終わらない仕事、泣き止まない子供、増える体重、面倒な家族関係・・・。
生きていく中で、やらなきゃいけないことは数えきれないほどある。
しかも、全部やりきったとしても、誰も褒めてくれない。
「あぁ、私はこんなに頑張ってるのに。」
「いや、私より大変な人は沢山いる。もっと頑張らなくちゃ。」
大変な状況であればあるほど、頑張ることを選ぶ人は多いのではないだろうか。
だって、そこで頑張るのをやめてしまったら、今までの努力が無駄になってしまうし、頑張り続けている(ように見える)周りの人たちに、置いていかれてしまうから。
そんな毎日を過ごす私たちに、
「おいおい、ちょっと頑張りすぎじゃないの」
「それって、本当に君が選んだ生き方かい?」
と問いかけてくれるのが、この本だ。
成長や成功ばかりが求められるこの時代に、頑張ることに疲れてしまった人、あるいはそろそろ誰かに褒めてほしい人に、ぜひ読んでほしい。
目次
あらすじ・内容紹介
著者は、韓国人のイラストレーター兼作家、ハ・ワン。
頑張らない生き方を実践するための心構えとショートエッセイがまとめられた1冊だ。
著者紹介を読むと、この本の雰囲気を理解してもらえるだろう。
イラストレーター、作家。1ウォンでも多く稼ぎたいと、会社勤めとイラストレーターのダブルワークに奔走していたある日、「こんなに一生懸命生きているのに、自分の人生はなんでこうも冴えないんだ」と、やりきれない気持ちが限界に達し、40歳を目前にして何のプランもないまま会社を辞める。
フリーのイラストレーターになったが、仕事のオファーはなく、さらには絵を描くこと自体それほど好きでもないという決定的な事実に気づく。
以降、ごろごろしてはビールを飲むことだけが日課になった。
特技は何かと言いつけて仕事を断ること、貯金の食い潰し、昼ビール堪能など。
書籍へのイラスト提供や、自作の絵本も一冊あるが、詳細は公表していない。
これを読んで、どう感じただろうか。
「行き当たりばったり人間じゃん…」と感じた人も多いのではないか。
でも、違うのだ。
彼の人生は、常に「一生懸命生きること」に支えられていた。
熾烈な受験競争、学費を払うための予備校教師のバイト、兵役、イラストレーター兼会社員という二足のわらじ生活….。
頑張り続けた彼だからこそ、「一生懸命生きないこと」をひたむきに目指す言葉に重みがある。
『あやうく一生懸命生きるところだった』の感想(ネタバレ)
この本では、生きていく上で、皆一度は抱いたことのあるような問いが度々投げかけられる。
ここでは、特に印象に残っているものを紹介する。
努力は、必ず報われるのか?
皆さん、努力は報われると思いますか?
ワン自身は、「努力は必ず報われるわけじゃない」と考えている。
「夢は叶う」「努力は必ず報われる」といった言葉は、一見綺麗で、私たちを勇気づけてくれる。
けれど、報われる努力がある一方で、報われない努力も確かにある。
努力について、ワンは更にこう述べている。
努力してもどうにもならないとか、努力した分の見返りがない場合もある一方で、努力した以上の大きな成果を収める場合もある
見返りとは、いつだって努力の量と比例して得られるものではない。
むしろ努力の量よりも少ないか、またはより多いものである。
時には見返りがないことすらある。
確かに、振り返ってみると「あの時は、たまたまお客さんと相性が良くて、商談がうまくいったな」とか、「あの時の英語の先生が好きだったから、受験英語を頑張れたよな」など、偶然の産物で、思わぬ結果を得られたこともある。
反対に、死ぬほど頑張ったのに、全く上司にとりいってもらえず、企画書を破り捨てられたこともある。
皆さんも、多かれ少なかれそういった経験があるのではないだろうか。
努力しても、うまくいく時もあれば、うまくいかない時もある。
それだけのことだけど、やっぱりちょっとやるせない。
最後に、私たちに希望を残すかのように、ワンはこう括っている。
もしまわりに、たいした努力もせずに大成功している人がいたら、非難したりせずに受け入れよう。
それこそが、自分も努力以上の大きな成果を得られたり、努力せずに良い結果を収められるということだから。
そう考えれば、嫉妬に苛まれる必要もなくなる。
やりたい仕事は、どうやったら見つかるのか?
