善意とは何だろう?
相手の心情や境遇を想像して、気づかい、優しい言葉や行動を示したりすることではないかと僕は思う。
人との関わりには不可欠なものだが、そんな善意に苦しめられて生きている1人の女性がいる。
彼女は子供のころ「幼女誘拐事件」の被害者となった。
「ロリコン」の青年にさらわれて傷つけられたのだ。
実に、悪質な事件だった…。
というのが、世間に知られた「事実」だ。
でも、もしそれが「真実」とは全くかけ離れていたとしたらどうだろう。
彼女は傷つけられておらず、むしろ希望と安らぎのみを相手に見出していたのだとしたら?
「被害者」という面をかぶせられ、息苦しい善意の中に閉じ込められながら日々を送っていたある日、かの青年と偶然再会し2人の人生が揺らぎ始める。
こんな人におすすめ!
- 人に言いづらいことを抱えている
- 考えさせられるタイプの作品が好き
- 周りの目線を気にせず自由に生きたい
- 善意は無条件に正しいことだと思っている
あらすじ・内容紹介
家内更紗(かない さらさ)は小学生の頃、大好きな両親の元で平和な暮らしを送っていた。
重たいものを嫌い自由に生きる母と彼女を愛する寛容な父。
そこには規律に縛られない自由な雰囲気があった。
しかし、ある事情で両親を失い、伯母の家に引き取られる。
そこは両親との生活と違い「常識」に満ちた窮屈な空間だった。
自分の居場所がないと感じていた帰り道、1人の青年に家へ来ないかと誘われる。
彼は、更紗が学校の友達と遊んでいる公園のベンチに座り、自分たちをじっと見ている「ロリコン」と噂されていた人だった。
名前は佐伯文(さえき ふみ)、19歳の大学生だ。
噂と違って彼は危ない人ではなく、更紗の自由を尊重し、嫌がることは一切せず、文との暮らしは彼女にとって安息の場所になった。
しかし、その生活も、彼が幼女誘拐事件の犯人として逮捕され終わりを迎える。
大人になった更紗は、当時世間を賑わせた「家内更紗ちゃん誘拐事件」の被害者としてひっそりと生きていた。
自分のことを知る人たちは、彼女に対し「かわいそうな被害者」として接してくる。
真実から外れた善意に息苦しさを覚えていたが、ある日偶然、文と再会することになる。
『流浪の月』の感想・特徴(ネタバレなし)
善意は時に息苦しい
一度デジタルタトゥーの烙印を押されると、インターネットが普及した時代ではなかなか忘れられることができない。
当時、誘拐事件はニュースで話題になっていたし、文が逮捕された時に更紗が泣きながら彼の名前を叫ぶ様子が動画として世間に出回ってしまっていた。
そのせいで、更紗はずっと「被害者」として周りから扱われる。
多くの人の中にある『力なく従順な被害者』というイメージから外れることなく、常にかわいそうな人であるかぎり、わたしはとても優しくしてもらえる。世間は別に冷たくない。逆に出口のない思いやりで満ちていて、わたしはもう窒息しそうだ。
この小説のテーマの1つに「善意の息苦しさ」があると思う。
何かの被害にあった人や病気で苦しんだ人に対する配慮が必要でないとは言わない。
しかし、それが重荷になることもある。
本作のように真実を誤解されているかどうかは抜きにしても、人生で本当に辛いことがあった後、そのことに配慮して接し続けられるのはキツいことだ。
ただ普通に「同僚」「友人」「恋人」などとして接してもらうことが実はとても有り難い。
しかし、更紗は善意に苦しめられ続ける。
怒りや蔑み、上からの哀れみ。そんなものなら、なんのためらいもなく投げ捨てられる。けれどその中に時折、優しい気持ちが混じる。この人を理解したいとか、自分になにかできることはないかと、そういう善意がわたしの足をつかみ、そっちにいってはいけないと強く引き留める。
もちろん、負の感情を投げかけられるのはキツいし、それをする側も「いけないこと」と分かっている場合が多い。
