人は、どうして罪を犯すのだと思いますか?
- ふとした心の迷いで。
- 偶然が、重なってしまったから。
- 単純に、その行為をやってみたかったから。
- 自分の欲望を満たしたかった。
思いつく理由は様々でしょう。
今回は、東野圭吾さんの『手紙』を紹介します。
もし、あなたの大切な家族が、罪を犯してしまったら、人生はどう変化してしまうのか。
その罪を償うことは可能なのだろうか。
いつ、どこで、誰にでも起こりうる状況を、容赦なく描いた作品です。
また、この作品はドラマ化、映画化もされています。
過酷ですが、読んで損はしないでしょう。
目次
あらすじ・内容紹介
物語は武島剛志(つよし)という一人の男が、自らの行いを回想するシーンから始まります。
彼は工場現場で働いているのですが、前の引越し屋の仕事で腰と膝を痛めてしまったのですね。
無理がたたって、お金を稼ぐことができなくなってしまいました。
元々正社員ではない彼は、営業の仕事に移してもらうことも叶いません。
先週まで働いていた仕出し屋も、配達の途中で激しい腰痛に襲われ、岡持をひっくり返してしまい、解雇されたのでした。
「体がぼろぼろになっても、どうにかして働きたい。」
「今すぐにでも、まとまったお金が欲しい。」
彼が自分を犠牲にしてでも、働きたいと考える理由。
それには訳がありました。
弟の、直貴(なおき)の存在です。
彼は、大学進学を志望しています。
そんな彼を、不自由なく大学に進めてあげたい。
剛志は、そのことを胸に秘め、思い悩んだ末に、あることを思いつくのです。
それが自らの運命を、いや、弟の人生までも狂わせることとも知らずに。
東野圭吾『手紙』の感想(ネタバレ)
人生を狂わされた弟
意図しないこととはいえ、剛志は殺人事件を犯してしまいます。
そして、このことがきっかけで彼は刑務所に入ることになり、弟の直貴は、全てのものをあきらめなくてはならなくなります。
剛志から定期的に手紙が来るようになったのも、この事件がきっかけです。
しかし、それと同時に彼に襲い掛かってくるのは、「強盗殺人犯の弟」という、どす黒い血のように張り付いた、レッテルでした。
なによりも直貴にとって辛かったのは、ニュースで報道されない兄の真の犯行の目的が、「弟の進学のための費用が欲しかった」ということでした。
今ならば「あしなが基金」というものも存在するのですが、彼らは知らなかったようですね。
「お前は勉強だけしていればいいんだ」と言った兄。
弟が、働き口を探していたこと。
それを知った上での犯行だということを、直貴は知ったのですね。
当然、クラスメイトの対応も変わります。
まるで腫れ物にでも触れるかのように、緊張と困惑の混じった顔で見つめてくるのです。
また、この学校には定時制がありません。
周囲が心配する中、直貴は大学に進学することを諦め、学校に通うことを決意します。
これだけでも胸が詰まるのですが、実際はもっと過酷な人生が、彼を待ち受けているのです。
剛志がなんとかしてでも弟を大学に行かせたかった訳
「苦労するのはお前だよ。世間の連中は予備校だとか家庭教師だとか、いろいろと味方がいるんだろうけど、
お前には誰もいねえもんな。一人でやらなきゃしょうがねえもんな。
だけど何とかがんばってほしいんだよ。お袋も、お前だけは大学に行ってほしいと思ってた。俺がこうだからさ、頭パァだからさ。だからさ、一つ頼むよ」
剛志がこれほどまでに学歴コンプレックスなのには、訳があります。
母親が父親の早死にを、学歴がなかったせいだととらえていたからなんですね。
繊維製品を扱う仕事についていた父親は、出来上がったばかりの試作品を取引先に届ける途中、交通事故に巻き込まれてしまいます。
彼はその際、ほとんど不眠状態で現場に行っていたようです。
上司が無理難題を取り付け、そのあおりを食った格好でしたが、会社の方は何の償いもしてくれませんでした。
「あなたたちは大学に行かなきゃだめよ。これからは実力主義の世の中なんていうけど、そんなのは絶対に嘘なんだから。
騙されないでね。
大学に行かないと、お嫁さんだって来てくれないんだから」
剛志は勉強を苦手としていました。
今であれば、それは勉強のやり方が間違っているかもしれないという予測を立てることも可能なのですが、生憎、彼らには母親しかいません。
母親は、勉強ができない彼を責め立てました。
そのせいか知りませんが、彼女は無理がたたって死んでしまいます。
闇の中で自問自答する直貴
どうしてこんなことをしているのだろう、と直貴は思います。
本来ならば、今頃は大学に通い、キャンパスライフを楽しみながら、将来に向けて勉強していたはずなのに。
