ヒグチアイが歌うTVアニメ『進撃の巨人』のファイナルシーズンパート2のED主題歌『悪魔の子』。この記事では歌詞、サウンド共に『進撃の巨人』に沿って、ネタバレも含めつつ解釈していく。
エレンを想起させる『悪魔の子』で描かれている感情は一体何だろうか。さらにカップリングの『まっさらな大地』についても掘り下げていく。
深夜に放送されているアニメ『進撃の巨人』を見て、眠れなくなってしまう人にぜひ読んでもらいたい。
目次
エレンを彷彿とさせる『悪魔の子』が放つ衝撃性
そもそもヒグチアイとは?
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ヒグチ アイは、香川県生まれ、長野県育ちの女性シンガーソングライター。
2歳のころからクラシックピアノを習い、その後ヴァイオリン・合唱・声楽・ドラム・ギターなどを経験、様々な音楽に触れ、18歳より鍵盤弾き語りをメインとして活動をスタートさせた。
2016年に『百六十度』でメジャーデビュー。
儚さを感じる美しい歌声とどこか影のある歌詞世界は、聴く人をいとも簡単に楽曲の世界へと引き込む。
昨年リリースした『縁』は2021年4月にテレビドラマ化されたジェーン・スーによるエッセイ、『生きるとか死ぬとか父親とか』のエンディングに起用された。
世界的に話題を集めている『悪魔の子』
『進撃の巨人 ファイナルシーズンパート2』のエンディングテーマとして書き下ろされた『悪魔の子』は、Apple Music J-Popランキングでドイツ、フランス、イタリア、韓国など世界66カ国で1位を獲得し、そのほか41ヶ国でトップ10入りを果たした。
iTunes Store J-Popランキングでもアメリカ、イギリスなど世界24カ国で1位を獲得し、そのほか13ヶ国でトップ10入り。『進撃の巨人』の主題歌としてどれだけ注目を集めていたのかが容易に伺える。
また、3月2日には、『悪魔の子』や『縁』が収録されたアルバム『最悪最愛』がリリースされる。
最高に心が苦しくなる『悪魔の子』スペシャルVer.MV
1月23日には、『悪魔の子』のフルコーラスにアニメ『進撃の巨人』の歴代名シーンを載せたMVが公開された。再生回数は早くも500万回を突破(2月9日現在)。YouTubeのコメント欄には国境を超えた言語が数多く見受けられ、作中にもある異文化で育った者同士が、一つのことに力を合わせる様子に近いものを感じさせる。
エンディングを見て熱くなった人には絶対に見て欲しい映像になっている。言葉にならない感情が溢れ出し、胸が苦しくなってしまうだろう。
『悪魔の子』をサウンドから考察する
『悪魔の子』のメロディーに見る『進撃の巨人』特有のシリアスさ
『悪魔の子』には繊細さ、危うさ、絶望感、秘めた深い愛情、様々な想いが複雑に混ざり合った葛藤と希望が滲み出ている。
ピアノの旋律が軸で緊迫感あるAメロには『進撃の巨人』特有のシリアスさが出ている。一寸先も見えない、少しでも気を抜けば死が待っているような恐怖。そこにはエレンの「復讐心」ともいえる程の怒りが危うげに感じられる。
続くBメロ部分には「葛藤」が見える。儚さを感じるメロディーにはどこか悲観的な感情も見え隠れしており、心が苦しくなる。
サビでは一気に開放的になり、メロディーの美しさが光る。
アウトロに感じる、単行本最終巻追加ページの余韻
最後の1フレーズを歌い切った後、たっぷりと余韻が続いていく。その長さは時間にして約20秒。Aimerの『残響散歌』のように派手なアウトロであれば、20秒ほどあっても、アウトロの長さなんて気にならなかったかもしれない。
だからこそ、『悪魔の子』のゆっくり、じんわりと消えていくピアノと尺八の音には不穏さを感じ、良い意味で違和感を残す。
それはまるで、単行本最終巻の追加された6ページを思わせる。別冊マガジン連載時には感動的ラストだったものが、単行本に落とし込んだ瞬間に、全く逆の意味を感じさせるラストシーンに変容した。