就活生に限らず、長く働いている人でさえ「自分にとってのやりたい仕事ってなんだろう…。」と悩むことは多いのではないか。
ワン自身も、同じ悩みを抱えていた。
彼は、大学卒業と同時に、それまで勤めていた美大受験生向け予備校を辞めた。
予備校教師の仕事は、とてもストレスを感じる仕事だったそうだ。
「こんなのも描けないようじゃ、大学なんてムリだね」
「君が寝ている間も誰かは絵を描いているんだぞ?」
「このレベルなら地方の大学くらいは入れるさ。きっとご両親も喜ばれるんじゃないか?」
そんな皮肉をためらいなくぶつけては子供たちを傷つけた。
生徒を追い詰める作業は、彼の精神をも蝕んだ。
予備校を辞めた彼は、3年(!)の時間を費やし、「本当にやりたい仕事」を探したそうだ。
しかし、3年という年月を費やしても、「本当にやりたい仕事」は見つからなかった。
その代わり、彼はこんなことに気づいた。
どうやら自分は、妥協が必要な人間だったようだ。
強烈にやりたい仕事はないけど、やりたくない仕事はあるタイプだ。
だからこう考えた。
まったく合わないものじゃない限り、自分ができる仕事ならなんでもやってみようと。
ひょっとすると、「3年かけて、気づいたのがこれだけかよ」と思う人もいるかもしれない。
けれど、SNSが発達して、他人の人生を覗くことができるようになった今、「あ、自分はやりたいことがないタイプかも」と気付くことは、尊いことだと思う。
やりたいことがない人は、苦手じゃないこと・嫌いじゃないことをやったり、やりたいことがある人のサポートをしたりすれば良い。
それがいつか、生涯をかけてやりたいことになるかもしれないから。
自己肯定感(self – esteem)って、どうやったら上がるの?
Twitterを眺めていると、「自己肯定感」について目にする機会が増えたように感じる。
他人と自分を比べて落ち込んでしまったり、些細なことが気になったり、「自分は自己肯定感が低いなぁ」と思う人も多いのではないだろうか。
ネットで「自己肯定感 高め方」と調べると、「まずは自分のことを好きになりましょう!」と書いてあるだけだったりして、「それができないから悩んでいるのに…」と思ったこともしばしば。
自己肯定感(本著の中では、「自尊感」と翻訳されている)について、ワンは法輪和尚(韓国の著名な仏教僧)の考えを紹介しながら、こう述べている。
和尚のお言葉によると「人は自身を評価する時、たいてい良いほうに評価しようとする。そして自尊感が低い人ほど好評価を超え、自身を過大評価する傾向にある」のだそうだ。
おや?自尊感が低い人は自身の存在を低く評価しているのではないのか?
逆に過大評価とは、一体どういうことだろう?思わず耳を傾けた。
「自尊感が低い人たちは、自身を過大評価し、素晴らしい人間だという幻想を持っている。この幻想と現実のギャップが大きいほど、悩みも大きくなるのです。」
耳が痛くなったのは、私だけじゃないと信じたい。
私自身、自己肯定感とは「自分大好き!人生楽しい!最高!」という無敵状態のことだと思っていた。
そうではなくて、「自分、ダメなところもあるけど、それなりにいいところあるし、まぁいっか」「ダメなところは直していこー」と、淡々と今の自分を認めること。
それが本来の自己肯定感のあり方なのかもしれない。
もちろん、どうしようもなく落ち込むこともあるし、誰かの前で号泣して、慰められたい時もあると思う。
そんなダサい部分も含めて、自分なんだと認めてみよう。
3年間かけて「本当にやりたい仕事」を探し求めたワンも、自身についてこう述べている。
ダメな自分を認めてから、逆に自尊感が向上した
心の中に「もっと良くなりたい」という気持ちがまだあるし、自分が作り出した幻想の姿もいまだに存在する。
しかし、昔みたいにめちゃくちゃかけ離れたものではないので大丈夫だ。
この程度の貪欲さで暮らすのがちょうどよさそうだ。
自尊感とは、ありのままの自分を愛することだから
もし、ありのままの自分を見ないようにして、「もっともっと」と頑張り続けている人がいたら、一度立ち止まって、ありのままの自分と向き合ってみるのもいいかもしれない。
まとめ
いかがだっただろうか。
一度、自分や身の周りの人が頑張り過ぎていないか、チェックしてみてほしい。
そして、頑張りすぎていることに気づいたら、「あやうく一生懸命生きるところだった」と、一息ついてほしい。
ちょっと休憩した後の方が、ほどよく体の力も抜けて、遠くまで歩けると思うから。
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