初恋の人を覚えていますか?
甘酸っぱくて、キュンとなった、あのトキメキを……。
いやいや、この物語はそんな「ふんわり」で「スウィート」な恋愛要素はないですから。
それでもいい?
あまーい恋愛小説が読みたい人、要注意。
こんな人におすすめ!
- 自分の恋愛感覚を壊したい人
- 妄想、暴走系恋愛小説が読みたい人
- 甘いだけの恋愛小説を読み飽きてしまった人
あらすじ・内容紹介
中学生のときに好きになった初恋の人「イチ」が忘れられない、江藤良香(ヨシカ)、26歳、彼氏なし。
思春期からの恋を引きずり、こじらせ、まともな恋愛をしてこなかった、絶滅生物を愛するヨシカに告白してきた同じ会社の「ニ」。
このまま初恋の人「イチ」(ただただヨシカが一方的に好きなだけ)を思い続けるべきか。
今の自分を受け入れ、好きと言ってくれる「ニ」と付き合うべきか。
自分の気持ちの変化に戸惑い、悩み、ときに暴走するヨシカは、とんでもない嘘を会社と同僚につき、己の本当の恋に向き合っていく。
ヨシカは「イチ」に告白するのか?
そもそも「イチ」はヨシカの運命の相手なのか?
それとも「ニ」にいい返事をするか?
ヨシカが出した答えは?
そして、2人の間で(勝手に)揺れるヨシカの恋の行方は?
他、1編収録。
『勝手にふるえてろ』の感想・特徴(ネタバレなし)
ほしかったものを踏み台にして
『勝手にふるえてろ』は、ヨシカの独白がほとんどだ(ときたま同僚やイチやニとの会話があるけれど)。
通常の小説よりも格段に独白形式の地の文が多く、その量にちょっと驚いた。
そして、初っ端からのその独白にガツンとやられた。
私たちは手に届くものから、絶対に手が届かないであろうものなど、いろんなものを欲しがる。
アイドルのコンサートのチケット(これはお金と運でなんとかなる)。
限定のスイーツ(これもお金と時間でなんとかなる)。
じゃあ、あの人の心は……?
すでに手に入れたものたちは足元に転がるたくさんの屍になって
既に手に入れたものを踏み台にして次のものを手に入れるのが普通なのに、ヨシカは踏み台にすべき恋の土台がない。
私たちの足元には使い古したバックや、機種変更した携帯や、もう着なくなった流行遅れの服とかの屍が転がっていて、その中にはいくつかの忘れてしまった恋の屍だってある(その相手がたとえ芸能人であっても含めてよし)。
男性にとって恋は上書き保存でも、女性にとって恋は名前を付けて保存。
ヨシカのように初恋を踏み台にせずに、そして、データの更新もせず、ただひたすらに「初恋」の名前がついたファイルを保存し続け、そしてときたま眺める。
正直言って、初恋に覚えがない人(私だ)には、分かりにくい感覚なのだけれど、女性にとっての初恋とはきっと特別なものなのだろうな。
私はヨシカがイチを思い続ける気持ちが微塵も分からない。
そういう意味では、私は男性的な恋愛感覚の持ち主なのかもしれない(恋は上書き保存派)から、読んでいてヨシカの恋愛感覚は新鮮だった。
どこからくるんだその妄想
私には彼氏が二人いて、どうせこんな状況長くは続かないから存分に楽しむつもりだった
これ、序盤のヨシカの独白です。
この時点で大好きなイチに告白していい返事がもらえたなんて書いてないし、ニに告白された経緯もない。
えっと、えーっと、え??
この物語、読者を基本的に置いていきます。
なんてったって、ヨシカは妄想暴走タイプの女子ですからね。
だからヨシカがイチを好きなことを分かっていても、突然のこの告白には戸惑う。
彼氏が2人?
