妻も子も病で失い、虚無を抱え、自らの命の灯火が尽きるのをただ待っていた元戦士ヴァン。
奴隷として囚われている岩塩坑で、ある夜突然、黒い山犬たちに襲われる。
謎の感染症が蔓延し、一夜にして多くの命が奪われる中、不思議と生き残ったのは、ヴァンと幼い少女の二人だけ。
新たに出会う人たちと絆を結んでいく中で、ヴァンが見つけた「命の使い方」とは。
目次
こんな人におすすめ!
- 壮大な異世界にどっぷりと浸りたい人
- 感染症と医療、命について考えてみたい人
- 大人も楽しめる、良質のファンタジー小説に出会いたい人
あらすじ・内容紹介
ヴァンは、頭として率いた戦士団「独角」が、カシュナ河畔の戦で氏族の盾となって無残に散った後、奴隷となってアカファ岩塩鉱に囚われていた。
そこへ、黒い山犬の襲撃によって突然もたらされた、謎の感染症。かつて一国を滅ぼした、恐ろしい伝説の病「黒狼熱(ミッツァル)」の復活なのか。
悪夢のような病魔に冒されながらもかろうじて生き残ったヴァンは、竈(かまど)の中に隠されていた幼い少女を見つけ、ともに岩塩鉱を脱出する。
岩塩鉱からの脱出後、ヴァンは怪我をして動けなくなっていたトマを助ける。
トマの母はヴァンが戦って敗れた東乎瑠(ツオル)人だったが、トマの故郷で送る日々は、ヴァンとユマと名付けられた幼子にとって、つかのまの穏やかな「家族」の時間となっていく。
しかしヴァンには、思惑の異なる複数の追手から、縄が投げられていた。
追手の一人は、「魔神の御稚児(おちご)」と噂される、天才医術師ホッサル。
黒狼熱で滅びた古オタワル王国の、始祖の血をひく「聖なる人々」の一人でありながら、圧倒的な医術の技を持つ。ホッサルは、アカファ岩塩鉱で蔓延した感染症の謎を解こうとし、抗体を持つと考えたヴァンを追う。
ヴァンとホッサル、対照的な個性の二人の出会いが、やがて国の命運をも握ることになる。
ファンタジー小説『鹿の王』の上下巻「上 生き残った者」と「下 還って行く者」は、元戦士ヴァンと幼子ユマの物語。
感染症と医療といった今日的なテーマを深めながら、多様な家族の形や生きる意味を問う。
続編の『鹿の王 水底の橋』は、医術師ホッサルと助手で恋人のミランの物語。
医療が生と死に及ぼす影響についての問題を、次期皇帝の座争いに絡めた重厚なストーリーが展開する。ホッサルとミラルの、身分違いの悲恋の行方も。
『鹿の王』の感想・特徴(ネタバレなし)
明暗コントラストがくっきりした、躍動感あふれる異世界の描写に引き込まれる
物語の最初は黒の世界。
地獄のような岩窟鉱に、ある夜、突然襲ってきた黒い山犬たち。噛まれたヴァンが病魔と闘う壮絶な場面で、光が現れる。
死が間近に迫っているのを感じたとき、目の奥に無数の光が散りはじめた。
光の粒はやがて何かに吸い寄せられるように寄り集まり、渦を巻きながら拡大していく。身の内側の壁をこすりながら、光の粒は、その壁をも粒に変えていった。
(……崩れていく)
己の身体が細かい光の粒になって崩れていく。
ヴァンは、崩れ果てようとする自らを必死に繋ぎ留め、生き残るのだ。
一転して外の世界では、飛鹿(ピュイカ)や火馬(アファル)、火打鴨(マツカラ)などの鮮やかな動物たちが躍動する。
ヴァンが故郷に残してきた飛鹿の「暁(オラハ)」と再会し、一体となって駆け抜ける場面では、その疾走感がたまらない。
これだ、と、思った。
この速さ、この音、この振動。このすべてを愛してきたのだ、と。
枝に絡まぬよう角を背負った飛鹿の、その両の角の間に顎をつけると、自分の視界が飛鹿の視界と重なる。
おなじ風景を見、おなじ匂いを嗅ぎ、ともに風を受けながら、ひとつの身体になって駆けて行く。
放たれた矢のように、〈暁〉が跳び上がった。
下生えを跳び越え、木々を縫い、鬱蒼と生い茂る灌木の藪を軽々と跳び越えて行く。
風が頰をなぶる。
闇と光、鮮やかな色に彩られた異世界ながら、いつかどこかにあったようなリアリティの感じられる世界に、最初から最後まで引き込まれてしまう。
