もしあなたが全身に重度のやけどを負い、動くこともままならない状況に置かれたら。
全身の皮膚の3分の1は他人からの移植、つぎはぎだらけ。
体毛はほぼ全て焼けてしまい歩けば全身が悲鳴を上げる。
そして何より、肉親を失って、自分を殺して生きていかなければなくなったら。
私なら早々に動くことも、生きていくことも投げだし諦めてしまうでしょう。
でも彼女は諦めませんでした。
なぜなら彼女にはピアノがあったから。
そして従姉妹と祖父との約束があったから。
この小説のジャンルはミステリーです。
でも私には少女が1人孤独と戦う物語にも思われるのです。
あらすじ
主人公の遥は春から音楽科のある高校に進学する予定の中学生。
将来はピアニストになりたいと考えています。
そして遥の従姉妹の片桐ルシア。
彼女もまたピアノが好きでした。
元々インドネシアに住んでいたのですがスマトラ島沖地震で両親を亡くし遥の両親が養子として引き取ることを決めていました。
遥の家族は両親、父親の弟である叔父、不動産業で財産を築いた祖父、そしてルシアの6人暮らし。
そんなある日、彼女たちの家は火事に遭います。
たまたまルシア、祖父、遥しか家にいないときでした。
ルシアと祖父は亡くなり、一命を取り留めた遥も体の3分の1にⅢ度熱傷という重度のやけどを負います。
母親はリハビリにちょうどいいとピアノを弾き続けてほしいと考えていましたが遥は分かっていました。
ピアノなんて弾けるわけがない、しかし彼女の進学先では特別扱いは許されないと言われました。
絶望していた遥の前に1人のピアニストが現れます。
その名前は岬洋介。
岬先生の指導の下、ピアノレッスンを始める遥。
しかし彼女の周りで不穏な事件が続けて発生します。
彼女を狙う陰は一体誰なのか?
『さよならドビュッシー』の感想(ネタバレ)
音楽を「読む」
音楽は人によって受け取り方が異なるものだと思います。
歌詞はもちろん、ましてや歌詞のない、弾き手の技量が試されると言っても過言ではないクラシックの世界ならなおさらそうでしょう。
その音楽を文字にすることはさらに難しいです。
どんなに衝撃を受けた音楽でも、それを誰かに伝えるのは「文字」というフィルターを通さなければならない、それはもしかしたら衝撃を受けたそれとは全く違うものになっているかもしれない。
音楽をテーマにした小説にはそんな難しさがついて回ると思います。
ですが、中山七里さんはその難しさを軽やかに超えて見せます。
なんとも生き生きと、彼の演奏を、それを聞いた彼女の心情を言葉にして私たち読者に示します。
まるで私たちもその場にいるかのように。
第一楽章、アレグロ、変ホ長調。いきなりフルオーケストラの主和音がホールを揺るがす。すぐ流麗なピアノ独奏が湧き起こり、序奏が生み出される。力強く踊るような打鍵。只の一音がホールの壁を突き破らんばかりの勢いで飛んでくる。その音は当然聴衆の、そしてあたしの胸にも深々と突き刺さった。息が止まるかと思った。
息が止まるような音ってどんな音なのか、それは気になりますが。
音という見えないものを言葉に、しかもこんなにも表現豊かに言葉になると、私たちも遥と同じような体験が出来ます。
本ってすごいですね~…(感嘆)。
魔法使いの岬先生
火事でピアノを以前のように弾くことが出来なくなった遥の前に現れた岬洋介。
彼女は岬先生を「魔法使い」と呼びます。
ですが岬先生にも遥と同じようにハンディキャップがありました。
それは左耳の突発性難聴です。
発作が起きれば左耳は全く聞こえなくなる、しかもその発作はいつなるのか分からないし、そもそも治療法は存在しない。
一度はピアノを諦め、父親の仕事である法律家になるため司法試験まで受けました。
それでも、彼はピアノを諦めきれませんでした。
発作が起きればピアノはまともに弾けない、そんな恐怖と戦いながら彼はステージに立ちます。