いや、待って、置いていかないで、あなたどこで彼氏を手に入れたのさ。
読んでいけば、「あぁ、これってヨシカの妄想か……くだらん……」なんて思うかもしれない。
でも、よくよく考えてみれば妄想も恋のうちですよね……。
私が抱いているアイドルへの恋心なんてまさに妄想の塊だ。
だって、彼と付き合える確率なんて皆無に等しいのに、私は彼とのデートの細部までの妄想が止まらない。
くだらい。そう、くだらないのは分かっているんだ。
そんなこと考えたって1ミリも役にも立たなければ、実現する可能性だって0だし、そんな妄想をしているぐらいなら温暖化対策の1つも考えろって話なのに、それがやめられないのは、恋とか愛とかじゃなく自己満足なんだ。
恋とは、思いが通じ合うまで自己満足に終始することではなかろうか。
相手のことを美化してしまうのも、相手がこんな素敵な人だという妄想の自己満足の現れ。
ヨシカにもそれがよく現れている部分がある。
私はイチのマッシュルームカットが好きだったから天然王子の髪にも余計なものはつけたくなくて
ヨシカはイチのマッシュルームカットが好きだとここで言っているけれど、イチは、
いつもからかわれていたもん、マッシュ、マッシュって
と言っている。
ヨシカのとってのイチの美点は、本人にとっての美点にはなっていない。
マッシュルームカットのイチが好きというのは、ヨシカだけ。
ヨシカの妄想の中のイチはマッシュルームカットでかっこいいだけなのだ。
自己満足の権化である。
あぁ、すごく分かるなあ。
私は中学生のときに付き合っていた彼氏に、私の手が好きだと言われたことがあった。
申し訳ないけど、当時私は自分の手が女性のわりに大きくて嫌いだった。
彼氏は包み込むような手が好きだと言っていたけど、彼氏より大きな手を持つ彼女である私は心底その言葉に嫌悪した。
ほら、ヨシカとの逆バージョン。
妄想の中の恋だけは甘くて、なんでも思い通りになり、そして自己満足で終われるのだ。
理解のない態度は愛が冷める
ヨシカとニが最終的にどうなるかとかそんなことの前に、私がニへの態度でどうしても許せないものがあった。
ヨシカとニが出かけるシーンで、オタクだったヨシカはアニメイトに入る。
かつて自分が好きだったものへの愛があふれるシーンでもあるのだけれど、ヨシカへのニの理解のなさが如実に現れている部分でもあるのだ。
でもニは入ったとたんそわそわして、私が目当てのマンガの棚にたどり着くころには、もう出口のすぐ近くで壁に同化していた。クラブのときもそうだったけれど、彼は自分の興味のない場所に行くと途端に帰りたそうにする。自分の興味のあるものに興味を持ってもらった嬉しい人心というものを、まったく理解しない。
ヨシカはニが自分を連れて行った興味のない場所ではかなりの我慢を強いられた。
なのに、ニは自分の興味のあるものには理解を示してくれない。我慢もしてくれない。
埋まることのない溝。
たしかに、ちがう人間同士だ。
すべてを理解し合えることは絶対にない。
けれど、長く続くカップルというのはお互いがお互いのことを理解し、興味がないものに対してもお互いがある程度我慢できるものなんじゃないのか?
夫婦になりたいのなら、もう、我慢ではダメだめ。
分かち合えないと。
それが好きなんだね、そうなんだね、自分には理解できないことだけど、僕は否定しないよ。
そういうことなんじゃないか、ニよ。
愛って、ちょっとしたことで冷める。
好きだった芸能人の結婚で「~ロス」なんて言葉があるのに、身近な人からの理解のなさは同性だったら信頼関係が崩れ幻滅するし、異性だと幻滅して愛が冷めてしまう。
ニの行動はまさにその典型である。
恋愛小説においての異性(特に男性)の愛が冷める行動というのは、異性(特に女性)への理解度の低さというのが大きいように思う。
まとめ
恋愛小説に求めるものって、甘い恋だったり、シンデレラストーリーだったり、切ない展開だったりするけれど、それを見事にぶち壊してくれたのがこの『勝手にふるえてろ』だった。
あまり恋愛小説を読まない私は恋愛小説の可能性に度肝を抜かれたし、不倫も浮気も出てこないのに終始ヨシカの言動にドン引き。
もう最後は微笑むしかなかった。
けれど、私がラストまでこの本を読み切れたのは、せいせいするほど自分に正直で、戸惑いつつも、寄り道しつつも、ちゃんと自分で答えを見つけたヨシカに憧れを抱いてしまったからかもしれない。
この記事を読んだあなたにおすすめ!







書き手にコメントを届ける