『そして、すべては迷宮へ』あらすじと感想【『怖い絵』著者が見せる怖くない素顔】

『そして、すべては迷宮へ』書影画像

『怖い絵』で独創的かつ、革新的な絵画の鑑賞法を示してくれた著者・中野京子。

現代とはまったく違う絵画への価値観、現代人にはない絵画への素養を持った当時の人たち、尽きない興味への探求。

柔らかな語り口で絵画について語りかけてくる著者の素顔とは?

様々な表情を見せてくれる貴重な1冊。

こんな人におすすめ!

  • 西洋絵画が好きな人
  • 西洋絵画を多角的に鑑賞したい人
  • 柔らかい解説で西洋絵画を鑑賞したい人

あらすじ・内容紹介

『怖い絵』という西洋絵画に対する新たな鑑賞の仕方を示した著者の初エッセイ集。

第1章では、著者の得意とする西洋絵画について。

作者の経歴、その絵が描かれた経緯、絵に秘められた歴史などを著者お得意の語り口(柔らかくて、それでいて分かりやすい詳しさ)で説明してくれる。

第2章で日本経済新聞夕刊の連載を。

ヨーロッパ史や西洋絵画を織り交ぜつつ、女性論、男性論、大学で持っていた授業の様子や、生徒たちのエピソード、自身が翻訳したときの苦労など。

第3章では著者が読んだ本についての書評や、西洋絵画を本と組み合わせた書評などについて。

すべてにおいて西洋絵画を絡め、著者が得意とする知識をふんだんに使った、西洋絵画ファン、中野京子ファンにはたまらない1冊である。

『そして、すべては迷宮へ』の感想・特徴(ネタバレなし)

目で見るだけがすべてじゃない

レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を鑑賞しようと思ったとき、「当時の美の基準はこうなのかな?」と思ったり、「笑ってるのかな?泣いてるのかな?よく分からないな」など思うかもしれない。

現代美術や日本画などは置いておいて、西洋絵画を鑑賞するときはある程度知識が必要だということが、著者の本を読むと分かる。

西洋絵画には、その絵に関するモチーフなどを理解することで、絵画の見方が変わっていったりする。

特に西洋絵画は、宗教画や神話画などが多く、キリストや神々が多く描かれており、神々本体の他に彼らを象徴しているものが同じ絵に描かれていることが多々あるのだ。

例えば、J・ブロック画「ヒュアキントスの死」という絵画。

美しい2人の青年の足元に太陽を示す円盤が描かれているので、青年の1人が太陽神アポロンだということが分かる。

そして、周りに咲く花は白いのに、円盤の近くの花だけ朱色。

これは、直接血が描かれていないのだけれど、もう一方の青年の「死」を示しているのだ。

このように、ただ西洋絵画を「美しい絵」と捉えるだけでなく、はっきりと「この絵はこういう神様である」ということが分からなくても、その描かれた象徴やモチーフによって絵画の真価、本質が分かると、だんだん楽しくなってくる。