でも、誰かを慮ることが相手を苦しめていると思い当たる機会は少ないのではないだろうか。
自分も誰かに善意を向けすぎてはいないだろうかと、心配になった。
本質からずれた善意は不幸につながる
「被害女児」に向け続けられる善意の息苦しさに拍車をかけたのが、「自分は事件で苦しんでなどいないし、文はとても優しく接してくれた」という真実と、世間で認知されている「佐伯文はロリコンの異常な犯罪者」という事実との齟齬だ。
文という人間に対する誤解を解こうと更紗が何度か訴えかけても、その言葉はほとんど響くことなく、むしろ「誘拐犯による洗脳が抜けていないかわいそうな女性」としての印象を強めてしまう。
喫茶店のオーナーとしてひっそりと働く文と出会ってから何度か会うようになるが、それについて恋人から心配され、妬まれ、キツい束縛や暴力を受け、彼女はこのように告げる。
わたしのしていることは、きっとおかしいんだろうね。心配してくれてありがとう。でも、もう見捨ててほしい。
「誰かに見捨てられること」の苦しさを描く物語は多い。
でも、「誰かに見捨ててもらえないこと」の耐え難い煩わしさが描かれることは珍しくないか。
きっとすれ違いが絶望的なものになってしまうのも、善意というフィルターの先に誤解が存在するから。
2016年熊本地震が起きた後、現地に多くの千羽鶴が送られた。
それらが逆に保管スペースを取り、結局処分することになってしまった事を思い出した。
善意に基づいた行動は価値あるものだが、当事者の目線を想像することや知ろうとすることも同じぐらい大切だ。
「善意のある自分」を確認するためではなく、真に当事者のための行為となっているかどうかを一度立ち止まって考えたい。
真実を知る人がいるだけで救われる
ここまで読んでもらうと、本書は救いの無い物語のように思われたかもしれない。
最終的に更紗、そして文が、この出口のない善意と誤解の渦から抜け出すことができたのか、それとも、閉じ込められたまま、それぞれ別の新しいスタートを切ることになるのかは、ぜひ本書を読んで確かめてほしい。
2人を取り巻く環境の困難さは、文の言葉に表れる。
−ロリコンじゃなくても、生きるのはつらいことだらけだよ。
幼女誘拐事件により一時引き離されてしまった悲劇の他に、どのような「つらいこと」があるのかにも注目して読んでもらいたい。
この書評で伝えられる「救い」があるとすれば、それは、どれほど周りの人に誤解を受けようとも、ただ1人真実を知ってくれる人がいるだけでこの世界に居場所はあるということだ。
事実と真実はちがう。そのことを、ぼくという当事者以外でわかってくれる人がふたりもいる。
今後、自分も何かのきっかけで「解きがたい誤解」を受けることがあるかもしれない。
「本質からずれた善意」に疲れることがあるかもしれない。
そんな時は自分を知ってくれている人に話を聞いてもらおうと思う。
ただそれだけで「世間なんてその程度のものだ」と気が楽になるかもしれない。
そうならなくても、きっと何かは変わるだろう。
まとめ
どうしようもない歯がゆさが続く重い内容の作品ではあるが、決して読みづらくはない。
2020年の本屋大賞受賞作品ということもあり、グイグイと先に進みたくなる面白さもある。
残るものは多いので、ぜひ一度手にとって読んでみることをおすすめする。
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私も、この「流浪の月」を読んでみて、今まで読んできた小説の中で、一番後味が悪いと思った作品でした。
しかし、この本は、私が今まで読んできたどの本より、「とにかくはやく続きを読みたい!」という気持ちになりました。(真夜中に12時までぶっ続けで読んでしまいました。こんな事も私史上初めてでした)
このレビューを読んで、改めてこの本の良さを感じることが出来ました。ありがとうございました。