『推し、燃ゆ』あらすじと感想【あなたは私の背骨。生きづらさを抱える人間の祈りそのもののような芥川賞受賞作】

『推し、燃ゆ』書影画像

「推しが燃えた」、この一文で物語は始まる。

「推しって何?」という人から、主人公の行動に共感する人にもそうでない人にも、様々な人にどうかこの作品を手にとってほしい。

「推しの存在のおかげで生きている十八歳の少女」という言葉から浮かぶイメージ以上の衝撃をもって、読んだ人間の内側に迫ってくるだろう。

こんな人におすすめ!

  • 推しに救われている人
  • 生きづらさを抱えている
  • 芥川賞を手に取ってみたい人

あらすじ・内容紹介

学校にも、家にも馴染めずにいる高校生の山下あかり。

学校では授業にも周りにもついていけず、保健室で病院への受診を勧められ、ふたつほど診断名がついている状態だ。

日常生活を送ることも時にままならず、生きづらさを抱えているあかり。

そんな彼女にとって、唯一の救いが推しの存在だった。

推しの名前は、上野真幸(うえの まさき)。

アイドルグループ「まざま座」に所属する、アイドルの男性だ。

彼を応援するためにアルバイトに励もうとするあかりだったが、「ふたつほどついた診断名」の特性が出てしまい、なかなかうまく仕事をこなすことができずに周りからももてあまされてしまう。

どこへ行っても馴染めず孤独を深め、ますます推しを推すことに夢中になっていく。

あかりが望むのは、推しを解釈して、推しの見る世界を知ろうとすることだった。

生きていく上での背骨のような、推しの存在がすべてだった。

だが、その推しが、ファンの女性を殴ったというニュースが駆け巡り炎上してしまう。

それでも彼を応援しようとするあかりだったが、そんな時にある知らせがもたらされる。

周囲に理解されにくい病気を抱えて生きていく、高校生の少女の内面の動きを見事に掬い取った宇佐見りんの最高傑作だ。

『推し、燃ゆ』の感想・特徴(ネタバレなし)

推しを、推すということ。かかわり方は十人十色

推しという言葉に馴染みがない読者にとって、まず「推しとは、何ぞや?」というところから始まるだろう。

一般的には、好きな人や対象となる物を応援することを指す。

実在のアイドルや役者だけではなく、二次元のアニメやゲームのキャラクターまで、その対象は幅広い。

ファンやおっかけという言葉とは少しニュアンスが異なり、より前向きに推していこうという思いがそこにある存在を、「推し」と呼ぶのかもしれない。

また「炎上」とは、一般的にはインターネットで、その対象について非難の声が上がることを指す。

SNSでの発言や、企業のCMやキャッチコピーが物議をかもすということが後をたたないが、SNSが身近な現代の人々にとって、炎上そのものは決して珍しくはないだろう。

推しとの距離の取り方や関わり方は人それぞれであり、本文中であかりは次のように語っている。

アイドルとのかかわり方は十人十色で、推しのすべての行動を信奉する人もいれば、善し悪しがわからないとファンとは言えないと批評する人もいる。推しを恋愛的に好きで作品には興味がない人、そういった感情はないが推しにリプライを送るなど積極的に触れ合う人、逆に作品だけが好きでスキャンダルなどに一切興味を示さない人、お金を使うことに集中する人、ファン同士の交流が好きな人。

