5人に1人が心の病を抱えていると言われている現代。
心の病を抱えている年齢層も幅広く、この本はひとりの女子高生が日々病と向き合う悲痛な叫びとも言えるような記録が綴られています。
どこにでもいる女子高生…
きっかけは小さなことだったはずなのに、気がつけば以前の自分に戻れなくなるくらい遠くに来てしまったように感じてしまう。
これは、1人の女子高生が心の病と闘い続けた記録です。
なかなか人に打ち明けることの出来ない感情や心の動きをリアルに感じられます。
最初から最後まで暗い内容というわけではなく、気持ちのいいテンポで書かれていますのでとても読みやすいと思います。
心の病についてだんだん正しい知識が広まってきたとはいえ、周りにいる人たちに理解されず苦しんでいる人も多くいるのも現実です。
思春期で多感な女子高生が毎日どんな気持ちで過ごしていたか、どんな苦しみと闘って、自分と向き合っていたのか。
リアルな言葉が並んでいます。
あらすじ・内容紹介
どこにでもいる普通の女子高生 南条あやさん。
彼女は心の病を煩い、日々その苦しみと闘っていた。
思春期で多感な女子高生が毎日どんな気持ちで過ごしていたのか。
どんな苦しみと闘って、どう自分と向き合っていたのか。
心に突き刺さるつらいことも、笑い飛ばせるような出来事も1人きりで乗り越えてきた彼女のリアルな言葉の数々が綴られた1冊。
『卒業式まで死にません 女子高生南条あやの日記』の感想(ネタバレ)
生きるって楽しいこと?
まず、この本を読み終えての感想は「生きるって何だろうか?」ということでした。
あやさんからの質問かもしれません。
生きるって楽しいことですか?
痛くないことですか?
笑って過ごせるものなのですか?
あやさん自身もあやさんのご家族もそれぞれに悩みがあり、苦労があって、乗り越えてきた日々。
生きるの正解って何なのでしょうか?
どうして自分を虐げるのか、という理由です。考えているとわけが分からなくなって、涙が出ます。
あやさんの本音だなと思いました。
自分自身で自分を傷付けてしまうこと。こんなにつらいことはないと思います。
ですが、そうしないと自分を保てないというジレンマ。ひとりで向き合うにはあまりに重たすぎる。
たとえ心の病でなくても、自虐的な自分にうんざりすることってありますよね。
どうして自分を大切に出来ないのだろう、もっと自分を守ってあげたいのに…。様々な葛藤があります。
顔は笑って心は泣いている
今の私は、好きだけど、まだ嫌いな部分が沢山です。
きっと世の中の女子高生は、恋愛に遊びに勉強に夢中になって青春を送っているはず。
それなのにどうして自分は…と他の人と比べてしまう気持ちもあったのではないかと思いました。
特に高校生ともなれば子供と大人の真ん中で、どちらにも身を置く場所が見つからず悩むこともあると思います。
誰にも打ち明けることが出来ずに、顔は笑っていながら心は泣いている。
そんな中で自分なりの生きていく。
わたしには高校生のあやさんが立派に見えましたし、誰よりもか弱く、そして力強く生きているように感じました。
約束のゆびきりげんまん
死なないという約束のゆびきりげんまんしました。約束します。
この一文を読んだ時にわたしは涙腺が崩壊しました。
生きるって、とっても難しいことなのです。
当たり前なんかじゃないのです。
どこかで誰かが苦しんで、泣いて、自分の人生を自分で終わらせてしまう現実があるということ。
現代の問題の1つでもあります。
生きるという約束。
こんなに尊い「ゆびきりげんまん」がありますか?
生きるという、命を持って生まれた人間が与えられる課題。
それに真摯に向き合うあやさん。
支える側も支えられる側も、どうか温かい関係であってほしいと願わずにはいられません。
私は、社会不適合者。
どんな気持ちでこの一文を残したのかなと思うと胸が痛くなります。
みんなが当たり前のように社会に出ていく中でひとり取り残されていく自分。
前にも後ろにも進めず、景色の変わらない日の当たらない場所でずっとうずくまっている自分。
どんどん大人になっていく友達の背中を眺めているだけの自分。
情けないという言葉だけでは片付いてくれない感情に蝕まれていたのかと思うと、日記の中で困った顔で笑っているあやさんを見つめているような気持ちになりました。
まとめ
現役女子高生のリアルな言葉で書き綴られているこの日記。
なかなか本を開くには勇気が必要かもしれません。
ですがわたしは、本当に読む選択をして良かったと思っています。
南条あやさんという人がこの世にいたこと。
心の病と必死に闘い、自分の本当の気持ちと向き合い続ける人がいること。
目を背けちゃいけない現実…。
心の病と一括りにしてしまうのも違うなということを学ばせてもらいました。
ひとりひとり、背負っているものは全く違います。
心の叫びだって違うのです。
誰かのSOSを感じ取って救いたい。
せめて支えになれたらと思いました。
簡単なことではないことは重々承知ですが、わたしの一言で救われる命もあるかもしれないと気づかせてもらえたのです。
この日記を手に取った誰かが、苦しんでいる誰かの手を引っ張り救い出せるような、そんなプラスの連鎖が起こることを願うのみです。
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