『悪魔の子』もストリングスを纏って美しく盛大に終わるかと思っていたものが、手のひらを返したかのような結末を迎える。徐々に肉が削げていき、脊髄骨が現れたような感覚になる。『進撃の巨人』の美学を感じ、ヒグチアイの原作への愛情を感じた。
悪魔の子、という言葉を多面的に考える
タイトルの捉え方について
『進撃の巨人』には絶対的悪役が存在しない。
「視点が違えば全てが変わる」というのは作品を通してずっと描かれていたことだ。エレンたちから見て敵か味方があるだけで、ライナーにもジークにも、グリシャにも、それぞれの正義がある。
エレンを指しているであろう”悪魔の子”も、世界から見たら悪魔だが、パラディ島民からは神として崇められる。言葉の裏を考えることで、言葉は言葉としての意味を超えて聴き手の心に響く。
神学用語でもある”悪魔の子”
また、”悪魔の子”とは神学用語でもある。ローマ帝国時代のキリスト教の神学者が書いた『神の国』では神の国に属する者と、悪魔の国に属する者がいると書いている。ここもまさに『進撃の巨人』と被るポイントだ。
ヒグチアイのインタビューより、ヒグチアイの考える”悪魔の子”とは
ヒグチアイは楽曲のタイトルについて下記のように答えている。
悪魔というものと、悪魔だと思われているものから生まれた子供たちがいて、その子供たちがまた子供を生んでいく。そうやって血を繋げていくということはどういうことなのかということはすごく考えました。
ジークの考えた「安楽死計画」は長い目で見ると、戦争の種を無くせる最も現実的な計画だったように個人的には思う。しかし、作品はそれを拒んだ。巨人の能力も捕食することによって繋がっていく。クリスタの子どもは成長し、結末もどこか続きを予期させるものだった。
『進撃の巨人』は進み続けることを大前提とし、展開されていきゴール(らしきもの)を迎えた。それを考えると、ヒグチアイのコメントは作品の核心に近く、主題歌としてかなりの完成度を誇っている。『悪魔の子』の”の子”の重要性に改めて気付かされる。
『悪魔の子』の歌詞世界に見る『進撃の巨人』の魅力
歌詞に見るエレンの純愛
サビの歌詞はとにかくミカサへの想いが溢れ出している。
”世界は残酷だ”というフレーズも原作では言い尽くされた言葉だが、”それでも君を愛すよ”は最終巻を読んでこそ、伝わってくるものがある。
”なにを犠牲にしても それでも君を守るよ”の1フレーズは短く非常にシンプルなものだが、その重みは尋常ではない。エレンがどれだけの気持ちでミカサに向き合っていたのかが分かる。
作中で、エレンの口から直接的に吐かれた言葉ではないが、この気持ちに間違いはないものだと、読者も自然と考えることができる。さらには、誰かが感じたものを再解釈して伝えるといった、二次創作的な面白さもある。『進撃の巨人』はスピンオフ作品も多く、解釈を繋げていったリレーも作品全体の魅力とも言えるだろう。
正しくない言葉の使い方
また、この楽曲で提示している正しさの定義も面白い。
『悪魔の子』の中では、”正しさとは 自分のこと 強く信じることだ”となっている。
一方、旺文社国語辞典には、”①道徳・法律・道理にかなっている。真理にかなっている。②基準に合っていて乱れない。きちんとしている。③正確である。”とある。
そう考えると、『悪魔の子』で示されている正しさは、正しくないものである。しかし、各登場人物が背負っているものを考慮すると、ヒグチアイの解釈が最も作品に寄り添っていて、美しい。
正しくはなくとも、包容力があり、深く感動する。
不在の証明
最後のサビには”選んだ人の影 捨てたものの屍”、”正義の裏 犠牲の中”といったフレーズがある。
ミカサへの想いが伝わってくる歌ではあるが、ここに来るまでに居なくなってしまったキャラクターも同時に描かれていることがわかる。
全てが終わった後にリヴァイが「見ていてくれたか?」と呟く通り、ファイナルシーズンパート2に入るまでに消えた命も含めて、エレンとの戦いであることがこのフレーズでハッと気付かされる。
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