黒幕は誰か?最後までわからない謎と駆け引きに翻弄される
主人公の脇を固める登場人物は、揃いに揃ってクセが強い。裏の裏をかく策士、言ってみれば嘘つきばかりだ。
ホッサルの祖父リムエッルは、高名なオタワル医術師として知られている。
古オタワル王国からアカファ王国へ、さらには東乎瑠(ツオル)帝国と国が変遷する中でも、オタワル医術を残そうと全勢力を傾けてきた。金も使い、多くの貴族の命を助けることで人脈を作ってきたのだ。大医術師は、大策士でもある。
ホッサルは、リムエッルを尊敬しながらも、オタワル医術を守るためには手段を選ばないような祖父のやり方に、嫌悪感も抱いている。
さらに続編『水底の橋』では、東乎瑠帝国の次期皇帝候補の二人やホッサルたちを招いた安房那侯(あわなこう)を交えた、策士たちの駆け引きが見どころだ。
黒幕も結末も、最後までわからない。
安房那候はこう語る。
「……むかし、祖父が良いことを言っていた。策士の哀しみは、策が外れることではない。策が冴え、見事に策が当たり続け、策士としての評価が高まれば高まるほど、真心を信じてもらえなくなることだ、と。」
しかしどの主張にも一理ある、と思わせる説得力がある。
巧妙な論理が複雑に組み合わされたストーリーを追いながら、医療の役割と限界や生と死といった根源的な問いについて、多様な視点を読者にも与えられる。
ここにも、著者・上橋菜穂子さんの筆力の見事さが際立っている。
ただし読み慣れない名前の登場人物が多いので、人物関係図を描きながら読み進めるのがお勧めだ。
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単純な二項対立には陥らない、深みある世界観にハマる
『鹿の王』では、いくつもの「対立」の構図が現れる。
- 西洋思想と東洋思想
- 野生と知性
- 心と身体
- 生と死
しかし、どちらかが勝っておしまい、といった単純な顛末にはならない。
ぶつかり合い、せめぎ合う。見えないところで駆け引きが行われる。どちらかが優勢に見えて、実は他方が裏で牛耳っている。
両立や共存、共生といった、平和的な表現ではしっくりこない。「競生」という字を当てたいような、ダイナミックに変わっていく複雑な関係が、リアリティを持って描かれている。
支配する国「東乎瑠(ツオル)」と、支配される国「アカファ王国」も、単純な支配関係ではない。
オタワル聖領の〈聖なる人々〉は、かつて支配していたアカファ王国の狩人たちを、いまも密かに使っている。
(つまり……)
古い支配関係は、まだ、脈々と生きているということか。
続編『鹿の王 水底の橋』では、法廷にあたる「諸侯ノ詮議」で、西洋医学を思わせるオタワル医術と、東洋医学や宗教を思わせる清心教医術とが対立する。命を扱う医療の考え方の違いについて、両者の主張が繰り広げられる。
傍聴席にいるような読者は、どちらの主張にも何かしらの共感ポイントを発見するだろう。そして思わぬ結末に、読者はカタルシスを覚えるに違いない。
単純な二項対立に陥らない思考が流れているのは、日本発ファンタジーならではの世界観と言えるだろう。
現実の世界に生きる私たちにも、今求められている複眼的な思考が、ここにあるように感じられる。
まとめ
パンデミックを実体験した私たちには、まるで現実の方が、『鹿の王』の世界をなぞらえているかのように見える。
こんな世界でも、いや、こんな世界だからこそ、生き残る意味を考えたい。
ヴァンやホッサルは、それぞれの生きる意味を探りあてた。私たちも、自分だけの意味を見つけなければならないのだろう。
『鹿の王』は、きっと「今」読むべき命の物語だ。
現実の世界では見えにくくなっている大切なことを、この物語は気づかせてくれるから。
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