『新 怖い絵』あらすじと感想【言語化された絵画に酔う】

『新 怖い絵』中野京子【言語化された絵画に酔う】

絵画というのは知識なしで楽しめるのが利点だと思う。

スポーツならルールを知らないと見ていてもつまらないし、俳句や短歌もある程度のルールや知識が必要だ。

けれど、ルールも知識も無用で楽しめる絵画を、歴史や時代背景を知った上で鑑賞してみたらば。

そこに浮かび上がるのは、世にも恐ろしい人間の業であった……。

こんな人におすすめ!

  • 世界史が好きな人
  • 歴史ゴシップが好きな人
  • 有名な絵画の真実が知りたい人

あらすじ・内容紹介

背骨が剝き出しになり、涙を流す女性の自画像が訴えるもの。

有名なミレーの『落穂拾い』の意外な真実。

フラゴナールの『ぶらんこ』に秘められた淫靡な秘密。

連続殺人鬼が描いた不気味なピエロがあおる不安。

絵画には描かれた時代背景があり、歴史があった。

絵の中で生きる貴族や農民、教皇、一人ひとりにドラマがあり、生きて来た軌跡があった。

それをたどるように、ときに利権が絡みあう混乱をくぐり抜け、画家は人々を描き続けた……。

いや、それは単なる綺麗ごとに過ぎないのかもしれない。

画家は醜い、汚い、不条理で、欲深い人間の「闇」を描き出す。

あなたは耐えられるだろうか。

あなたは見ていられるだろうか。

目の当たりにする絵画たちの真実は、決して美しいだけではないと気づくだろう。

『新 怖い絵』の感想・特徴(ネタバレなし)

画家たちの主張

「目は口ほどに物を言う」とは本当にうまいことわざだと思う。

画家が描く人物には必ず目があり、それは私たち鑑賞者に必ずなにかを訴えかける。

例えば、作品1『折れた背骨』(フリーダ・カーロ)は、大粒の涙を流す自画像だ。

彼女は常に痛みとともに生涯を送った。

数多くの恋人と浮名を流しながら、壮絶な孤独とも生活した。

そんな彼女の自画像は、目が「痛み」と「孤独」を物語っているのだ。

彼女の生涯は、ウィキペディアを見れば一発で分かる。

どういう事故にあっただとか、47歳の短い人生だったとか。

 

でもそんな薄っぺらな情報だけを手に入れて、彼女の絵を見ることができるだろうか。

絵画を見て、彼女の人生をなぞって、その両方があってこそ、彼女の絵は完成すると思うのだ。

画家は、私のようなライターや物語を書く作家のように、言葉を扱わない。

だからこそ、絵画の中で主張することの激しさが増す。

だって、言葉のように一発で伝わることがないのだから。

フリーダは「痛み」と「孤独」を、そしてかの有名なミレーは『落穂拾い』で「落穂」は最下層民である寡婦が拾うものであると、シャガールの『ヴァイオリン弾き』は「ユダヤ人虐殺」を示唆していたと。

 

本当は激しい主張をしているのに、私たち鑑賞者はただ美しいだとか、ただ不気味だとか言って、絵画が描かれた、たどった歴史を知ろうともしない。

しかし、その真実がいかに醜く不条理だったとしても、画家は言葉を持たない主張のために絵筆をとった。

だから私は、画家たちの主張が真実であるということを念頭に置いて絵画を鑑賞したいと思った。

未知へのものへの恐怖はみな同じ

タイムリー過ぎる1枚の絵が私の目に飛び込んできた。

『ローマのペスト』だ。

描いたのはジュール・エリー・ドローネー。

7世紀のローマにペストが蔓延したときの絵画なのだが、2020年3月に流行が始まった感染症のように、治療法もなく、人々がばたばた死んでいく様子が描かれている。

それを天使が連れてきた悪魔に見立てているという、例えが絶妙すぎる絵画だ。

 

医学が発達していないと、人々は神に祈る傾向にある。

では、今の私たちはどうかと言ったら、もちろん宗教を持つ人は神に祈るかもしれないけれど、私のように無宗教の人(日本人にわりと多い)もいる。

あらゆる予防策を講じても、病気は人間が存在する限り消えることはない。

正直、神も仏もない感じだが、この古代ローマ人と感染症流行の只中にいる私たちの間に通ずることが1つだけある。

それが完全な終息か束の間の休戦状態か、どうして区別がつけられよう

コロナウイルスは急に発生し、瞬く間に広がった。

中国のように終息し始めたと旅行で世界遺産に詰めかけても、それが終息なのか、休戦状態なのか、だれもわからない。

おそらく、長くペストに苦しんだヨーロッパ諸国は、今、この絵画に近い状態なのだ。

神に祈っても、感染者数も死者数も伸びていく。

ローマ人たちのようにもがき苦しむことなく早く終息させるには、結局は神ではなく人類そのものの行動にかかっているのだ。

 

手がないわけではない。

必死に戦っている人たちがいる。

未知のものはだれだって怖い。

でも怖がっていたら、負けてしまうのだ。

この絵画のような完全なる阿鼻叫喚にならないためにも、きちんと向き合わないといけないと強く思った。

美し過ぎる「死」

1枚の美しすぎる絵画がある。

水に漂う1人の若い娘の絵だ。

彼女の名前は「オフィーリア」。

シェイクスピアが書いた4大悲劇の1つ『ハムレット』のヒロインである。

シェイクスピアを知らなくても、この絵画の美しさにはきっと息を呑むにちがいない。

なぜなら、彼女は「死」に向かっているからだ。

それはもう、この絵画を見れば彼女はきっと助からないと分かるだろう。

だからこそ、私は心底「美しい」と思ってしまった。

 

どん底に落ち、死ぬことまで考えたとき、あんなに怖かった「死ぬ」という行為が急に味方になった気がする。

「こっちへおいでよ」

「楽しいよ」

「楽ちんだよ」

ダメなんだ。

死んでしまっては何もかも終わってしまうんだ。

分かっている。

分かってはいるけれど、ほんのつま先にまで迫ってきた「死」というものの甘美な誘いは、人間をいとも簡単に「そちら側」へと引き込んでしまう。

 

だからこそ、この死に向かうオフィーリアの絵はこんなにも美しいのだ。

彼女はもう「そちら側」へと足を踏み入れてしまっており、帰って来ることはできない。

自分ではない、だれかが「そちら側」へと向かう様子にひどく興奮する自分がいる。

彼女はもう永遠にこの姿のまま……。

人間の儚さを体現しているからこそ、この絵は私を現実に引き留めてくれる。

オフィーリアは架空の人物だけれど、作者ミレイの「死」に美しさを求める様子が分かる気がする。

そんなことはどこにも書いてないのだけど、オフィーリアのように若くして死んでしまう娘はやっぱり「儚さ」の象徴であり、「美しいままで死にたい」という願望が私には見えてしまう(オフィーリアは自殺ではないのですが)。

まとめ

絵画は絵を直接見ないことには、伝わらないことがほとんどだ。

絵が主役であり、完成された絵が画家にとっての商品で、主張する道具でもあるのだから。

でも、言葉で説明された絵であっても、興味をそそるし、変な話、「いい時代」になったのだから絵はネットで検索すればいい。

言語化された絵画は、そのかみ砕かれた意味を咀嚼し、血肉にできると思うのだ。

だからこそ、こういった本はいつの時代も必要で、私たち鑑賞者に真に投げかける問いを教えてほしい、答えを考えさせてほしいと思ってしまう。

絵画を鑑賞するときの手助けになる「言語化された絵画」を、私はもっともっとと求めてしまう。

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