瀕したら、あなたは誰とどのように過ごすだろう?
家族、恋人、友人、ペットと過ごしたり、あえて独りきりで残された時間を噛み締めるのもアリかもしれない。
今回は漫画『メランコリア』に出てくる「世界の週末の過ごし方」を参考にしながら、コロナ禍での有意義な過ごし方について考えていきたい。
あえて「平凡な日常」を守り通す。大雪だろうと無観客だろうと
本作は隕石の衝突により地球の滅亡が迫る世界を舞台に、様々な人間模様を描くオムニバスである。
この世界においてもオタクソウルは健在だ。
ある小説の実写映画が公開される日、原作ファンの少女は同志を募り、猛烈な吹雪の中、映画館に向けて行軍する。
途中で仲間が脱落しても諦めず、なにくそと這い進みなんとしてでも映画を観ようとした。
現実でもコロナ渦の影響で次々と映画の公開は延期になり、劇場はガラガラ。
『鬼滅の刃』は大ヒットしたが、劇場で映画を観たい派の人は「密」を敵視する世間に叩かれ、肩身の狭い日々を送っているのではないだろうか。
だが、映画館が無人だろうと関係ない、観たいものは観たい、ましてや大好きな小説が理想の配役で実写化されたとあれば、貸し切り状態の映画館の最前列で、目に焼き付けたいのがファン心理というものだ。
もちろん、滅亡までのカウントダウンに恐れおののき家にひきこもるのは「個人の自由」だが、その一方、好きな映画を好きな時に観に行くこともまた「個人の権利」である。
周囲のパニックに便乗せず、平凡な日常を守り貫くスタイルは見習いたい。
ただし予防策は忘れずに。
ペットの癒やしに助けてもらう。狭いシェルターで気づかされた愛犬のありがたみ
ある父親は庭にシェルターを作り、そこに一家で引っ越す。
両親と娘2人+愛犬の大所帯だ。
シェルターの中はお世辞にも快適とはいえず、四六時中顔を突き合わせていればストレスもたまっていく。
ステイホームをモットーに「おうち時間」を楽しめればいいが、大所帯ではそうもいかない。
密室に集まる人数が多いほど軋轢は増え、暇潰しを兼ねた粗さがしが始まる。
このように、一家団欒が「一家断裂」を招いてしまうことは、コロナ禍の社会でも十分考えられる。
統計では、コロナが蔓延してから世界的にDV発生件数が増えているらしいが、これはステイホームがもたらすストレスの捌け口が、妻や子供など家庭内の弱者に向けられていることが理由として考えられる。
小さい子供がいる家庭は、「遊びにいきたい!」とごねる子たちに手を焼いたりなど、負担はさらに大きい。
本作に出てくる一家は、父親がDIYしたシェルターに避難したもののトラブルが相次ぎ、小学生の次女が外に残した愛犬の回収に向かったことで、計画は白紙に戻った。
シェルター暮らしは息が詰まる。
そんな時、ステイホームのストレスを癒してくれるのがペットの存在だ。
家から出られない辛さも、可愛いペットが共にいてくれれば我慢できるかもしれない。
愛する人と共に過ごそう。ノアの方舟に乗れなかったゲイカップル
隕石の脅威から逃れるため、「ノアの箱舟」を探すゲイカップル。
長い旅路のはてに漸く目的地に辿り着くが、「同性愛者は乗船NG」と言い渡されてしまう。
ノアの箱舟の目的は種の保存、オスとメスのつがいのみが乗り込むことができ、生殖行為ができない同性愛者はお断り、ということらしい。
乗船を拒否された恋人たちは船を去り、地球が滅ぶその時まで2人で残りの時間を過ごすことを決める。
一大決心で新天地に発っても、パートナーと引き離されては意味がない。
コロナの蔓延を地球滅亡と結び付けるのは些か飛躍だが、遠い未来にさらに手強い疫病が広まり、あるいは大規模な自然災害や温暖化で人類が追い込まれた時、性的マイノリティへの風当たりがキツくなる可能性は高い。
愛する人と一緒にいたい、ただそれだけの願いも叶わないなら、ノアの箱舟はユートピアでもシェルターでもない。
これは同性愛者に限らず、男女の恋人や夫婦にも同じように言えることだ。
世界が終わる時に誰といたいか、どう過ごしたいかをこの機会に見直し、人生における大事な物や人の有難みを再認識することで、コロナ渦の時代を乗り越えていきたい。
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