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『疲労社会』要約と感想【「やればできる」にウンザリなあなたへ】

あなたが「心地よい疲れ」を最後に感じたのはいつだろうか。

常日頃から感じている疲れは、仕事で成果を出すことへのプレッシャーや焦燥感による気疲れにも似た不快な疲れではないだろうか。

もしそうであれば、スキルアップや資格取得にむけた学習をしている人は少なくないはずだ。

しかし、このような自己研鑽によって気疲れによる疲労が癒されることは決してない。新たな成果の要望と、それによる疲労が私たちを襲う。だからこそ、疲労が完全に癒されることは永遠にない。

この無間地獄を作り上げた犯人は誰なのか。それとも、プレッシャーに対して右往左往する個人の心の弱さが問題なのか。

端的に言おう。犯人はいる。それは私たちが生きる「社会」である。本書の訴えはそんな一言に尽きる。社会が「有能であれ」と命じ、私たちを疲れさせているのだ。

しかし「犯人は『社会』」とはどういうことなのか。「社会」だとして、一体どうするべきなのか。本書になぞって、これらのことをみていこう。

こんな人におすすめ!

  • 自己啓発ブームに胡散臭さを感じている人
  • 得体の知れない焦燥感と疲労感がぬぐえない人

あらすじ・内容紹介

まず本書は、時代にはその時代を象徴する病があると主張する。現代ではうつ病、注意欠陥多動症などの精神疾患が当てはまる。

さらに、このような精神疾患の背景には「肯定的なものの大衆化」―誰もが「やればできる」と思える社会のことの存在があるというのが本書の分析である。つまり、「できない」「嫌だ」という否定的なことが言いにくくなるのだ。

これにより「制限」や「限界」が排除されていく。私たちの能力には制限がなく、限界もないと当たり前のように認識されはじめてしまうのだ。象徴的な言葉として「Yes,we can」というスローガンを本書は挙げている。

「やればできる」の社会では、常に成果を求められる。拒否することはできない。なぜか。「やればできる」からだ。

この「能力を発揮し成果を生み出すことへのプレッシャー」によって、人々はうつ病を患い、人によっては燃え尽き症候群(バーンアウト)にもなる。

しかし、「やればできる」の社会が引き起こすのは心の病だけではない。人間関係や余暇、喜怒哀楽を感じる私たちの心や生までも、その社会は大きく歪ませていると本書は主張する。

『疲労社会』の感想・特徴

「やればできる」が私たちにもたらす影響

本書では「あらすじ」で述べた「やればできる」の社会を「能力社会」と名づけ、それ以前の社会を「規律社会」としている。

「規律社会」とは、「病院では騒いではいけない」というような多くの「禁止」がある社会のことだ。

しかし社会が成熟し、経済活動が活発になると、生産性の追求や経済活動の活発化にとって「禁止」は邪魔になる。

生産性が一定の水準に達すると、規律社会と禁止の否定図式は限界に突き当たる。そして生産性をさらに向上させるため、規律という物の見方は、能力という物の見方と「できる」の肯定図式に取って代えられる

「禁止、命令、規則は、計画、自発性、動機付けに取って代えられる」

就職活動の経験がある人であれば、この現状をわかってくれると思う。「主体性」や「経営者視点で」という文言は、働いたことがある人であれば一度は聞いたことがあるはずだ。

そしてこれが、疲労と不安による無間地獄の始まりとなる。一度「できること」を証明すれば、「やればできる」の水準は更に押し上げられるからだ。この水準の押し上げを拒否することはできない。なぜか。「やればできる」からだ。

このループが、私たちを「過剰な活動」へと導く。

私たちは新たな刺激を求め常に世間の動向に注目する。スキルアップや資格取得という成果を獲得するための効率が、「勉強術」や「時間術」という名のもとに求められている。

これらがまさしく「過剰な活動」なのだ。しかし、「過剰な活動」が強いられることに、私たちは怒ることもできない。

「私たちは憤慨することも忘れてしまっている。憤慨における特異な時間性は、加速化や過剰な活動と相容れない」

「過剰な活動」に巻き込まれてしまうと、「憤慨」するよりも「過剰な活動」であり続ける方が重要になってしまうためだ。

さて「やればできる」の社会は、このようにして私たちから「怒り」や「憤慨」を奪っていく。「アンガーマネジメント」などという言葉の出現がその証拠だろう。しかし私たちが強いられる変化は、これだけではない。

