『崩れる脳を抱きしめて』、『ひとつむぎの手』、『ムゲンのi』と3年連続で本屋大賞にノミネートされた作家、知念実希人(ちねん みきと)。
現役の医師経験を活かした、本格医療ミステリーが人気の作家だ。
今回紹介する『ムゲンのi』は、沖縄出身の著者が、沖縄の文化である「ユタ」や「マブイグミ(魂込み)」を取り入れた上下2巻の壮大な医療ミステリーファンタジーとして、沖縄の書店員さんが選ぶ第6回沖縄書店大賞(小説部門)受賞、2020年本屋大賞8位に輝いている。
ファンタジー要素が多めの今作だが、ミステリー要素もしっかりとあり、読み応えのある作品に仕上がっている。
「今までにない読書体験ができた」という声も多くあり、新しい小説として楽しんでもらいたい。
こんな人におすすめ!
- ファンタジーが好き
- 医療ミステリー好き
- 心温まる優しい作品が好き
あらすじ・内容紹介
ある日、突然眠りから覚めなくなってしまう難病、特発性嗜眠症候群(通称:イレス)。
世界での発症報告例は僅か400と少なく、治療方法も確立していない謎の多い病気だ。
同じ日にイレスを発症した患者4人のうち3人を担当する神経内科医・識名愛衣(しきな あい)は、治療方針に頭を悩ませる日々が続いている。
やがて、イレスを発症した患者は、発症前にひどく落ち込んでいたことが分かり、マブイ(魂)が落ちていたから目が覚めなくなったのだと知る。
沖縄で「ユタ」をしていた祖母と同じ能力を備える愛衣は、その特殊な能力を使い、患者の夢幻の世界で、ククル(夢の中で会える自分のマブイを映す鏡の様な生き物)と共にマブイグミに挑戦し、患者を目覚めさせようとする。
『ムゲンのi』の感想・特徴(ネタバレなし)
眠りから覚めない不思議な病
知念先生の作品では、これまでにもホスピスや一般的に馴染みのない病気、実際に存在しそうな病気等を題材とした物語が多数描かれてきたが、今回のテーマは眠りから目覚めない病、「特発性嗜眠症候群(とくはつせいしみんしょうこうぐん)」。
主人公は、神経精神研究所附属病院(通称:神研病院)の神経内科医・識名愛衣。
彼女が担当するイレス患者の1人、片桐飛鳥(かたぎり あすか)は40日以上も目を覚まさないまま昏睡状態が続いている。
主治医、主に治す医者。けれど、私は彼女に襲い掛かった病魔をまったく治すことができていない。特発性嗜眠症候群(とくはつせいしみんしょうこうぐん)、通称『イレス』。それが彼女の患っている病だった。
世界的にも発症例の少ない病気だが、東京西部で4人の男女が同日にこの病を発症し、愛衣の病院へ入院している。
こんなにも珍しい病気が局地で同時発生したのは、単なる偶然か。
それにしては、不可解である。
片桐飛鳥の他に2名のイレス患者を愛衣が受け持っているが、誰1人として目を覚ます気配はなく、このまま治療方法が見つからなければ、命が尽きるまで目を覚ますことはないだろう。
発症原因も分からなければ、治療方法も分からず、患者が目を覚ますことを願いながら、主治医として何ができるのかと考えを巡らせる苦しい日々が続く。
愛衣は、患者を目覚めさせることができるのだろうか。
壮大なファンタジー
愛衣のことならなんでもお見通しの祖母によると、イレスの患者はマブイ(魂)が誰かに吸い取られてしまい、目が覚めなくなってしまったのだという。
助けるには、患者の精神世界へ行き、イレスになった原因を突き止め、マブイグミをするのだとか。
マブイグミは誰でも簡単に出来るものではなく、ユタの力がなければならないが、かつてユタとして活躍していた祖母の血を引く愛衣にも、その素質があった。
マブイグイ。おばあちゃんから聴いたその話を思い出す。たしか、相手の額に手を置いて呪文を唱えるんだっけ?
