人の本棚を覗くのが好きです。
好みが近くても、遠くても、その人の持つ小さな世界を見るようで、それは楽しいものです。
同じ理由で、古本屋が好きです。
扱っている書籍、その並べ方、値札に書かれた店主さんの字、そんなものを眺めてはつい長居してしまう。
この本を買うぞ、と意気込んでお店に向かう高揚感も代えがたいですが、小さな世界の中で、自分の一冊を見つけ出す悦びもひとしおですよね。
「だれかのいとしいひと」とは、倉敷にある蟲文庫という古本屋さんで出会いました。
外観は勿論ですが、店頭に並ぶ植物や 窓から店内に差し込む光も素敵なお店でしたので、本の紹介と併せてお勧めします。
あらすじ・内容紹介
恋愛、だとか、友情、だとか、幸だとか不幸だとか、くっきりとした輪郭を持ったものにあてはまらない、あてはめてみてもどうしてもはみでてしまう何ごとかがある。その何ごとかの周辺にいる男子と女子について書いた。(あとがきより)
輪郭をもったものにあてはまらない事象、名前のつかない関係も肯定できるような、心地良さが残る短編集です。
以下8編が収録されています。
- 転校生の会
- ジミ、ひまわり、夏のギャング
- バーベキュー日和(夏でもなく、秋でもなく)
- だれかのいとしいひと
- 誕生日休暇
- 花畑
- 完璧なキス
- 海と凪
だれかのいとしいひとの感想(ネタバレ)
まるで短編映画ような
私の一番のお気に入り「ジミ、ひまわり、夏のギャング」。
置いてきてしまったポスターを取り戻すべく、同棲をしていた元恋人の部屋に泥棒に入る話。
あらすじを書くとすればこうなるのだろうが、彼女は結局ポスターを持ち帰らない。
流れる景色を眺めながら私鉄に乗る。
彼との会話を思い出しながら商店街を歩き、時空の歪んだような、しかし愛すべき古巣へと足を踏み入れる。
「半透明のかつてのあたしたちが無数に行き交っている」のを眺め、「部屋じゅうにちらばった、かつてのあたしとの結合」を試みるが―――
「それでよかった」と彼女は思う。「宝物をごっそり背負ったギャングみたいな気分」で彼女は古巣を後にする。
夏の日差しの中、密やかに行われた彼女の冒険を、作者はそれは鮮やかに描いています。
彼女が見ている光景を、同じように読者の目に映すだけでなく、温度、湿度、匂いまで想像させるほどの鮮やかさです。
彼と過ごした時間も、彼女が室内を歩き回る様も、それらを巡らすうちに彼女が感じる心境変化も、短編映画を観ているかのようにありありと映るのです。
起承転結だとかスリルだとか、そういうものからは遠いですが、鮮明な情景描写とその美しさが光る小説です。
心の、灰色がかった部分や、色味の淡い部分、そこに刺さった棘に目を向けるのが上手な作家さんだと改めて思いました。
自分の片鱗が紛れ込んでいる感覚
もうひとつ、私のお気に入り「誕生日休暇」
恋人との刺激的な日々に自我が崩壊した主人公は、秩序立った暮らしで自分の足場と外壁を固めた。
しかし塗り固めた習慣の中にいれば、自分は安全なのだろうか、自分を嫌いになることはないのだろうか。誕生日休暇で訪れたハワイの地で、彼女は「予定外のできごと」に出会い―――
今、私の中には「穏やかな暮らしに憧れる自分」と、「刺激や衝撃の無い日々は成長が無いのではと悩む自分」がいます。
この小説を読んで答えが出た訳ではまったくないのですが、主人公の心境変化の途中に今の自分がいるように感じ、僅かながら安心感や肯定感が生まれました。
もし、この物語のなんでもない光景のひとつが、そんな具合に、読んでくれた人の記憶に、するり、と何くわぬ風情でまぎれこんだらいいな、と願っています。(あとがきより)
作者はこう書いていますが、私は自分自身が物語の中に紛れ込んでいるように感じました。
いずれにせよ、物語と自分自身が一部でも重なる感覚は、嬉しいものです。
8つの物語の中に、あなた自身もいるかもしれません。
主題歌:ポルノグラフィティ/デッサン#1
ポルノグラフィティ「デッサン#1」
近藤三太の大事にしていたレコード盤をものすごい形相であたしはばりばりと割り、風呂からでてきた近藤三太は脱衣所に立ちつくして、啞然とそれを眺めている。(「ジミ、ひまわり、夏のギャング」より)
君に蹴飛ばされたギターが迷惑そうに言うよ「奪い合うように求めたからねぇ…」
どの一瞬を切り取っても幸せで、あたたかさ(時に灼熱の瞬間もあるような)に包まれていた二人の暮らしが、音を立てて終わる様があまりに似ているなと感じ、しばらくこの曲が頭の中に流れていました。
もう過ぎてしまった時間を詩的に描くのが上手、という点でも似ているように思います。
※もう少し音楽は幅を持って聴かなければ、早々にネタが尽きるように感じています。笑
本も音楽も気に入ったものばかり繰り返すので…もしこの作品を手に取る方はBGMで主題歌を投稿して私にも教えてください。
著者紹介
角田光代(かくた みつよ)
「幾千の夜、昨日の月」を筆頭に、私は角田さんのエッセイが好きです。
タクシーで恋人に会いに行ったり、お酒を飲みすぎたり、旅に出たり、そういう思い切りの良い生き方をしている素敵な方です。
俗にいう「ほっこり」ではない作品を描かれるのは、彼女の生き様が表れているのかなと感じます。
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