遥と似た境遇かもしれません、でも彼女は岬先生に、畏怖の感情を抱きました。
傷ついても泥だけになっても、孤独や恐怖と闘いながら高みに上り詰める意志の強さ。その眩しさにあたしは畏怖する。あたしにはとても真似できないから。そんな強さなんて持ち合わせてないから。
今まで雲の上の人だと思っていたのに全くそんなことなかった、彼の言葉が響いたのは彼自身がそんな経験をしていたから。
ピアノは弾き手を映すと言うそうですが、彼のピアノはとても情熱的で、聞く人を強くするピアノなのではないでしょうか。
孤独の中で
感想ネタバレありなんで言っちゃいますけど。
生き残った遥だと思っていた子、実はルシアなんですよ(あっさり)。
目が覚めたら、全くの別人になっていた、それはとても苦しいことだと思います。
本当のことを言う選択肢もあったと思います。
でも彼女は亡くなった従姉妹として、香月家の娘として、生きることを決めました。
なぜなら自分も肉親を失う辛さを知っているから。
「香月家の人に、これ以上の悲しみは必要ない。
私が我慢すればいいならそれでいい」
彼女は他人の痛みが分かる、優しい少女だったのだと思います。
その彼女が唯一ルシアとしてこの世界に存在できるのはピアノを弾いているときでした。
彼女のピアノは誰のためでもなく、自分のために弾いています。
そのときしか彼女は「片桐ルシア」に戻れないのだから。
他人として生きていくことは苦しいことだと思います。
それだけでなく、彼女の周りには偏見だけでなく、嫉妬も渦巻いています。
遥としてのルシアは
「家族を亡くした悲劇のヒロイン」であり「祖父の遺した遺産を受け取るシンデレラガール」。
彼女のピアノの先生は「イケメンで話題の」岬洋介。
そして母を殺されてもなお、ピアノコンクールに学校代表として出場する。
事実とは異なる点もあります。でもそれが事実かどうかなんて周りの人には関係ありません。
嫉妬の対象として、分かりやすい言葉が「記号」としてあれば、それが事実かどうかなんて関係ないのです。
勝手なものですね。
でも彼女には周りの偏見も嫉妬だって関係ない。
勝手に嫉妬していればいい。
私はピアノさえ弾ければそれでいい。
たった1人、誰にも言えない秘密を抱え、ステージの上でピアノを弾く彼女はアマチュアで、コンクールとはいえピアニストでした。
ステージではどんな人でも孤独です。
助けてくれるのはそれまでの自分だけ。
それまで自分がどんなに努力していたか、それだけが助けてくれる。
でも彼女はきっと、ずっと、孤独でした。
身の危険を感じた時から家族も信じられなかったでしょう。
「何かあったら言ってね」なんて彼女からしてみれば無関係な立場からの気休めにしかならなかったかもしれません。
努力だって、もしかしたら味方にならないことだってあったかもしれません。
だけどピアノを弾くことは辞めませんでした。
相当の覚悟が必要だったでしょう。
たった16歳の少女です。
でも彼女が持っている覚悟に、彼女が弾くピアノに私は圧倒されてしまいます。
まとめ
私はこの本を2回読むことをおすすめします。
トリックが分かった上で読み直せば、たくさんの言葉が持つ意味が違うように捉えられていきます。
片桐ルシアであることを忘れないためにピアノを弾く、でもそのためには香月遥でなければならない。
そんな矛盾、周囲の勘違い、苦しみながらも彼女はピアノに向かい続けました。
私にしてみれば彼女も十分強さを持った人でした。
彼女は出場したピアノコンクールで自分が何者であるかを告白します。
それを彼女は自分にとっての「ハイリゲンシュタットの遺書」だと言いました。
これは諦めでも逃げでもない、私はまたこの場所に戻ってくる、必ず。
だからそれまで、さよならドビュッシー。
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