あひるの表紙をめくっていくと鉛筆書きのような柔らかな印象の挿絵が入っています。
素朴な挿絵の雰囲気と合う作品になっています。
この作品「あひる」は芥川賞候補にもなっていて、残念ながら受賞には至りませんでしたが高い評価を得ました。
芥川賞には少し文字数が足りないという意見もありましたが、逆にいえば、短く質の高い小説になっているということです。
この本『あひる』は、あひる・おばあちゃんの家・森の兄弟の3つの短編が入っています。
どれもすごく大きな出来事は起きないものの、すこし心がざわついてしまうようなものになっています。
一定の雰囲気を保ったまま、よく考えてみると人間のはっとさせられるこわさがあります。
あらすじ・内容紹介
私の父があひるをもらってきた。
名前の由来はわからないが、前の飼い主が「のりたま」と名付けていたあひるだった。
家には父と母、それと資格勉強中の私が静かに暮らしていた。
明るい存在だった弟は不良になり、20歳になるにつれて、元に戻り、今は他の町で奥さんと暮らしている。
弟が家を出てから、家は娘と両親との3人で暮らしているが家はどこか活気がなく寂しい雰囲気になっていた。
そんな家にのりたまがやってきてから、のりたまに会いにお客さんがくるようになった。
下校中の小学生や親子連れがのりたまに会いに来てから、昔のような活気が戻ってきた。
両親もうれしく思いいきいきと生活を送っていたところ、のりたまの具合が悪くなってきた。
あひるの感想(ネタバレ)
「あひる」が来ただけ
この話は一言で言ってしまえば、あひるがきた、たったそれだけです。
たったそれだけの話しですが、家に訪れる変化が繊細にそのあひるを通して書かれています。
娘や息子が子どもの頃は、家は賑やかで大変ながらも笑顔で暮らしていた家に子どもが大人になるという変化が訪れたときに、親は成長を嬉しく思うと同時に、次第に静かになった家を寂しく思ってくることがあります。
この話でもまさにそうです。
そんな時、夫が同僚の引越しをきっかけに引き取ったあひるがやってきます。
「のりたま」というふりかけを連想される名前のあひるは、新たな家族として愛らしさをもたらしました。
散歩するときについてくる様子は想像するだけでもかわいいです。
あひるは思わぬものまでもたらしました。
それがお客さんです。
あひるという物珍しさから、下校中の小学生や近所の子どもが「のりたま」に会いに来るようになりました。
思いもよらなかったお客さんに、最初は驚きつつも、毎日やってくるお客さんの賑やかさに父も母も嬉しくなります。
昔のような賑やかさを取り戻した家に父と母は生きがいを見出します。
手間がかからなくなった子どもは嬉しいけど、やはりなにか世話をしてあげたいという気持ちがあるからかもしれません。
最初は賑やかな声を聞くだけで幸せでしたが、次第にお茶を用意してあげたり、いくつかお菓子を用意してあげたりとだんだんと手が込んできます。
「私」の視点から書かれる、家の変化というものに注目して読んでみてください。
「のりたま」を取り巻く人々の生活を通してさまざまなことが見えてきます。
のりたまがいなくなった家
実は途中で「のりたま」は具合が悪くなってしまいます。
はじめは引き取ってから一ヶ月目ということで、環境の変化によるストレスと思っていましたが、どうやらそうでもなく、父が病院に連れて行きます。
それから二週間「のりたま」がいなくなった家は静寂に包まれます。
「のりたま」目当てに来ていたお客さんは当然くることもなく、元どおりの生活になりました。
ですが、父と母にとっては元通りの生活ではありませんでした。
いったん賑やかな生活が戻ってきたために、今の生活は寂しくなってしまった生活なのです。
そして2週間後、「のりたま」が帰ってきます。
その時、「私」は気が付いてしまいます。
病院で治療を受け帰ってきたと思った「のりたま」は「のりたま」ではなく、別のあひるでした。
少し痩せているのは病気だったからではなく別のあひるだから。
鼻の横には墨汁を垂らしたような跡があり、もうあの「のりたま」ではないのでした。
そのことを言おうとした時、「私」は父と母の顔を見てなんにも言えなくなってしまいます。
それからどうなるかは是非読んでみてください。
「のりたま」がどうなるか、別のあひるになってから、「お客さん」は気がつくのか。
また明るい生活になるのか。
家の変化に注目しながら読んでみてください。
代わりを求める両親
この話はもうすぐにでも全てネタバレをして、ここがよかった!と話したい作品です。
昔がにぎやかであったために、そうでなくなってしまった生活が実際以上のさみしさを感じている両親。
ひょんなことから飼うことになったあひるがもたらしたあのころのような、あのころ以上のにぎやかさ。
いってしまえば昔のにぎやかさの源となっていた子どもの代わりです。
長女である「私」は資格の勉強中であり、いまだに家にいるもののもう大人。
昔のようなにぎやかさはやはりない。
両親たちのように、あひるがもたらした思わぬお客さんたちにはしゃぐこともなく、どちらかといえば外からその出来事をとらえているように書かれています。
だからこそわかる家に訪れる変化。
両親たちは昔に戻ったと感じているかもしれませんが、「私」にとってみれば昔に戻ったのではなく、新たな変化、昔とはまったく別のものです。
事実、読み進めていけばわかる通り、訪れたにぎやかさはかなりあひるに依存しています。
そんなあひるの具合が悪くなったとき、両親はなにをするのか。
その行為はどこまで続ける気なのか。
そして最後に書かれる出来事がまるであひるに起こったことを繰り返すのかもしれないという漠然とした不安がさりげなく書かれています。
読みやすいからこそのこわさ
この作品は非常に読みやすいです。
それは長さの問題だけではなく、文章そのものが、難しい漢字が使われていなかったりわかりやすい表現が使われていたり、とわかりやすくやさしいものになっているからだといえます。
だからこそ、すいすい読めてしまい、読んでる側からしてもどんどん書かれていることを受け入れてしまいますが、よくよく考えてみるとおそろしさが見えてきます。
「おばあちゃんの家」「森の兄弟」
最初に書いたように、この本には3つの短編が収録されています。
最後に、残りの2つ、「おばあちゃんの家」と「森の兄弟」を紹介したいと思います。
隣にあるおばあちゃんの家は家族からいんきょと呼ばれている。
「みのり」は学校から帰るとおばあちゃんの洗濯物を届けるのが役目だった。
あるとき、弟がおばちゃんが1人で喋っていると言う。
おばあちゃんのみのりだけが知っている優しさ、行動力が書かれている。
みのりはおばあちゃんが大好きだった。
確かな生命力が感じられる。
この2つの短編は最後まで読むと思わぬところで繋がっていて、そういうことだったのか!とちょっぴり驚く事実が明かされます。
今村夏子さんの不思議な出来事に実はきちんと説明できることがある、といった『こちらあみ子』でも見られた書き方がここでもなされています。
そして、その小さな事実が読者をほっと安心させてくれます。
ぜひ「あひる」のほか、収録されている「おばあちゃんの家」と「森の兄弟」の2つの短編も楽しんでください。
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