天才はあきらめた
誰かの粗を探したくなってしまう。
誰かの悪口を言って自分を安心させたい。
芸人 山里亮太(以下山ちゃん)著の”天才はあきらめた”を読んでからというもの、山ちゃんになりたくてたまらない。
あんなに面白くてめちゃくちゃ売れているのにまだまだ貪欲に笑いと人気を求め続ける。
毒舌キャラの山ちゃんに近づきたくて、毒を吐いてみたって山ちゃんに近付けるわけではない。
そうは分かっていても、気持ちよくて面白い毒を持つ山ちゃんに少しでも近づきたいと思わせてしまう本だった。
必要最低限の言葉は、まっすぐに笑いのツボという急所に刺さる。
笑いどころで素直に笑ってしまう、まるで手のひらで転がされているような感じ。
あのスタイリッシュな笑いは簡単にマネ出来るものではない。
すべてトライアンドエラーの結果なんだと気付いた瞬間、山ちゃんのとんでもない努力量に圧倒される。
天才はあきらめたの感想(ネタバレ)
身に付けておきたいもの
“天才はあきらめた”(なんて秀逸なタイトルなんだろう)には、本の中から抜き出して、身につけておきたい言葉が沢山ある。
負の感情を更に歪ませ、こねくり回して、一周回った、前向きな負の感情。
山ちゃんの言葉はどこか、パンツを彷彿とさせた。
むやみに人前に見せるものじゃないし、自分の吐いた言葉がシミになってちゃんと残る。
だらしなくならないためにもある程度の不自由さは必要なもの。
【どんなに些細なことでも、小さい自信をはりつけていく。】
【忘れない、この嫉妬を。】
【思いだして、あえて自分をイライラさせて、その怒りでサボる選択肢を消す】
【努力の先に「天才に見えるかも」という目標があるだけで勇気が出てきた。】
【いつかこの人に全力で嫌な言葉を浴びせてやる。】
大事なところの一番近くに身に付けておきたい言葉が本文のなかに散りばめられている。
ある意味で教科書
山ちゃんの懺悔のように書き連ねられた悪行は反面教師として胸に刻んでおきたいものばかりだ。
近くのカップルに聞こえるように風俗に予約の電話をする、みたいな周りにこの人が居たら嫌だなと思うほどの悪行もある。自分を棚(それも神棚)にあげて、相手を蔑む。
その行動が正しいと思い込み、自分を正当化させてしまう…。
きちんと心に留めておきたいことは、自分もそういう面を持っているということだ。
天狗になりやすいのは山ちゃんだけない。
誰もがマウンティングをしてしまうし、自分の目線が全て正しいと考えてしまうもの。
“天才はあきらめた”はそんな思考回路にストップをかけてくれる、反面教師の教科書でもある。
山ちゃんになりたい
ドロドロとした感情の先にある、人生のハイライトみたいな奇跡の日。
その日があったからこそ、人は生きていけるんだろうなと”天才はあきらめた”を読んで痛感した。
M-1のくだりは、本当に嬉しかったという想いが伝わってきた。
文章に感情がしっかり乗っていて、山ちゃんが楽しそうに喋っている様子が脳裏に浮かんでくる。
悪かったことを素直に反省する姿勢、嬉しかったことを嬉しそうに綴る文章、それでもなお今でも抱え込んでいる苦しみ。
山ちゃんの正直さが”天才はあきらめた”には滲み出ている。
正直者は馬鹿を見るという言葉があるけれど、これほど正直に話されるとテレビでみる山ちゃんにグッと親近感が湧くし、正直な人間は輝いてみえる。
そういう意味でも山ちゃんになりたい。
まとめ 天才ってなんだ?
天才は、売れる、売れないじゃない。
やめないこと。
そしてその覚悟だ。
歩みを止めない覚悟が、天才への一歩なんだろう。
山ちゃんは幾度も自ら退路を断ってきた。
そのときの覚悟は凄まじいものだったように思う。
この本を発売したことも退路を断つという意味があって、山ちゃんのなかではプロローグの位置付けなのかもしれない。
山ちゃんの努力量と覚悟に圧倒される一冊だ。
主題歌:マキシマムザホルモン/予襲復讐
マキシマム ザ ホルモンの『予襲復讐』だろう。
この本を読んで感じたのは”復讐”だった。
その復讐心が原動力になって、それが果たされときの気持ち良さ。
復讐ってカッコいいとすら思えてしまう。
そして今までの人生の精算。
悪行を懺悔出来るのも、今だからこそ。
過去の痛みを予習して、これから復讐する姿はまさにマキシマム ザ ホルモンの”予襲復讐”だ。
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