絵画の分析を仕事にしているわけではないし、「そんなの自由に見させてよ」と思うかもしれない。

けれど、自由に鑑賞でき、自由な解釈ができるからこそ、自分の思い描いていた絵画の意味とちがってくると、本当の意味での絵画鑑賞が面白くなってくると思うのだ。

日本にはない宗教観や、日本にはない美しい神話や神々が描かれている西洋絵画において、「正しく理解する」ということはとても大事。

自由な解釈によって支えられている部分と、きちんと本来の意味に支えられている部分。

おそらく両方がなければ、「西洋絵画」というものは成り立たないのだろう。

カルチャーショックな絵画の楽しみ

西洋絵画のみならず、芸術の楽しみ方は人それぞれ。

それで私はいいと思っている。

自由に解釈し、自由に鑑賞したってだれも文句を言わないだろう。

現代人の感覚からすると、西洋絵画は「芸術としての価値」が重視され、例えば何十億、何百億という値段がつけられる。

その値段の価値はすなわち、「作者」という価値であり、「歴史的」という価値でもある。

「モナ・リザ」はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたから価値がある。

「ひまわり」はゴッホが描いたから価値がある。

そんな風に、現代に生きる私たちは「価値」を西洋絵画に求めてしまったりする。

当時の人たちも、確かに絵画に「価値」を求めてはいた。

有名な作者の絵画を持っていれば自慢になるし、高い値段を払って描いてもらった肖像画はかっこよく、美しく、それも自慢になる。

ただ、現代人には理解できない「芸術に対する感覚」というものがある。

例えば、著者が例に出している「メドゥーサの首」(ルーベンス)。

ペルセウスに首を刎ねられた状態の恐ろしい形相で、落ちている(置いてある?)メドゥーサの首。

髪は蛇、その目を見たものは石化してしまう怪物メドゥーサ。

こんなにも恐ろしい怪物の絵画を、いったいだれが欲しがるのだろう?

著者によれば、

要するに暇も金もたっぷりある、ほんの一握りの特権階級だ。

とのこと。

加えてルーベンスは、

ヨーロッパの王侯から注文殺到のルーベンス

だということなので、どんな恐ろしい絵画を描いたとしても自慢になるということなのか。

ただ単純に、ルーベンスという人気画家というだけで。

けれど、

こんな怖い絵を自宅に飾るなんて少し頭がおかしいのかも……そう思うのは、狭い家に住む現代日本人の庶民感覚にすぎない。

つまり、部屋が何十、何百とあったり、別荘や城を持っている貴族には部屋の雰囲気に合わせて絵画を選ぶとすれば、「メドゥーサの首」なんて恐ろしい絵画もきちんとした芸術作品としての価値を得るのだろう。

日本人の自宅では、ただの成金趣味に成り下がってしまうかもしれない。

現代日本人からすると、当時の絵画に対する感覚にはカルチャーショックを受ける。

成金趣味は当時にもあった感覚かもしれない。

しかし、絵画の付加価値(有名な画家が描いたとか)をきちんと分かって飾っていたのは、やはり当時の人々がずば抜けていたのだろう。

どこにどんな絵を掛けるか、それは──日本におけるお茶室の季節ごとの作法にもにて──深い知識を、教養を要した。

価値ある物を持つ側の素養にもショックを受ける。

ただ、所有をしているだけではダメなのだ。

尽きない興味を潰すことなかれ

著者の中野京子さんは作家であり、ドイツ文学者。

だけれど、その前に1人の読書好きの少女でもあった(現在はもちろん、少女という年齢ではないけれど)。

物心がつくころから活字中毒で手当たり次第に読んできた

とのことで、そこでもう既に親近感が湧いてこないはずがない。

西洋絵画にまつわる本を何冊も出版している中野さんは、美術に関する本ばかり読まれているかと思えば、実はそうでもなく。

例えば、正体不明の殺し屋を追う『ジャッカル』(フレデリック・フォーサイス)、アガサ・クリスティーの素晴らしい伏線が堪能できる『葬儀を終えて』、人生を18歳から何度もやり直す『リプレイ』(ケン・グリムウッド)。

「活字中毒で手当たり次第に読んできた」というだけに、ミステリからSFまで幅広く読んでおり、その興味の広さが伺える。

作家という職業人を育てるのも、文学者という職業人を育てるのも、やはりいろんなところへの尽きない興味のおかげなのかもしれない。

私たちは偏った興味や、好き嫌いを元に生活しているけれど、なんにでも心を向けることで違う道が開けたりする。

そう考えると、自分の了見の狭さに幻滅したりする。

多少なりとも引っ掛かるものがあれば、その対象にもっと心を傾けていいと思った。

人間の知的好奇心や、単純に「何かが知りたい」という思いは底知れない。

その尽きない根源のおかげでいろんな発見が生まれていると思うからだ。

中野さんが美術や西洋絵画の仕事をするようになったのも、きっといろんなものに触れて、たどり着いたのが有名になった『怖い絵』だったのかもしれない。

そそられる興味は各々ちがうけれど、己の心が向かうままに関心事を貪ってもいいのだろう。

学ぶこと、知ることは自由であり、だれにも制限されない。

中野さんの本を読むと、己の知的好奇心が刺激され、興味の幅を広げてみたくなる。

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まとめ

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