そして、あかり自身は自らのスタンスについて、次のように呟くのだ。

あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった。

推しがあかりにとってどのような存在なのか、それが伺えるエピソードだ。

推しに、生かされるということ。まさに背骨

あかりにとって、推しである上野真幸は特別な存在だった。

最初の記憶は彼がまだ十二歳で、あかり自身は四歳の時の出来事だ。

十二歳の彼がピーターパンを演じた舞台を、目にしたことがきっかけだった。

だが実際にあかりが彼を推すようになったのは、高校に上がったばかりの出来事だった。

当時あかりは、五月にある体育祭の予行練習を休んで自宅にいた。

予行練習にそなえて洗濯しておいたはずの体操着が何故か見つからず、部屋中を探して荒らし回ったのが朝の六時。

だが体操着は見つからず逃げるように寝てしまい、そのまま学校を休んでしまう。

昼に目覚めてベッドの下をあさると、ほこりにまみれた緑色のDVDが出てきた。

このやたら「物をなくす」という事も、ベッドの下などの「掃除ができない」というエピソードも、彼女についた診断名を彷彿とさせる。

そしてあかりは、十二歳の上野真幸がピーターパンを演じているDVD を再生するのだ。

真っ先に感じたのは痛みだった。めり込むような一瞬の鋭い痛みと、それから突き飛ばされたときに感じる衝撃にも似た痛み。窓枠に手をかけた少年が部屋に忍び込み、ショートブーツを履いた足先をぷらんと部屋のなかで泳がせたとき、彼の小さく尖った靴の先があたしの心臓に食い込んで、無造作に繰り上げた。

あかりのそれは決して恋愛感情ではないが、まるで一瞬で恋に落ちるような感覚を、なんて鋭敏な筆致でさらっていくのだろう。

それ以来あかりは上野真幸というアイドルを推すようになり、そのためにアルバイトも始める。

だがあかりのような特性の持ち主にとって、接客業のように「その場で空気を読み、臨機応変な行動を必要とされる仕事」は決して向いていなかっただろう。

むしろ、苦痛でしかなかったはずだ。

それを、「一時間働くと生写真が一枚買える、二時間働くとCDが一枚買える」とやり過ごして金を貯め、そのすべてを推しに注いできたのだ。

あかりにとって推しがどんな存在であるかを語る際に、最も重要な意味合いを持つのが次のくだりだ。

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

この背骨という表現を目にしたとき、体の中を何かが駆け巡ったような気がした。

あいにく私には推しのような存在はいないのだが、どうしてか、このくだりがとてもしっくり来た。

何かに生かされるということを、誰もが考えずにはいられない物語なのだろう。

生きづらさを抱えた人間の物語

この物語が始まってまだ間もない段階で、あるエピソードが登場する。

保健室で病院への受診を勧められ、ふたつほど診断名がついた。薬を飲んだら気分が悪くなり、何度も予約をばっくれるうちに、病院に足を運ぶのさえ億劫になった。肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしたけど、さらにそこにもたれ、ぶら下がるようになった自分をも感じていた。推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる。

このくだりに出会ったとき、私にとって、この『推し、燃ゆ』という小説は自分のための物語となった。

ときおり、「これは、自分のための物語だ」と感じられる物語に出会うことがある。

それは何年経っても自分の中に食い込み、決して色褪せることなく、何度でも言葉を引きずり出され語らずにはいられない。そんな、物語なのだ。

あくまで推測に過ぎないが、「ふたつほど診断名がついた」という症例の一つは、おそらく発達障害や鬱ではないかと思われる。

私自身もまた心療内科に通う身であるため、彼女が口にする厭わしいほどの肉体の重みや苦しみにはよく覚えがあり、ひどく共感しながら読み進めた。

周囲の人々が、難なくこなせることが何一つできない。

やたら忘れっぽく物をなくし、身の回りを片付けることもままならない。

できないのではなく「やらない」のだと責められ、冷たい視線が飛んでくるたびに身をすくませて、その日その日をやり過ごしながら生きていく。

そんな毎日の中で、あかりはいったいどんな思いをしてきたのだろう。

個性となるはずのあかりの特性は「よくないもの」とされ、彼女自身の境遇をどんどん追い込んでいく。

これは、外からはわかりづらい病名や特性を抱えた人間を主人公に据えた、そこから見える世界の姿なのだ。

生きづらさと、ままならない心や体を引きずって生きている人々を描いた物語なのだ。

あかりにとって、上野真幸がどんな存在だったのか。

それを、よく表した一文がある。

一点の痛覚からぱっと放散するように肉体が感覚を取り戻してゆき、粗い映像に色と光がほとばしって世界が鮮明になる。

世界に色がついたときのあの感覚を、こんなにも色鮮やかに切り取れるのだということにただ唸る。

これだけの表現力でまだ二作目だということに、ただ歓喜せざるを得ない。

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まとめ

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