突然ですが私は今、「海の見える街」で暮らしています。
いつか住んでみたい。長いこと憧れてきた街に、短期留学というのでしょうか、ロングバケーションというのでしょうか、ご縁と機会に恵まれて滞在しています。
さて、私は渋谷にある森の図書室という施設のSNSを長いことフォローしています。
スタッフの方がこの「海の見える街」を紹介していらしたのが1年前。
タイトルを見て「私にも何か通ずるものがあるかもしれない」と記憶に留めていた作品に、今回、海が見える街の図書館、この小説の舞台とそっくり重なるような場所で出会うことが出来ました。
思わず顔をほころばせながら、一気読み。
私の憧れが滲み出てしまうかもしれませんが、ご紹介させてください。
※ちなみに「森の図書室」、私は未だ利用したことがありませんが読書家の友人に勧められて気になっています。もし利用者の方がいらっしゃればお話伺いたいです。SNS上での作品紹介も面白いので「次何読もう」なんて方は是非!
あらすじ・内容紹介
本田君は、海が見える街の、山の上にある図書館に司書として勤めている。
31年と10ヶ月の月日で彼女がいたのは学生時代の半年間。
五時に仕事が終われば五時半にはアパートへ帰宅、インコのマメちゃんがいれば寂しさも感じなくなった。
生真面目で男らしさに欠ける、そんな彼の視点から物語はスタートし、図書館・児童館を舞台に男女4人の日々が交錯する。
実家暮らし、太宰治に傾倒するような読書家、化粧っ気のない日野ちゃん。
仕事は出来るが生粋のロリコンの児童館職員、松田君。
そして、愛嬌とヒステリックを合わせ持ち周囲を振り回す派遣職員、春香。
海風が木々を揺らすように、季節によって海の色が変わるように、そっと彼らの日常は変化していく。
海の見える街の感想(ネタバレ)
偶然が生んだ、特別なドラマ
この本の好きなところを、3つご紹介します。
ひとつめ。
「この瞬間に出会えたから」「たまたまこの状況だったから」「その時、こんな気持ちだったから」…
そんな小さな偶然が1つ1つ重なることで、歯車が動き出すということ。
表現を変えるとすれば、人との出会いも、喧嘩も恋愛も離別も、すべて奇跡だということに、気付かせてくれるところです。
物語は、大事件が起きるでもなく、全身を震わせるような恋に落ちるでもなく、ゆっくりと描かれていきます。
それなのに気付けば、市民センターという小さく狭い職場環境で、今まで何も無かった人たちが、好きになったり振られたり。
そんなに上手い話があるかと感じる反面、思い当たる節もありました。
あの時出会ったからこそ、響いた音楽。
何年も後に読み返したら、すとんと胸に落ちてきた小説。
みなさんにもありませんか?
人間関係も同じ。
規則正しく回り続けているような日常も、例えば春香が登場したように、偶然の一押しで歯車が揃い、噛み合って急速に動き出すことがあるのでしょう。
しかしそれは、条件が1つでも欠けていれば起きなかったかもしれない。
自分のこととなると中々気付くのは難しいですが、ちょっとした出会いも別れも、特別なドラマなのだと、彼らを通じて再認識することが出来ました。
暮らしの1ページと共に海がある
高台にあり、並ぶ家の向こうに海が見える。朝の光を反射させて白く輝いている。夏が来たんだと感じた。
働きはじめた頃は職場から海が見えるなんてかっこいいなと思っていたが、十年経って気にも留めなくなった。ただ、季節の変わり目に色が変わっているのに気がつくと、一瞬だけ心を奪われる。
ふたつめ。
暮らしの中にある海が描かれているところ。
迫力の大海原でも、底まで見えるようなリゾート地の海とも異なる、暮らしや景色の一部として、穏やかに存在する海です。
彼らにとってはもの珍しい存在ではないのでしょう。
実際に海のある街で生活してみても、毎日の話題に上がる訳ではありません。
それでも、朝の目覚め、通勤時、ふと目に入る景色が心に潤いを与えている様が物語の随所から感じられます。
彼らにとって大切な話をする時や、旅立ちの朝にも、すぐ傍に海があります。
防波堤に座り、夜の海を見ながら話をした。日野さんはミルクティーの間で指先を温めながら、俺が彼女と出会って別れるまでの話を黙ってきいていてくれた。
射しこむ光の眩しさに目を覚ました。窓の外には青空が広がり、海も青い。
彼らの日常、長い目で見れば人生の1ページは、海と共にあるんだ。
もしこの街を離れても、思い出す場面のどこかには海が背景としてあるんだろうな。
我々読者はその一部に触れることしか出来ませんが、穏やかに揺れる水面を脳裏に浮かべながら読書に耽るのは、なかなかに気持ちが良い。
素敵なおすそ分けを彼らから貰えます。
君の脳内を覗きたい
みっつめ。
「読まないですよ。興味ないです」と、すがすがしいほどに言ってのけた春香が、変わろうとしたところ。
同僚との共通項を持ちたい。
彼らが何に笑っているのか知りたい、一緒に笑いたい。
物語の後半、春香の努力があったことが明かされます。
サブカル好きとかオタクと呼ばれる人達は、恋人や友達がいなくてそういうもなに逃げているだけだと思いこんでいた。しかし、身近な恋愛や噂話しか話題がないわたしなんかより、本田さんも日野さんもいつも楽しそうに映画や小説のことを話している。彼らには彼らの世界があり、そこはわたしが生きている場所よりも、深くて知識に溢れている。
そういうことが分かるようになり、本を読んだり、映画を観るようにしてみたが、日本史や世界史、化学や生物の勉強をしてこなかったから、物語の中で語られていることが理解できなかった。
なるほど確かに、好きな本や音楽は、どんな知識を蓄えどんな言葉を用いるか、その人の脳内を表す一番分かりやすいものかもしれません。
同僚に、さらに言うなれば気になる存在である本田君に歩み寄りたい一心で、小さな挑戦を試みた春香。
そのいじらしさには心を摑まれました。
だからこそ、本田君の「魔女の宅急便みたいだね」という言葉の意味が分からず笑顔を返すしかなかった場面は、胸がきゅっとなるようでした…ぜひお楽しみに。
主題歌:ポルノグラフィティ/君の愛読書がケルアックだった件
ポルノグラフィティ「君の愛読書がケルアックだった件」
恐らく作者のイメージにもあったと思われる魔女の宅急便の挿入歌「海の見える街」を選びたいところですが…
前項で触れたように、気になる人に歩み寄ろうと本を手に取ってみる春香の姿が、この歌に登場する「僕」に重なる部分があるように思い、選んでみました。
実は 架空の映画「僕の愛読書がケルアックだった件」の主題歌、というていで作られた楽曲です。
気になった方はぜひ聴いてみて下さいね!
著者:畑野智美
畑野 智美(はたの ともみ)
私は、畑野さんの作品に触れたのは今回が初めてでしたが、ちょうど10月26日、文藝春秋から『神さまを待っている』という新刊が発売になるとのこと!これも巡りあわせ、手に取ってみたいと思います。
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ぽつり、ぽつりと本音がこぼれ、距離が縮まっていく様が似ているような気がします。若者らしさ、青春、が感じられる作品を読みたい時に。




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