両親の欄を空白にしていたため、バイトにもつけません。
本来なら支援団体などが彼の手助けをしてくれるはずなのですが、そんな救いなどありはしません。
梅村教諭から、こういった話を告げられます。
「兄さんのことは隠しておこう。
(略)なあ、武島。嘘をつくのは嫌だろうが、世の中には、隠しておいたほうがいいことってのはたくさんあるんだ。別に、この店の人間がおまえのことを変な目で見るとか、そういうことじゃないんだ。何というかな、ふつうの人間ってのは、刑事事件とか、そういうことに、あまり慣れてないってことだ。
テレビだとか小説じゃあしょっちゅう出てくるけど、自分とは無関係だと信じてるんだよ。」
それを聞いて、直貴は確信します。
こういうことに慣れていかなければならないんだ。
今まで自分が置かれていた状況とはわけが違う。
何をするにも、どこへ行くにも、兄が強盗殺人犯だということが付いて回ること。
兄は世間から憎悪される存在になってしまったこと。
これからは貧乏だからといって、両親がいないからといって、誰も同情などしてもらえないということ。
それを受け入れて、この先、生きていかなければならないということを。
やっとのことで掴んだ仕事は、リサイクル会社でした。
そこで出会った倉田という男が、彼に一筋の光を与えます。
彼は直貴に、こういった言葉を残すのです。
「俺は納得できねえな。夢を捨てるってことがさ。
ふつうの連中に比べりゃとんでもなくきつい道かもしれないけど、道がなくなっちまったわけではないと思うけどな」
彼が残しておいた一冊。
それは、大学検定の冊子でした。
貯めたお金で、直貴は通信制の大学に通うことになります。
そこで出会ったのが寺尾祐輔です。
彼はバンドマンでした。
今まで、楽器と言えばカスタネットとリコーダーしか知らなかった直貴に、音楽というものを教えたのです。
そこで彼が知ったのは、ジョン・レノンのイマジンでした。
「ちゃんと想像してみろよ。差別や偏見のない世界をさ」。
この曲は何度も何度も繰り返されながら、要所要所に出てきます。
夢まで奪われる弟
音楽一本で生きてゆくことは、とてつもなく難しいことです。
それなのに、直貴は案内書を捨ててしまうのですね。
俺は音楽一本で生きてゆく。
そういった矢先のことでした。
またもや兄が殺人犯だということが、彼の前にのしかかるのです。
「君が殺人犯の弟だということが世間に知れ渡れば、バンドのイメージダウンにつながる。だから、デビューは難しい」
その言葉を聞いた直貴は、大人とは不思議な生き物だ、あるときは差別なんかしてはいけないといい、あるときは巧妙に差別を推奨する。
その自己矛盾をどのようにして消化してゆくのか、そんな大人に、自分もなってしまうのかと思います。
音楽一本で生きていくと決断したのに、実際は音楽では食べていけないとバンド活動を拒む直貴に、煮え切らない思いが募ります。
彼が、正面を切って向き合っていたならば、もしかしたら運命は変わっていたのかもしれない。
そう思うだけで胸が詰まる場面です。
音楽を奪われ、愛する人を奪われ、何もかもを失った直貴は悟るようになります。
自分の現在の苦行は、剛志が犯した罪に対する刑の一部なのだ。
犯罪者は自分の家族の社会性をも殺す覚悟を持たねばならない。
そのことを示すためにも、差別は必要なのだ。と。
そうじゃない、なにも犯罪者の家族までも、犯した罪を抱え込まなくてもいいと、彼に伝えられるのならば、言いたいのですが…。
私たちへの問いかけ
この小説が問いかけているのは、私たちです。
私たちがニュースを見る時、その情報は加工されています。
情報の発信者の思い通りに、操られているわけです。
SEKAI NO OWARI の「illusion」の世界ですね。
私たちは、それに気付かなければなりません。
「こっちは忘れたくても、実紀の傷を見るたびに思い出すよ。
絶対に忘れられない。
でも世間の人はどんどん忘れていくのよね。
そのことがあたしたちをさらに傷つける。
だから、この世には事件を忘れられない人がほかにもいるんだと知れるだけで、少しは気休めになるわけ」
今は被害者支援ネットワークという団体も存在しています。
しかし、それでもプライバシーが完全に確保されていることは、ありません。
インターネットという、誰でも簡単に書き込むことができる世界が存在しているのですから。
本当に恐ろしいのは、ほかの誰でもなく、傍観者の私たちなのです。
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