機械化する私たちはまるで「生きた屍」

ここまでの話を簡単にまとめてみよう。

生産性の向上を求めた結果、社会は禁止や規則を取り除き、様々なものを肯定することで「やればできる」を人々に信じ込ませるに至った。そして、私たちは「過剰な活動」を強いられ、「怒り」や「憤慨」の感情を覚えることすら惜しむようになってしまったのだ。

これらの変化に加え本書では次のように述べられている。

「社会に肯定する力が増大することによって、不安や悲しみといった感情も弱まっていく。これらの感情は否定生に基づく感情、つまり否定的感情である」

そして「否定性が不在となることによって、思考は計算へと変質してしまうだろう」

本書の指摘のとおり、悲しみや不安は、怒りと同じように計算し「制御するもの」として捉えられつつあると思うのは私だけだろうか。

不安を解消するスキルや、平静を保つためのマインドセットに関する本が書店で平積みにされているのを見かけるのは気のせいだろうか。

もちろん、悲しみや不安は少ないほど人生にとって良いだろう。しかし、怒りや悲しみ、不安も完全に存在しない人生は、本当に充実した人生といえるのだろうか。そのようなものが人間の生といえるのだろうか。

このような危惧は本書でも語られている。

「広く見られる世界の肯定化という流れのなかで、人間も社会も、能力を発揮して成果を生み出し続けるだけの自閉的な機械へと変貌していく」

このことにSF小説のような発想の飛躍をみる人もいるだろう。しかし振り返ってみてほしい。今から二年以上前に、一体どこの誰が「数年後には未知のウィルスが世界中に蔓延し、一年中マスクを着用する生活を送ることになる」と想像できただろうか。さながらSF小説のような世界である。しかし、このような状況は現実で起きた(起きている)ことなのだ。

さらに本書では、「やればできる」が推し進められた社会で生きる人間についてこう述べる。

「いわば生きた屍なのである」

この指摘はSF小説のような妄想に過ぎないのだろうか。その答えを、今の私たちは知りようがない。もし答えが分かるとすれば、それは数年、数十年後の未来でのことになるだろう。

疲労を癒すために大切なものは「無為の時間」

私たちを疲れさせる社会のなかで、機械化に抗い、本当に充実した人生を送るにはどうしたらいいのだろうか。

そのために本書は、「無為の疲労」「無為の時間」が大切であると説く。わかりやすい例として、「遊びの時間」「友情の時間」を挙げている。

たしかに「遊びの時間」は何も為さない。「友情の時間」についても、楽しく会話することが目的であり、仕事のように成果を必死に追い求める時間ではない。そして、遊びすぎたことによる疲れは、何も生み出さないものの、うつ病や燃え尽き症候群とは無縁の心地の良い疲れだと私は思う。

しかし注意したいのは、この「友情の時間」をインターネット空間だけに求めてはいけないということだ。

SNS上の「友達」は、とりわけナルシズム的な自己感情を高めるのに機能する

「自己感情を高める」ことは、自分の可能性をむやみに広げることに繋がり、そのことで「やればできる」のループに陥ってしまう。その果てにあるのが、自分自身への激しい失望であり、うつ病だ。

「疲弊しうつ病の状態にある能力の主体は、いわば自分自身によって意気消沈させられている」

いかがだろう。

私たちは現実の友人と遊ぶことによって、心地よい疲れを覚える。このことの効果は様々な緊張感から解放されるだけではない。SNSでの繋がりとは違い、自分の「できること/できないこと」「得意なこと/不得意なこと」が新たに見えてくる。

しかし、不得意があったとしても、友人との関係ではそれが咎められるわけではない。「できない」ことは「できない」として受け入れられる。

そんな関係性が私たちを、本当の意味で癒すのだ。一見当たり前のように思えることだが、それを忘れさせようとするのが「やればできる」の社会なのだろう。

人生にとって大切なことは、きっといつでも素朴なのだ。

社会の行方を考える壮大なスケールをもつ本書は、そんなことを静かに訴えている。

まとめ

本文では可能な限り平易な言葉で本書の読解を試みた。しかし、本書自体は哲学書であることに注意してもらいたい。

至るところに、ハイデガーやアーレント、アガンベンといった哲学の巨人たちの思想が登場する。読み応えがあるものの、豊富な原注・訳注のおかげで丁寧な一冊になっている。

小説・ビジネス書に飽きた方、自己啓発本にもなんとなく手が伸びない方、読書のレパートリーを増やしたい人には是非チャレンジしてほしい一冊だ。

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