祖母から教わったおまじない「マブヤー、マブヤー、ウーティキミソーリ」と唱えると、精神世界(夢幻の世界)へ行くことができる。
そして、夢幻の世界では「ククル」という、うさぎの様な長い耳を持った猫(自分の魂の分身)と一緒に行動を共にする。
気づくと、私は森の中に立っていた。薄暗い森の中。辺りに巨樹が乱立し、これまで見たことがないほど太い幹が迷路のようにいりくんでいる。
夢幻の世界では、人の記憶を現した世界が広がっているが、その人の人生によって世界の雰囲気も大きく変わる。
キラキラとした幻想的な風景が描かれた本書の装丁の様な美しい世界が広がっていることもあれば、普通の住宅街の風景、闇に襲われることもある。
七色に次々と変化する光を放ちながら流されていると、自分がどこまでも美しいこの川の一部になったような心地になる。
広大な世界の中で他人の膨大な記憶を辿り、どこかで佇んでいる患者とそのククルを探し、マブイグミをしなければならないが、夢幻の世界では現実の世界の常識は通用しない。
予測不能なこともたくさん起こり、常に危険と隣り合わせだ。
臨場感あるハラハラドキドキ冒険ファンタジーである。
ミステリー要素も顕在
この物語は、マブイグミをすることで患者を救おうと奮闘する若き女医の姿が描かれているが、愛衣自身にも辛い過去があった。
物語前半では、患者のマブイグミに挑戦する姿が綴られているが、中盤になると、「4人目のイレス患者は誰なのか?」、「少年Xは誰なんだ?」と、たくさんの疑問が生じる。
心にたくさんのモヤモヤを抱えたまま後半に差し掛かると、ラストに向けて怒涛の伏線回収がはじまる。
二十三年前、幼かった私の心に刻まれた深い傷。いまもこうして疼き、血を噴き出している傷は、イレスの患者たちを救うことで癒されるはずだ。
愛衣は、担当患者「片桐飛鳥」、「佃三郎(つくだ さぶろう)」、「加納環(かのう たまき)」3人のマブイグミを行う過程で、絶望の他に「少年X」が深く関わっているのではないかと考え始める。
ここ数年、ほとんど発作は起こっていなかった。もう乗り越えたと思っていた。それなのに最近また、『あの事件』の記憶が私を蝕みはじめていた。
愛衣は過去に何を経験し、大人になった今も尚苦しんでいるのだろうか。
マブイグミによって、愛衣自身の深く傷ついた心の傷は本当に癒せるのだろうか。
物語が進むにつれて登場するキーワード「23年前の事件」、「少年X」の行方も目が離せない。
まとめ
上下2巻でトータル700ページを超える長編作だが、幻想的な世界を楽しみながら読み進めると、やがて不安が襲ってくる。
後半では謎が解き明かされ、最後は涙。
感情が大きく揺さぶられながら読み進めることになるが、読み終える頃には、心に様々な「愛」がじんわりと染み渡るだろう。
本書に登場する「ククル」は想像の生き物だが、下巻の表紙イラストになっているので、作品を読み始まる前に見ておくと、作中でも視覚的なイメージがしやすい。
主人公・愛衣のククルは、知念先生の愛猫であった「ハリー」が元になっているが、本書の執筆中に亡くなってしまい、作品の完成を見届けてもらうことは出来なかった。
約6年を共に過ごした愛猫を失い、辛い中、著者自身が心身を擦り減らしながら執筆にあたった渾身の力作でもある。
『ムゲンのi』の中には、最後の最後までハリー君と知念先生の「愛」が詰まっている。
ボリュームが多く、読み切れるか不安な方は、『ムゲンのi』特設サイトにて公開されている、冒頭30ページを試し読みしてから決めるのも良いだろう。
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